こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日から始めています、オンラインの英会話講師。
を目標に始めてみますと、生徒さんたちのニーズがそれぞれあって、それらに柔軟に対応できるかどうかが鍵となってくることがわかってきました。
まだ始めて3日とかそこいらでしかないのですが、すでに、
という生徒がちらほら出てきました。
そのプラットフォームでは日本人講師が少ないこともあってか、日本人講師が人気なのは承知していましたが、
と思いました。
今日は「目の前の人に対して全力を尽くすこと」について書いていきます。
去年の動きから学んだこと
以前にも、「目の前の人との接し方」については記事を書きました。
と幾度となくお伝えしていますが、それは、
- 学校で働いていた時も
- オフラインで人と会っていた時でも
- オンラインで英文法を教えていた時も
全ての「人が関わる時間」で、全力を尽くそうと思っていたからでした。
少し語弊がありますが、「無理やりそうしていた」というわけではありません。
ただ単純に「人と会える時間」に、一期一会を感じていたのだと思います。
そう思えるようになったのは、人生について考えたからであり、全力でいられるようになったのは今を大切にするようになったからでもありました。
すると、自分の命を燃やして人と接しているからか、その情熱や思い、僕の人生観などが相手にダイレクトに伝わっている感触がありました。
僕の「強い気持ち」に呼応するかのように、多くの人と真剣に話し、思いっきり笑って、素敵な時間を過ごすことができるようになりました。
とてもシンプルなことでしたが、「全力で生きること」によって反応してくれる人が出てきたのです。
抽象的な表現ですが、「自分の人生に一所懸命になれる人」には、どうやら人は集まってくるようです。
- 以前のせいじ
- 現在のせいじ
であれば、圧倒的に現在の僕のほうが、好きな人たちに囲まれている「幸せな自分」だと言い切れます。
でも実は、しんどいのは今のほうなんです笑。
いい意味で。
一所懸命頑張っているからこそ、人に認めてもらえるようになったような、そんな変化を感じた年だったのでした。
現場で培った「現場主義」
さて、そんな「せいじの状況」を教育の話に移していきましょう。
僕の生き方は、教育の分野においても功を奏しました。
- 生徒と
- 保護者と
その場を楽しみながら、真剣に話し合うこと。
若かりし頃の僕は、
と、若気のいたりもあり、授業では「笑いを生むこと」を心がけていました笑。(芸人?)
「面白い先生/人気のある先生」とは、何も「芸が上手いかどうか」ではないということを、
- 授業
- 部活
などを通して気づくようになりました。
確かに「ユーモアのある先生でいること」は大切なことでしたが、
- 何より真剣に向き合ってくれて
- 目の前の自分との時間を大切にしてくれる先生
であることのほうが、生徒や保護者からだけでなく、どの「教える」という場面でも大切であるということがわかりました。
こちらが真剣に教えるということは、
- 時間(=命)を削って
- 相手の利益になるために試行錯誤すること
だからです。
それからというもの、「現場」で働いていたこともありましたので、僕はその場その場で全力を尽くすことを、教育現場でも応用してみることにしました。
簡単に想像できると思いますが、こちらの「先生像」のほうが生徒や保護者から求められていたのです。
何度も言いますが、決して「無理をして」その像になるように努めていたわけではありません。
その像になれるように、現場での姿勢を変えて努力したと言ったほうが適切だと思っています。
現場では、常に生徒や保護者と「正面切って」やり取りをしなければなりません。
でも僕はもともと「教育熱のある人間」でしたから、そのほうが本来の自分でいられるように感じました。
それは今にも繋がってきており、そのほうが生徒や保護者(いわゆるお客さん)から信頼を得られるようになりました。
そう思わせることができるかどうか。
これが僕にとって必要なことであり、そして僕に一番合っていたことでした。
現場を大切にしていくこと。
この「現場主義」は時間も労力も使いますから、効率も時間単価も悪いと思われる方もいるかもしれません。
しかしこの3日間でわかりました。
と。
目の前の人との時間を大切にしていくこと。
これが僕にとって「必要な教育」だったのです。
常に全力でいる理由
僕が常に現場で全力になることができたのは、その人たちからの見返りを求めていたからではありません。
いえ、ある意味「求めていた」のかもしれません。
全力で英語やダンスを教えますと、生徒のみなさんは必ず感謝してくれます。
自己満足かもしれませんが、それでも感謝されると嬉しいですし、
と思えることができました。
「自己実現」も大切なことですが、僕はいつの間にかそれ以上に「他者実現」を望むようになっていました。
その人が望む像にたどり着けるまで、寄り添って教育をしてあげること。
これを望むことができるから、僕は生粋の「教育者」なのかもしれませんね。
と、やっと気づいたからです。
ずっと前の僕は、
- カッコつけること
- 自分の能力を見せつけること
にばかり終始していました。
というように、自分の能力や権力を誇示することで、生徒を惹きつけようとしていました。
また先述したような「笑い」で惹きつけようとするような、そんな邪道な教育もしていました。
本当にとてもシンプルなことだったのですが、
「先生がいかに真剣に生徒と接しているか」
これが全てを決めると思っています。
「真剣」の中には、ユーモアも必要です。
- 真剣に生徒に興味を持ってもらえるように
- 真剣にその時間を楽しんでもらえるように
笑わせたり、緊張をほぐしたりすることも必要とされていることだからです。
あまり硬すぎてもまた、生徒たちは「つまらない」と感じてしまいます。
教育って難しいですね笑。
ただ、大前提として「真剣さ/真摯な態度」は必須です。
全力でその人のために時間を費やすこと。
これが結果的に、その人との距離を縮める最短距離となります。
効率性を求めていないようで、実は一番効率的なのかもしれませんね笑。
その裏に、必ず「生徒の明るい未来」を願う姿勢があること。
僕はこのやり取りの虜(とりこ)になってしまったのです。
おわりに
教育現場での時間は、教育者である僕に多くのことを教えてくれました。
たくさん失敗もしましたし、いい按配を探っていくための時間も費やしました。
でもそれは何より、
- 目の前の生徒が一体何を願い
- 目の前にいる僕に一体何を求めているのか
について考えさせてくれる時間となりました。
目の前の生徒のために全力で教えていますと、必ずその反動がきます。
それをダイレクトに感じられるからこそ、僕は現場から離れることができないのかもしれませんね笑。
このお互いの「呼応」こそが教育です。
また全力で教えていこうと思います。
それではまた!
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