こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、再びサウナに行ってきました。
初めて行ったサウナでしたが、結論とてもよかったです。

最近はファミリー向けのスパ施設ではなく、こうした「昔ながらの銭湯」を選んで入るようになりました。
ノスタルジーに浸ることもできますし、何より安くてローカルな感じがするんですよね。
なかなか取れていなかった “自分時間” も、たまに取るようになりました。
今日は再び始めた「丁寧な暮らし/清貧な暮らし」について書いていきます。
整え始めた体
さて、僕は少し前からまた体を戻すように努めています。
少し乱れていた食生活を、少しばかり改善したからでしょうか。
また体が少し引き締まってきたような気がします。
先日行ったサウナでも、自分の体が仕上がり始めていて笑、

と思って眺めていました。
少し食生活が乱れていたここ最近でしたが、「お米」を食べるようにし、パンや麺などは避けるようになりました。
みなさん、意外に思われるかもしれませんが、僕は「ストイック」と言いながら結構ジャンキーなものも食べます笑。
スイーツは今でも好きですし、夏はアイスもバンバン食べます。
ただ、
- お菓子
- ジュース
を避け、家でオンライン授業をしている間はずっと水だけを飲んでいるからか、血糖値も上がりませんし、太るレベルまではいきません。
ただ、糖質の摂取があまりにも少なかったため、
と生徒さん(ママさん)に言われてしまい、先述した通り朝ご飯におにぎり(あるいはカロリーメイトなど)を、また食べるようになったというわけです。
- 食生活を守る
- 体を鍛えること
ここら辺を徹底してきますと、サウナもまた一段と気持ちがいいものです。
自分の体と対話しながら、3セット。

男ですので、やはり体の状態には敏感なものです。
丁寧な暮らしとは、体や顔にも出るもの。
サウナに行った時にも、「しっかりと自信を持てるように」と気を使っていた体が、また僕の生活を豊かにしてくれたのでした。
感動する心
体と心とは繋がっているものでして。
そんな肉体を眺めながらサウナに入っていますと、

と感じてしまいます。(なんじゃそりゃ)
先日も別のサウナに入った時は、小さなことに感動することについて言及しました。
コロナ禍の時に、100以上ものサウナを歩いて回った僕が感じていたものとは、ちょっとした「研ぎ澄まされた感覚」でした。

今年(2025年)は、日本にとっても激動の年でして、
- 財務省解体デモ
- 東京都議会選挙
- 参議院選挙(総理辞任 ← New!!!)
と、本当に多くのドラマがあり、僕も気が気ではありませんでした。
すると失ってしまう安定感や、日々の暮らしへの感謝。

しっかりと体を鍛え、走り、たまにサウナに行って友人と会食。(美術館もいいですね)
空いている時間は作業に没頭し、好きな生徒さんたちと世間話から英語の話まですること。
こうした日々の暮らしの積み重ねがあったからこそ、コロナ禍の時は「幸福感」を感じていたものでした。
日々の暮らしとはつまり、
- 仕事
- 運動
- 食生活
- 体調管理
- 社会資本(友人)
など、基本的なことで構成されているのかなと。
どこかを怠りますと、その「ほころび」から少しずつ生活が瓦解していきます。
ある意味毎日が「挑戦」であり、

と感じています。
体にはそうした結果がすぐに表れますからね。
そうした「前提条件」を知っておきますと、毎日(特になんでもない日)でいかに積み上げることができるかが重要になってきます。
そんな毎日があって初めて、僕は今回のサウナでまた「感動」することができました。
いつでも終わりを意識し、

と思っておくこと。
決して、悲観的に人生を見ているわけではありません。
逆にそう思うことで「今生きていること」に感動するのです。
生きるってこんな感じ
僕はもともと、小さい頃から自分の死生観について考えていましたし、最近は「武士道」について少し学んだこともあってか、

と、改めて考えている毎日です。
- 春になれば桜
- 夏になれば蝉
- 秋になれば紅葉
- 冬になれば雪
と、日本が織りなす四季折々の「儚さ」に目を向けてみますと、人間もその例外ではないことがわかります。

そうやって命の危険を感じつつも、「それもまた自分の人生なり」と思っています。
特に世界を一周したときは、その感覚を強く持っていましたね。
僕が今回行った銭湯では、蚊取り線香(か何か)が焚かれており、「古き良き日本」を思い出しながら調(ととの)っていました。

と。
改めて言いましょう。
僕らは我が国日本に生まれたことを、誇りに思うべきです。
その中で感じる「生」を、忙しさのあまり僕たちは「どこか別の国の誰かの話」にしてしまっていました。
「死」についても一緒です。
死を意識することとは、それ即ち生を意識すること。
僕らに生まれた意味なんてありません。
あるとすれば、子孫を残すこと。
この日本に生まれて、こうして美味しいものを食べながら、サウナに入ったり人と出会ったりすることができるという事実。
これがどれだけ稀有(けう)で、奇跡的なことなのか。
僕らの「当たり前」は、世界では誰もが羨む “カタチ” なのです。
しかし、その点に驕(おご)ることなく、
- 謙虚に
- 清貧に
- 丁寧に
生きるからこそ、日本はリスペクトされています。
そんな生活を送っていれば、自然と死に対して準備することができるというもの。

毎日から見えてくる、自分の死生観。
『鋼の錬金術師』という漫画にも、
一は全 全は一
という言葉が出てきます。
僕らはあくまでこの世の一部でしかなく、いずれは灰となり土に還ります。
でも、それこそが命の「意味」であり、美しさでもあります。
この感覚を、いつも持っておくことができるかどうか。

常にそう、考えるようにしていますね。
おわりに
また最近、コロナ禍とは違った生活観を持つようになりました。
どうやって毎日を過ごすのか。
常にここに意識を向けていないと、僕の人生はあっという間に終わってしまいますからね。
たまにサウナに行って「自分の生」について考えてみますと、いろいろと感じることばかりです。
みなさんは毎日をどう過ごしていますか。
それではまた!
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