議論できる人がいないのが大問題なのでは?【日本にとって必要なこと】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、こんな動画を見ました。

相変わらずクオリティの高いお三方で、ただただその言語化能力と思考能力に驚かされるばかりでした。

今の日本は本当に「無能な政治家」ばかりが徒党を組んで、組織的に戦っている有り様です。

ただ一方でこの動画内では、

彼らが悪いというよりは、日本にあるシステム自体がおかしい

と発言してくださり、なるほどなと感じました。

特に僕が思ったことは、「議論することの大切さ」です。

今日は「議論」について書いていきます。

まずは議論すること。そしてそれに見合う知識をつけてくることだ。

議論ができない人が多い

偉そうに言っておきながら、僕だってまだまだ知識の浅い人間です笑。

ただ、最近僕がYouTubeを始めとしたSNSで見られる傾向としては、

ちゃんとしている人は、しっかりと議論ができている

という、単純明快なものでした。

  • 人の話を聞いていない
  • すぐに人の話を遮って自分の意見を言う
  • ただ喚(わめ)き散らかして邪魔をする

こういう人たちを見ていますと、反吐(へど)が出ます笑。

あのさぁ…もう子どもじゃないんだから

と。

そういった意味では、今回のこの動画での生産性とはまさに “人間的なもの” であり、

人ってこうあるべきだよな

と感じました。

また、喚いたりしないにせよ、

  • ウソをつく
  • デマを流す
  • しらバッっくれる

人たちも、僕は本当にキラいです。(正義感が強いので)

日本政府や兵庫県のすったもんだもそうですが、明らかに証拠を隠そうとしたり、やましいことがあるとしか思えない発信をしていたりと、目も当てられません。

それだけ自分のポジションが大事なのでしょうし、もう引き返せないのでしょうね。

日本のトップに立つ人たちや政治家たちは、こうした議論ができなければ話になりません。

残念ながら、コメント欄やSNS上にいる一般の人たちの方が、

  1. 正しく生きて
  2. 真っ当な意見を言っている

ようにすら見えます。(変な人もいますが笑)

別に主観ではありません。

議論から逃げなければいいのです。

議論ができないのならば、トップに立つ資格はない

石丸さんが動画内で言っていたことですが、まさにそうだと思いましたね。

日本の政治の悪い部分とは、こうした「議論のできない人」が多く、長いものに巻かれている人たちが多いからなのでしょうね。

日本の政治が腐敗しているのは、議論ができない人が多いからだ。自分の意見だけ感情的に主張するのではなく、ちゃんと議論しよう。

ちゃんと耳を傾ける

先述したように、「人の話を聞こうとしない人」は論外です。

短期的にも長期的にも、その人に利益はないでしょう。

人の話を聞かない人の意見なんて、誰が聞くの?
いつも邪魔ばっかりして、自分の意見は全然ないじゃない

当たり前ですが、そういうことなのです。

もう誰からも話を聞いてもらうことはできません。

ただし、これは僕にも跳ね返ってくることですから、肝に銘じておかなければなりませんね。

人間とはある程度、「自分なりの思想」がありますから。

僕は日本が好きなので、もしかしたら右寄り(保守?)の思想に入るのかもしれませんし。(本当はもっと複雑ですが)

とはいえ、いろんな情報源から情報を入手する必要があります。

例えば自分の趣味趣向にあった動画ばかり見ていますと、それに関連したオススメ動画ばかりが出てきてしまいます。

しっかりと反対の意見を知っておくことは、ある意味で自分の意見を通すために大事なことですので、僕はあえて「反対派」の意見も聞きます。

しかし残念ながら多いのは、先述したような「ただ邪魔ばかりする人/全く人の話を聞こうとしない人」ばかりであって、

  1. 根拠も乏しく
  2. 感情で話している

ということが圧倒的に多いです。

そうなると、もう “議論にならない” のです。

議論ができない人とは、生産性がありません。

要は、その人の意見を通したところで、何も解決しないからです。

わかりました。じゃあどうすればいいんですか?

と聞いてみても、理論が破綻していて、結局空中分解するだけです。

まずはちゃんと耳を傾けること。

そしてその上でいろんな情報を吟味し、自分なりに判断していきましょう。

時に議論で感情的になってもいいですが、その先に具体案がなければ、その感情こそムダになってしまいます。

人の話を聞き、より良い議論をしていきましょう。

まずは人の話を聞くことがスタートだ。それができなければ、もう誰もあなたの話を聞いてくれなくなるだろう。

普段から議論しよう

僕はこうして発信するのも好きですから、常に「自分なりの意見」を持つようにしています。

決めつけることは好きではありませんが、

  • おかしいこと
  • 間違っていること

については、はっきりと言いたいタイプですので笑、そう言った意味では「軸がしっかりしている」とは思っています。

僕が大事にしていることは、基本的に「迎合しない」ということです。

仲の良い人やお偉いさんが「こうだと思うんだよね」と言ったとしても、

いや、それはどうかな?

と、必ず反論します笑。

いえ、別に戦いたいわけではないのです。

ただ、「素直に同意すること」はしたくないだけなのです。(あまのじゃく笑)

だから僕は、毎朝やっている朝活や友人との会食でも、必ず、

いや、そうとは限らないよ

と言うことにしています。

逆に僕に対しても、

いや、せいじ、そうとは限らないよ

と言ってくれる人のほうが、個人的には好きなのですけれどね。

仮に反論されても、ちゃんとそこに「論理性」を持たせることこそが、意見です。

僕の場合、「こうだと思う」と言う際には、必ず根拠を示すようにしています。

それができないようであれば、僕自身の意見に「意味がない」と証明しているようなものです。

実際、そのように「根拠を示せない人」が圧倒的に多いのが、問題なのかもしれませんね。

だからこそ、

普段から議論しよう

と思うのです。

その時に根拠を示せなくてもいいですし、あるいは言いくるめられることもあるかもしれません。

しかし「間違いのない論理展開」ができるのであれば、問題ないはずなのです。

僕が友人たちと会って話すのは、「ディベート力を上げたい」という気持ちと、会う人会う人にいろんなことを感じてほしいからなのです。

ほら、その考え方じゃ弱いよ

と。

そうやってお互いに「何が正しいのだろうか?」と議論するからこそ、自分の軸も定まってくるというものです。

それができない人というのは(自戒の念も込めて)、

  • 根拠が揃っていない
  • 言語化できていない
  • 感情的になっているだけ
  • 煮詰めることができていない

こういったところでしょう。

だから議論しましょう。

自分の中で反芻し、「内省/内観」することでも十分です。

普段から議論をしていますと、自然と言語化もできるようになってきますからね。

日常の中でも根拠となる情報を集め、友人たちと議論をしよう。そうすれば徐々に言語化もできるようになるし、いろんなことに対して知見を深めることができる。

おわりに

議論ができない人と会って話しても、何も生まれません。

小学生の頃にも、

ただ感情的になって話している人の話ほど、聞きたくないものはない

と思っていました。

根拠や論理に基づいて感情的になるのは、また別の話です。

まずは議論できるように、

  • 家族と
  • 友人と
  • 自分と

たくさん話してみてはいかがでしょうか。

それではまた!

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