こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
さまざまな仕事を見ていますと、
とか、
と思うことが多々あります。
一方で、自分が完璧に仕事ができているかと言いますと、なかなかそうでもないように感じてしまうこともあります。
他の業種の人からすれば「すごい」ことなのでしょうし、曲がりなりにも誇りをもって教師をしています。
- もの
- 仕事
- サービス
どれも人間が作り、提供していることは間違いありません。
だから、そこに「完璧」や「100%」を求めることは違うのかなと思います。
今日は「ものごとを神格化しないこと」について書いていきます。
この世界はあくまで人が作ったもの
この世界はどこまで行っても、
- 人の手が加わっているか
- 自然がそのまま残っているか
の2択だと思っています。
現在ある建物やサービスは、結局は「誰かの手によって作られたもの」です。
しかし、現代のモノやサービスのクオリティが高すぎるため、いつのまにかその状態に慣れてしまい、現代人は100点を求めるようになってしまいました。
大昔から少しずつ人類が進歩し、文明が発展してきたわけですが、今では考えられないような「低クオリティ」のものも、僕が若かりし頃はありました。
そう考えてみますと、
と捉えることは、実はとても自然なことなのです。
「だから手を抜いていい」というわけではありませんが、「精一杯のサービス」の上に僕らの生活があることを考えてみましょう。
すると、
- 不良品はあるだろうし、
- バグは発生するだろうし、
- 電車だって遅れることもある。
このように大きく構えることができるようになります。
ただそうは言っても僕自身、
- 仕事
- ブログ
- ダンス
などにおいては、高いパフォーマンスを求めて日々練磨するようにしています。
それは「完璧に近い形」を目指しているからなのかもしれません。
- 完璧でなくてもいい。
- けど完璧を求める姿勢は持つ。
この一見すると矛盾しているような絶妙なバランスが、実はとても難しいのです。
時に、
「素晴らしいサービスの裏に、人の手がある」
ということを忘れなければ、自ずと上のような気持ちになれるのではないかなと思っています。
100点を求めるな
もとはといえば完璧主義者の僕でしたが、一方で、
- 適当さ
- ちょうどいい按配
といった窮屈になりすぎないような性格を持つようになってきてます。
「自分に完璧を求める人」というのは、相手にも完璧を求めてしまうと感じたからです。
これは以前の自分から学んだことでした。
- 完璧に向かって努力を惜しまず
- 同時に相手の努力も尊重できる人
であれば、「完璧を求める」でもかなり意味が変わってきますし、それはとても良い姿勢だと思います。
以前の僕は、電車が遅れようものならば、
と憤っていたものでした。(何様だよ笑)
あくまで人間のやっていることですから、誰もが満足するようなサービスを提供することは難しいものです。
だからこそ、100点あるいは120点に値するものが出て来た時、人は感動するのだと思います。
スポーツなどのアナログの世界では、そのような感動はたくさん起こり得ます。
人の業(わざ)とは思えないようなスーパープレイを見てしまったら、
となりますよね笑。
それぐらい、人の業というのは機械のように完璧にはいかないものなのです。
世界にあるサービスに目を向けてみれば、確かに「高いクオリティのもの」が売れることが多いかもしれません。
しかし、それらのものが最初から大成功していたわけではありません。
60〜70点のものを販売し、その後お客さんの声を聞きながら改善していったものもあります。
- 正解
- 絶対
- 完璧
がないように、もっと余裕をもって構えていていい。
そして自分が携わっている仕事やサービスには、全力で100点を獲りに行こうと努力を惜しまなければ、それでいいのですね。
そして、感謝しよう。
全てが人の所業だと思えば、
- もの
- 建物
- サービス
など、この世界のすべてのことに感謝ができるはずです。
人にはミスがつきものですし、むしろミスなく回っている今の社会が異常なレベルなのです。
そういう感覚を持っておくことで、社会がこのように回っているという「現状のレベル」を、変に「神格化」しないようになります。
と。
逆にこの感覚を持ち合わせていないと、
- 人に対して厳しくなったり
- 他人のミスを許せなくなったり
するようになります。
周りに厳しい人というのは、ものごとを極端に、
- プロだから
- できて当たり前だから
と型にハメようとしてしまいます。
本来は、そんなものはこの世にいっさい存在しないのです。
それをわかった上で、社会を見渡してみますと、いかに人々が一所懸命今を生きて、社会に貢献してくれているかが、身にしみてわかります。
もちろん、みなさん自身もです。
そうやって、社会はギリギリのバランスを保って動き続けている。
それを感じながら生きていくと、より感謝できるようになるのかもしれませんね。
おわりに
人間が住んで生活している社会は、あくまで人の手によって作られた場所です。
その事実を知っているはずなのに、なぜか人は他人に完璧を求めようとしてしまいます。
それはどこか、この現代社会の豊かさに慣れてしまっているからなのかもしれません。
もっと根本的な部分に目を向けて、
と思ってみると、世界をもっと優しい目でみることができると思います。
人間、みな間違えるものだと思って、柔軟な考え方を持っておきましょう。
それではまた!
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