こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
30歳を越えたあたりで考え始めた「自分の人生」。
先生という職業は天職だと思っていますし、こんな状況でもやっぱり生徒たちと話したり成長を見守ったりしている時間は、かげかえのない時間です。
僕は「保守的でありながらも革新派である」という二面性を持っています。
ハイブリッドというのか二律背反というのかは定かではありませんが、
- 安定して生きることを望みながらも、
- どこか野心さも持ち合わせております。
言い方だけはかっこいいのですが、要はビビりってことなんですかね笑。
それではダメなのです。
これから変革を狙うのであれば、しっかりと地盤を固めた後でしょう。
また今日もいろいろ思うことがありましたので、書いていきたいと思います。
変化を好む人間である
今日は久しぶりにALTと長く話す機会がありました。
彼はもう「ザ・パパ」といわんばかりのダンディーな方なのですが、去年のコロナ禍の休校中にもたくさん話しましたし、ことあるごとに数時間しゃべることがありました。
今日もコーヒーを片手にいろんな話をしましたが、
「僕はかなりの確率で2年後に教員を辞めると思う」
と伝えてみますと「いいじゃないか。君ならできるよ」と言ってくれました。
僕と彼は文字通りの「ノープラン」でオンライン授業をしたのですが、結果ほとんどカメラの前で会話をして、解釈が難しい部分は僕が日本語に訳して生徒たちに伝えました。
とてもカジュアルに話し、「YouTuberでも意識してるのか?」というくらいのラフさと明るさで授業を行なってみました笑。
その時僕は、自分自身のことを「変化を好む人間なのだな」と感じていたことに気づきました。
確かに教員歴としては8年目となかなかの中堅ですが、前の学校で数年経った後は「これ以上いたくないな」と思っていたことがありました。
全く悪い意味ではなくて、その学校の校風や生徒観が自分に十二分に定着してしまい、学校を離れるにはちょうど良い時期だなと思ったからです。
前の学校では、
- 授業は毎学期に少なくともマイナーチェンジがあって、
- 年ごとには大きな変化もあり、
- パワポを使った時もあれば、
- アクティブラーニングやタブレットの使用をし、
- シャドウイングをさせたり、
- ネットで授業をシェアしたり…
と、いろんな手法を試しては授業を「実験として」使っていました笑。
今回の授業でも「いいからとりあえずやってみよう」と、ALTの彼といつも通りの感覚でパソコンの前で話し、YouTubeの動画を共有してリアクションしました。
教育的な効果があったかどうかは判然としませんが、とても楽しく行うことができました。
他の先生方の環境設定の協力もあり、今回はそれなりに面白い授業になりました。
- 「これはよかったな」
- 「ここは課題だよね」
- 「次回はこうしてみようかな」
と変化・改善を常に行なっている自分に気づきました。
これは先生の宿命であり、仕事としては当たり前のことですから、偉そうに言えるほどのことではないのですけどね。
しかしそれと同時に、それは先生という職業の枠の中での変化に過ぎないという現実を突きつけられたようにも感じました。
出会いと行動
ALTの彼から、こんなことを言われました。
「僕らは去年から様々な手法で授業展開をしてきた。
毎授業で多少の変化と改善を行ないながらね。
それを好まない先生もいたけど、君とはカジュアルにいろんなことを試すことができたよ」
僕自身はそんなつもりはなかったのですが、それはひとえにこの1年で多くの書籍を読み、世の中には様々な視点があることに気づけたからこそでした。
それは「出会い」が大きな要因でした。
僕の尊敬する人も、
「自分の考えを変えてくれるのは、すごいなと思える人に出会うことが一番の方法だ」
と言っていました。
僕は、その「出会い」に出会うことができたのだと思います。
- 自分の考え方が変わると、行動にもその変化が反映され始める。
- その行動によって新しい経験を得る。
- 自分の古い考え方が取り払われ、新しい視点が与えられる。
僕はまず、自身の周りの「狭い範囲内での新しいこと」に挑戦してみました。「変化」と置き換えてもよいかと思います。
範囲内でやるあたり、僕の「安定思考」が垣間見えるところですけどね笑。
しかしこの8年(特にここ1年)で、その「範囲内」の中でやれることの限界もまただんだんと見えてきました。
「自分がここを離れるのは、もうそろそろだろうな」と思ったのですね。理由はそれだけです。
「本能がそう言うのだから、そうしよう」といういうだけなのです。
先のことはまだ考え始めたばかりですが、「いいからやってみよう」という気持ちは変わらずに僕の心の中にあり続けています。
夢を語りワクワクする
僕はずっと安定を求めている反面、新しいことへの欲や興味も尽きません。
今年の7月に、関東の様々な場所へ足を運びました。
同僚や友人に旅の思い出を語る時の僕は、自分でもわかるほどに目がキラキラと輝いていました。
ALTとカナダやアメリカの話をしていた時は、
「ナイアガラの滝には絶対に行ったほうがいい」
と言われ、Google Mapを片手にアメリカの地図を縮めたり伸ばしたりしているだけで、動悸がおさまらず呼吸困難になりそうなくらい、ワクワクしました笑。
神奈川を抜け出してちょっと日帰り旅行するだけで、ワクワクしている程度の人間なのですからね。
特に僕は海外の経験がほとんどないため、
- 「人生の残された時間で、特に若いうちにとなると、もしかしたらこの30代がラストなのかもしれない」
- 「いやむしろ今この30代しかないんじゃないのか?」
- 「冷静に考えてそうだよな。それしかない。絶対にそうだ。そうに違いない!」
という、冷静さを無視した、短絡的な考えに至りました笑。
世界の多くの場所へ行ったことのある人は、なんとなく経験が豊かというか視野が広いと言いますか、つまりは僕の「憧れ」でした。
だから、生徒の前で世界情勢を話している割に説得力のない自分を見て、正直後ろめたさもありました。
今すこしずつ変わり始めている自分。それなら新しいことをやらないわけにはいかないじゃないか。
少しでも遠出する前夜に、予定を立ててワクワクしていた自分。
それを今もこうして持てているのだから、世界に行くときはきっともっと興奮するに違いない。
10年後にやろうなんて遅すぎる。人生は短いのだから、思い立ったら行かなくては!
「君はそういう人間だよね」と僕の周りの友人は、僕以上に「すずきはじっとしていられない」ということを知っているのです。
夢を語ることは誰にでも許された権利ですから。
今から冒険の準備を、着々と進めていきましょう。
おわりに
興奮してちょっと変になってしまいましたが(元から)、こうして夢を笑わないで聞いてもらえるのは、理解ある友人や同僚が僕の周りにいるからだと思います。
「夢や理想を語っている間はなんとでも言えるだろ?」
と思われると萎縮してしまうので、僕はあまりそうした将来を語ることを渋ることが多かったですし、自身で口に出すことを拒んでいました。
しかし、
- 「君ならできるよ」
- 「君はそういう人だよ」
と周りの人も僕の背中を押してくれるので、僕は今、自分の人生のためにどこかで大きな変革を行わなければならないという気持ちがより強くなってきました。
これはいつも僕が思うことですが、何事もスモールステップが大切ですから、全てを投げ捨てて新しい海へ飛び込むことは僕の頭の中にはありません。
「小さくてもいいから、大きな変化の前にいろんな変化や挑戦をし続けてみる」
そうやって積み上がって溜まってきた経験こそが、僕の背中を押す「最後の一押し」になりそうなのです。
逆に言えば「毎日がスペシャル」。
「日々精進」とは言葉だけでなく、考えを広げたり深めたり行動につなげたりと、できることはたくさんあるはずです。
自分に言い訳せずにいっぱい動き回りましょう。
頑張れ自分。お前ならきっとできる。
それではまた!
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