こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、友人から「またDaiGoがドンパチやってるらしい」という噂を聞きつけて調べてみることにしました。
以前はよく彼の動画も見ていましたが、人の趣向とは変わるものでして、最近はあまり見ることがありませんでした。
彼の発言は歯に衣着せぬものが多いので。
「何かあるたびに見る程度」でした。
内容はシンプルに「テレビのやらせに言及する」というものでした。
彼の知り合いのシェフがテレビに出ていて、言いもしないようなことを言わされて炎上したため、「これはおかしい!」とライブを行なったようですね。
こうして、正面切って物を言ってくれる方がいることはいいことですね。
今日はメディアについて語っていこうと思います。
写真や映像に騙される大衆にならない
「テレビ」とはいまだに強い力を持っていまして、
- テレビに出たことがあるから。
- いつもCMで見ているから。
- ドラマに出ている〇〇さんいいよね!
と言った「信頼性」を、長い歴史の中で獲得してきております。
一瞬で全国に放送することは大衆に広告を出す最高の手段ですから、あれだけCMが多いのです。
ちなみに僕はもうほとんどテレビは見ていません。
周りの友人たち(20〜30代)も、なんと生徒たちにおいても、ほとんどが「もうテレビはあまり見ていない」と言っていました。
そんなテレビ番組は、
- 多くの人が関わっていて、
- 時間をかけており、
- お金をかけて、
成り立っているものです。
ドキュメンタリーや世界各地の様子などは、普通に過ごしていたら見ることはできないため、素晴らしい側面があることも忘れてはなりません。
一方で、
- 作りこまれた「やらせ」があること
- 編集でどうとでもできてしまうこと
があるという点も、加味して見る必要があります。
これはもちろん、YouTubeやインスタ、Twitterでも一緒ですね。
大切なのは、事実は本人のみぞ知るということを分かった上で、エンタメを楽しむ姿勢です。
テレビやYouTubeを「消費する側」に回ってしまいますと、距離を置くことを忘れて感情移入してしまうことがあります。
僕もそのうちの1人になる可能性があり、全くの「0」というわけではありません。
- 「あいつだけは許せねぇ!」
- 「この発言はありえない…マジでカチンときた」
- 「なんとかして打ちのめしてやりたい!」
と、赤の他人かつ何も関係ない人であるはずの僕らが、なぜか無意味に激昂するという謎の現象が起こってしまうのです笑。
動画を撮ったことがある人ほどわかると思いますが、カメラを回している時は多少なりとも「作って」映る(映す)はずです。
撮影が終わった後に、
- アラ素材を並べて、
- 使えるかどうか取捨選択して、
- 切り貼りして、
- 繋げて、音や字幕をつけて…
といった作業に入ります。
動画編集の経験がない人でも、インスタに載せる画像(特に自分が写っているもの)はかなり慎重に選んで「かっこよく、かわいく写っているものを!」と思うはずです笑。
そうした「『ウラ』があるのが当然だよね?」という姿勢を持ってメディアと対峙することで、ほどよい距離感を保つことができます。
「バズる」や「炎上」は長く続かない
僕自身の感覚ですが、
- バズった
- 炎上した
は、一部を除いて基本的に長く続かないと思っています。
僕らがあっちこっちの情報に食いついてしまうように、毎日新しい情報や大きなできごとが流れ込んでくるからです。
僕は年末年始もテレビがなかったため、逆に生徒に「なにか大きなできごとでもあった?」と聞いてみましたが、生徒は「いやぁ…別に」と答える程度でした。
スキャンダルやゴシップは一瞬で忘れ去られ、後日「あぁそんなこともあったね」となるのが普通です。
自分の記憶をたどれば明らかですよね。
「興味のないこと」や「一瞬だけ目を引いたもの」は覚えてないですもの。
バズることや炎上することで、一定期間(一瞬)は注目が集まるのですが、その人の発信するものの中身が本当に良いものでなければ、大衆はまた別の面白い記事や情報に飛びついて行ってしまいます。
信頼や信用の積み上げがないと、その人やその番組を「長く見よう」「また見よう」とは思わないわけですね。
ただテレビはある程度の信頼性を持っています(培ってきました)から、
- 「テレビで言っていることは間違いなさそうだな…」
- 「面白いなぁ!また見よう!」
- 「とりあえず流しておこう。お?この番組面白そうじゃん」
と、意外にも「自ら見に来ていない」「何も考えていない」リピーターを獲得できてしまうのですよね。
現代の人々のメディアリテラシーは低いとは思いませんが、やはりまだ扇動されてしまっている人がいることは事実です。
インスタやTikTokも、編集やフィルターの嵐ですからね笑。
みんなでうまく情報の取捨選択ができるようになっていきましょう。
- すぐに感情的にならない練習
- すぐに反応しない練習
が必要ですね。
体験すること、共有することの大切さ
ゴシップやスキャンダルは全く記憶にないのですが、自分で体験したこと、例えば、
- 青森の雪で歩けなかったこと
- 奥入瀬渓流から十和田湖のツアーに参加したこと
- 千葉の鋸山をダッシュでかけ登ったこと
- 仙台で泊まった旅館のご飯
- 袋田の滝の氷瀑
- 各美術館や各サウナ施設の場所や内装・外装
などは鮮明に覚えています。
また、
- 友人と話した時間
- 友人と散歩した時間
- みんなでやったスポーツ大会
- ご飯を食べてカフェで話した時間
なども、ジャンクなニュースより圧倒的な存在感を放って記憶に残っています。
1年前の年末年始も、僕は特番を全てすっ飛ばして箱根の美術館に足を運んでいました。
当時は「世間に追いつけていないのではないか?」とビクビクしていたものですが、その体験はテレビやネットを見る時間よりも圧倒的に価値があり、素晴らしい体験となりました。
今でも思い出せますし、面白かったエピソードとしてお話しすることもできます。
ご家族がいる方は、普段できない話や1年間の振り返りなどをシェアする時間として、家でまったりするのもいいと思います。
そうした時間のほうがよっぽど幸せであり、有意義だと僕は思っています。
一方で「メディアを完全に排除すること」が絶対とも言えません。
実際、僕もこうしてDaiGoさんのYouTubeを見ていますしね笑。
何事も「バランス」やものごとに対する「姿勢」が大切で、
- メディアの情報が気になって仕方がない。
- 生活の中心にメディアやSNSを据え置いている。
これが良くないですよね。代わりに、
- メディアは参考程度で、鵜呑みにしたことはない。コメントも控えている。
- 情報としては検索したり参考にするが、実際は実体験が中心にある。
というスタンスを持っておくことが望ましいでしょう。
メディアから情報を得ることや、口コミを見ることは役に立ちますし、「ある程度の指標」にはなりますからね。
あとは自分の足で行って(モノであれば取り寄せて)実際に試したり体験をしない限り、その本当の価値はわからないものなのです。
転がっている情報をいい意味で「疑って」おきますと、自分による確認作業が入ります。
メディアやSNSを信頼しても、あるいは友人知人を信頼してもいいですが、
- 「良いかどうか」
- 「正しいかどうか」
- 「必要かどうか」
- 「合っているかどうか」
を最終的に判断するのは自分です。
今回の件を例にあげてみますと、
- そのシェフに実際に会っている、DaiGoさんのほうが信頼性が高いのかな?
- 実際の現場でカメラが回ってないことまで想像したら…やらせなのかな。
- エンタメとしては面白いから、割り切って見よう。
- 炎上商法に乗っかって、あえて実物のものを食べてみてもいいかもな。
- そのシェフの方に、実際に会いに行ってみようかな。
- 逆にDaiGoの言っていることも間違っているかもしれないぞ?
と、いろいろと客観的に思考してみるエクササイズをすることがよいことだと思います。
自分の体験や行動に落とし込まない限り、「真実は闇の中」だということを知っていればよいのです。
伝え手のほうでいくらでも編集や修正が行える時代ですので、少し斜に構えるくらいがちょうどよく、その後なんらかの方法によって自分で信頼性のある情報までたどり着くことが理想ですね。
僕のしてきた体験も、すべて捏造されたものかもしれません笑。
そうやって一歩下がって見ると冷静になれますし、もっと大切なことが見えてきます。
おわりに
「日本ガッカリ名所」ってありますよね笑。
写真では「映えて」いるのに、実際に行ってみると「大したことないじゃないか!怒」という名所です。(理不尽)
あるいは本当に綺麗なのですが、「到達するまで死ぬほど大変」という場所もあります。
なんでもかんでも体験できるほど、僕らの時間は無限にあるわけではありませんが、そうした実体験を積極的にとるほうが僕は好きです。
実体験のほうが信頼性の高い情報として、記憶にストックされるからです。
今は身のこなしも軽いですし時間もお金もあるほうですので、そうした一次情報を手に入れることに時間とお金を割いています。
もちろん二次情報(別の媒体を通して得た情報)も役に立ちますし、時間をかけてその道のプロがとったデータや統計を、利用しない手はありません。
この「情報の取り方」においても、自分なりのスタンスをもって感覚を研ぎ澄ましておくことが大切ですね。
みんなでメディアリテラシーを高めていきましょう。
それではまた!
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