僕が本当にやりたいことはみんなの笑顔を見ること【やってよかったこと】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちが一堂に会するため、集まり(=オフ会)を企画しました。

結論、最高の時間を過ごすことができました。

企画したのは数ヶ月以上前のことでしたので、楽しみで仕方ありませんでした。

全国から集まる友人たちのために、「」を提供することでみんなでワイワイすることができるからです。

今日は僕の「本当の思い」について書いていきます。

友人たちが集まっている場を求めている。それが幸せであり、人生の最高の瞬間なのだ。

人が集まる場は幸せ

僕は昔から、人が集まる場所に行くのが苦手でした。

人を呼ぶのなんてもってのほかです笑。

それでも毎朝やっている朝活のメンバーが東京に来ると言うのですから、これは集まらないわけにはいきません。

よし。それなら僕が企画しよう

至極当然の流れに身を任せた僕は笑、「お昼過ぎから深夜23時までの企画」を立ち上げました。(ほぼ一日)

結果的に計40人が集まるようなイベントとなり、大成功を収めました。

人が集まったからと言って、何か特別なことをやったわけではありません。

  1. 集まって
  2. ただ話しただけ

なのです。

それでも、その場はとても幸せで、

あぁ、こういうのがやりたかったんだよなぁ

と思って、ぼーっと見ていました。

いつものことながら、

だから褒めてほしい
だから感謝されたい

という感情は「無(む)」でした。

みんなの集まる機会があれば、それだけでいい

本当にその一心で、

  1. 企画を立ち上げて
  2. うまく行っただけ

で、僕は満足でした。

そ、そんなこと言って、本当は感謝されたかったんじゃないの?!

これがですね…本当にもう「どうでもよかった」んですよね。

自分の利益のこととか立場がほしいとか、そういうのを求めてやってたら、この企画はうまくいきません

僕は黒子に徹しておいて、あとはみんなが集まる場を提供するのみ。

それ以外にやることはありません。

せいじさん、こんな素敵な空間をありがとう

この言葉が欲しかったわけではありませんが、「やっぱりやってよかったな」と思う瞬間ではありましたね。

僕はその一言だけでも、

もう十二分なんだけどなぁ

と思ってしまったのです。

人が集まる場には、大きなエネルギーが流れる。僕はその場を求めて、ただただ企画を立ち上げるだけなのだ。

見ているだけでいい

こんな企画をしておいてなんなのですが、僕は別に、

  • 自分が誰かとしゃべりたくて
  • 自分がステージで演説をしたくて

人を集めたわけではありません。

僕は端っこで、黒子に徹していたい

これが本音でした。

目立ちたいわけでもなければ、褒められたいわけでもない。

ただただ、見ているだけでいい。

本当の本当に、僕は一体どうなってしまったのでしょうか笑。

以前の僕だったら、

こんなにやってあげたのに、誰か感謝しにこいよ!

とでも思っていたことでしょう。

でも今の僕は、それがいかに自分本位の考え方なのかが、よくわかっています。

ある意味「そういった気持ち」が色濃く出てしまった場合、人は逆に寄って来ないのですから面白いものです。

また、多くの人から毎朝の朝活に対して「感謝の印」として気持ちをいただいていました。

しかし、

せっかくだから、このお金をそのままレンタルスペース代に充ててしまおう!

と思いました。

なんという暴挙でしょう。

それくらい、今の僕は利益を求めてやっている気持ちは一切ないのです。

事業に関しては、成果報酬としてお金をいただくことも必要だと思っていますが、今回に関しては、

完全に自分がやりたくてやっているだけのことなんだが…

と思っていたために、

いやいや笑。お金をもらったとて、一体どうすれば??

と思ってしまったのです。

  • そのお金で投資でもするのか
  • はたまたちょっと贅沢でもするのか

否。

そんなことしなくていいのです。

だったら、みんなで使えるところにお金を使って、みんなが安く済むほうがいいに決まっています。

僕は、その「場」を作ること自体がすごく好きなだけであって、自分が何かをするために企画しているわけではありません。

利益度外視(赤字)でやり切って楽しむくらいのほうが、今の僕は「やりがい」を感じるのですね。

僕はいつからか、認められることよりもみんなが集まれる場を作るほうに、楽しさを感じるようになっていた。自分のことなんて「いい意味で」どうでもいいのだ。

僕が先に求めているもの

さて、集まりでいろんな方から聞かれたのは、

せいじさん、これ、いつかやめたりするの?

という質問でした。

当然、僕がこの世から消えたらやらなくなりますし笑、僕のやる気がなくなってもやらなくなるでしょう。

言い方は悪いですが、僕の裁量次第で、

  • やる
  • やらない

を決めることができます。

どうしてもダルい人が出てきたり、めちゃくちゃ忙しくなったりしたら、もうやめるでしょうね笑。

どんなサービスだって、なんだかんだ言ってそのような同じ運命をたどるようになっています。

みなさんも、

あれ?昔はあったはずのサービスなのに、今はない

と感じるものは、たくさん思い浮かびますよね。

そうやって世の中では、ありとあらゆるものが淘汰されていっています。

では僕の求める形とは?

そんなもの、僕ができることをただ淡々と続けてゆくだけのことです。

僕が求めていたのは、こうして「みんなで集まること」でした。

みんなが酔っ払いながら、ワイワイしながら話して「楽しかったよ」と言って帰っていく。

これ以上に楽しい時間なんて、ある?

いつもそう思うのです。

あえて何か、特別なことをするわけではない。

ただ、そうした空間を「至高の時間」として位置付けておくこと。

僕が進む先なんて、これ以上にないのです。

大学時代、英語のキャンプに出た時も、

これを事業にできたらな

と思っていましたが、現在「英会話ができる場」を作ることができました。

「その規模が大きければ大きいほどいい」のではなくて、

自分が心地よく感じるかどうか

が大事なのです。

規模が小さくても、大きくても、

  1. 自分のやりたいことをやり
  2. 自分の会いたい人と会って
  3. その人たちが幸せそうにしていればそれでいい

のです。

今回の集まりは、ある意味僕の目指す完成形でもありました。

「それ以上を目指す」ということを想定しますと、

利益のことを言っているの?規模のことを言っているの?

と思ってしまいます。

本質はそこじゃない。

僕は自分の周りの人たちが幸せそうにしていれば、それでいいのです。

もちろん、その輪が広がることはいいことですが、無理をして広げたり、利益を優先したりなんてしなくていい。

僕が求めるものとは、いつでもみなさんの笑顔なのです。

どういう形が僕の理想形なのだろう。それは結局、規模感や利益の話ではなかった。むしろどんな大きさであれ、好きな人たちが幸せそうにしていればそれでいいのだ。

おわりに

僕は以前に比べると、本当に自分のことなんかどうでも良くなってきました笑。

それは別に自分を卑下しているわけでもありませんし、投げやりになっているわけでもありません。

そんなことより、みんなが楽しめる時間を提供することだろ?

常に僕は僕に、こう言い聞かせています。

でもそれが、結果的に僕の最大の幸せとなるのですね。

それではまた!

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