こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、年末ということを口実に、友人たちと東京で会いました。
あまり月や年の変わり目に興味のない僕も、
と思って企画をしました。
僕は昔から目立つことがキラいというか苦手でして笑(ダンスの舞台や教壇に立つことは別)、人に褒められても、
と、謙虚なのか恥ずかしがっているのかわからないような、しょうもない反応しかできませんでした笑。
それでも僕は、なぜ人を集めることが好きなのか。
今日もまた「人との集まり」について書いていきます。
端っこでいい
何度か書いたことがありますが、僕はあまり目立つことが好きではない割に、端っこで、
という謎の性格です笑。
先生という経験もあってか、
- 生徒のための場づくり
- いつでも生徒たちが主役
という感覚を持っていて、「黒子」のような役割に徹するクセみたいなものがついてしまいました。
なぜ目立つのが苦手かと言えば、どこかで小っ恥ずかしくなってしまうからだと思っています。
確かに企画したのですから、褒められたり感謝されたりするのは一般的です。
それでも、わざわざかしこまって「ありがとうございます」と言われますと、
と思ってしまうんですよね。
ちょっとキレイごとに聞こえてしまうかもしれませんが、本当にそうなのだから仕方ありません。
- 企画もするし
- 人も集めるけれど
とにかくみんなに楽しんで欲しいだけであって、僕自身は目立たなくていいのです。
でも僕自身は「楽しみたい」わけですから、ポジションが難しくなってきます。
ゆえに、
と思ってしまうんですよね。
あまのじゃくのように聞こえますが、こうした性格というものは人それぞれですからね。
僕には僕なりの貫くべき道理みたいなものがあって、それに従ってただただ企画をするだけなのです。
人生をとにかく楽しむために
僕はこうして毎日しこしことブログを書いては言語学習をし、たまにルーティンワークとしてダンスやランニングをしています。
すると、
と言われてしまいそうな時もありますよね笑。
とはいえ、
- 教員も経験したし
- 世界一周もしたし
- 個人事業も始めたし
と考えるわけです。
すると、このブログのテーマである「幸せ」を考えるようになります。
それが人との出会いであり、僕が大学生くらいの時から大事にするようになっていたことでした。
しかし世界一周から帰ってきますと、ずっと参加していた英語のコミュニティが下火状態となっていました。
余計なお世話かもしれませんが、
と感じ、「自分の幸せのためにも」と思って朝活をスタートしました。
もうすぐで300日ほど(2024年12月現在)になりますので、よく続けてきたほうだと思います。
でもこの「続けてきた」中に、
- 信頼関係
- くだらない話
- お互いの身になる話
などが、ずっと積み重なっていました。
それは何より、
という、そのためだけの「伏線」でした。
その日はとても楽しかったですし、たくさんの人から感謝されました。(もういいって笑)
でももうみなさんの気持ちは受け取っていますし、再度申し上げますが” 感謝されたくて” 人を集めているわけではありません。
ただただ、「何が幸せなのだろうか」を突き詰めた結果でした。
中高時代は友達もあまりいなくて、大学時代あたりから、いろんな人と繋がることの大切さを実感し始めました。
特に大人になりますと、どんどん「自分の家庭」だけで生活が終始するようになり、広がりが生まれることがなくなってきますよね。
それが悪いと言っているわけではありませんが、僕個人としては、
という気持ちが強いのです。
- 大人になってから
- 独り身になってから
- 仕事を辞めてから
この領域に達したのですから、人生とは長く時間がかかるものですね笑。
みなさんのおかげでとても幸せになり、
と思うようになりましたね。
苦しい姿やしんどさは見せない
ここからは僕の美学でもあるのかもしれませんが、
という、まるで『動物が自分の死を悟った時』に見せるような、そんな行動をしてしまいます笑。
まず大前提として、仮に僕から、
と言われても、イヤですよね笑。
聞いている側としては、
となってしまいますよね。(逆の立場になればわかります)
これは僕の「信用」にも繋がってくることです。
だから、
- 誰よりも頑張るのだけれども
- ツラいとかしんどいとか決して言わないこと
これが僕の通すべき信条なのです。
というか本当にそんなことはないからこそ、ネガティブな言葉が口から出てくることはないんですけどね笑。
というアピールは、
- 構ってほしい
- 感謝してほしい
- マウントを取りたい
という気持ちから来ています。
単純に「頑張る姿」を見せることはいいことです。
一方で上のような気持ちがある人は、言葉尻でなんとなくわかるものです。
そう思うなら、やるべきことは至ってシンプルなこと。
グダグダ言いながらやっていたって、誰も近づきません。
このように飄々としているほうが、誰だって「接しやすいこと」は間違いありません。
そもそも毎回「波」があったら、朝活を毎日やることなんてできやしませんからね。
- いかに淡々と
- いかに自分のために
- いかに誰かのために
続けることができるか。
それが一番大切なことです。
その結果として、
そう信じています。
これは決して「僕の人柄」だけで決まることではなくて、
- 僕が何をして
- 僕が何を発言して
- 僕が何を頑張っていて
- 僕が誰のために生きているか
という要素を、総合した上で決まるものです。
だから僕は、しんどい姿や苦しい姿なんて見せません。
そんな時が来てしまった暁(あかつき)には、多くの人が離れていってしまうでしょう。
感情に訴えて人を集めるようでは、持続可能な関係は築けません。
いつでも淡々と、平静にものごとを行なっていくのです。
おわりに
ここにくるまでは、本当に長い道のりでした。
僕は昔、本当にイヤなやつでしたからね笑。
ここまで淡々とできている自分に驚いていますが、それは何より “いろんなこと” を経験してきたからなのだと思っています。
僕はいつまでも、「自分の幸せ」を求めて頑張り続けるのだと思います。
それではまた!
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