30代教員がジェンダーについて考える【排他的ではなく包括的に】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)

学校の先生をしていますと、生徒の中にも「性に関する悩み」を持った生徒もいて、難しい部分もあります。

僕はワンピースの「ゾロ」という三刀流のキャラが好きでして、

  • 男らしい
  • かっこいい
  • 漢の中の漢

と、僕が憧れる「漢」の理想像、あるいは「完成形」と言っても過言ではありません。

しかし、ひとたび教育現場に出れば、

男は強くなければいけない
女の子はかわいくなきゃ

といった表現は、歓迎されません。

現在は表現に十分留意しながら、その手の話題を話すことが多くなってしまいました。

今日は僕なりに考える「性」について書いていきます。

マイノリティを否定してはいけない。ただしそれならば、僕が思う表現方法も否定されるべきではないのだ。

マイノリティは昔からいた

この「マイノリティ」という表現自体も、微妙です。

何をもってマイノリティなのか?
まるで弱者扱いされているみたいじゃないか?

と思う人もいるためです。

僕が聞いた言葉で、とても印象的だったものは、

マイノリティは昔からいた。ただそれが徐々に表面に出てきただけだ

というものでした。

便宜上、マイノリティという表現を使いますが、「性に悩む人たち」は昔からずっといたはずなのに、気づかれていなかっただけだと指摘するものです。

社会全体が、男女で分けていたほうが都合が良かっただけのことです。

例えば、僕のように「典型的な漢」にとっては、心地よい世界かもしれませんが、

  • かわいくありたい
  • 化粧をしてみたい
  • 筋肉をつけたくない

という願望を持った男性たちには、生きづらい社会なのかも知れません。(かっこよくありたいと思う女性などもそう)

しかし徐々に、白か黒かではなくいわゆる「グレー」の存在が、認知されてきました。

「個々人が好きなように生きて行くこと」を認め合えるような、そんな社会になってきています。(特に日本では)

大切なことは、それぞれの価値観を認め合い、否定しないことですね。

  • どっちともとれない性自認をしている人もいる
  • 男の中にも様々なタイプがいるし、女性の中にも様々なタイプがいる

だからみなさんも、「ありのままの自分」であればいい。

僕は男らしくありたい。

ただそれだけのことです。

いろんな形の「性」があっていい。否定せず、お互い認め合おう。

行き過ぎた主張は攻撃的になる

先日、ABEMA TVで「フェミニスト」についての議論がありました。

要は、行き過ぎた「〜イスト」がいるのだというお話です。

どの話題においても、「極論」はよろしくありません。

「自分の正義」を振りかざしているだけのことが、多いからです。

冒頭で述べた、僕の好きなキャラクターである「ゾロ」の生き方は、僕個人としてはとても好きな生き方です。

ちなみに「サンジ」というキャラクターは、

  1. 紳士的で
  2. 女性に優しい

という男性像をもっており、友人と話していますと「理想の男性像」が、個人で違っていることに気づきます。

とにかく、考え方や理想を押し付け合わないことですね。

つまり、なんでもいいのです。

一方で、「フェミニスト」たちを過激派だと感じるのは、

女性のほうが男性より偉い

と極端で乱暴な意見を、述べてしまう人がいるからです。

自分が掲げる理想は、自分の中にとどめておけばいい。

そしてその理想に向かって、

自分はこうありたい

と願い、自分を磨いていくことが大切なのです。

だから「フェミニスト」といった、

  • 派閥
  • 枠組み

などはなくてもよくて、それぞれが胸の内に「理想像」を抱き、邁進していけばよいのです。

自分の理想像は自分の胸の内に。押し付け合わず、自分の理想を目指していこう。

自由すぎてもいけない

昨今では、マイノリティの方々の人権を主張する一方で、悩んでいる人たち自身からも、

そうした当てはめ方(=LGBTなど)はやめてくれ

という意見があります。

当事者である方々からすれば、本音は、

そんなもの、そもそもないのだ

と言いたいのかもしれません。

もちろん、「不公平な社会の是正」のために運動している方々もいますので、一概に否定することはできません。

まだ途上段階でしょうから、様々な意見が出てくることは仕方のないことなのかもしれません。

ただ一方で「自由を掲げること」も、危険になることがあります。

自由だからなんでもごちゃ混ぜにしてよい

という発想ですね。(本当にやめてくれ)

男女という「生物学的な性」が存在している事実は間違いなく、僕は「線引き」は必要だと思っています。

  • 男女のトイレ
  • 女性専用車両
  • 銭湯やサウナ

これらが男女で分けられているからこそ、”その中で” 自由に振る舞うことができるということも、また事実だからです。

  • 自由を求めすぎたり
  • 一緒くたにしてしまったり

しますと、結局また「押し付け合い」が始まって、乱暴な正義を振りかざしてくる人が出てくるのです。

枠に当てはめてもいけないですし、「線」を全部取っ払ってしまうのもよくない。

バランスよく保てるように、社会全体で取り組んでゆくことが必要ですね。

何においても極端は良くない。「自由」は一見すると正義だが、時には線引きも必要だ。

おわりに

人間はそれぞれの信念に基づいて行動しているため、「これは受け入れがたいな」という拒否反応が出てしまう時もあります。

でも、それは別に “自分の中にはあってもいい” ものなのかなと。

相手をすぐに否定せずに、

そういう生き方もあるのか
自分とは違った感覚だけど、とても興味深いな

と、人との違いを認めることもまた、社会を生きていく上で大切なことです。

「対立」や「正義のぶつけ合い」をしていても、不毛です。

それぞれが思う「かっこよさ」「かわいさ」などがあっていい。

極端に走らず、自分を磨くことに専念して、居心地の良い社会を目指していきましょう。

それではまた!

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