こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近はよくいろんな動画を見ていますが(以前にも書いたかもしれません)、また以下のような動画をみて(海外のものも含めて)、
と考えていました。
こうした振れにくい話題に限らず、ちょっと何かすれば意見をぶつけてくる人たちは一定数います。
こういう「〜イスト」に向けて言うわけではありませんが、こういう人たちは「人として大切なこと」が欠けているなと感じています。
今日は「柔軟に生きること」について書いていきます。
自分の意見を言うことは素晴らしいけれど
大前提として、
- 自分の軸を持つこと
- 自分の意見を言うこと
は、大切なことです。
しかしそれが行き過ぎてしまった時、「過激派」となって他を排除し、
と思って、排他的になってしまいます。
とね笑。
もちろん、僕だって自分なりの意見を持っています。
とはっきりと言うこともありますしね。
でも僕がはっきりと言う時とは決まっていて、そうした「行き過ぎた考え方を持っている人たち」に対して意見を言う時ですかね。
と、自分の考え方を押し付けてくるような人たちです。
それにははっきりと「NO」を突きつけるようにしています。
世の中は、そんなに簡単なものではないからです。
意見を持つことそれ自体はいいことですし、
と思うことは悪いことではありません。
しかしそれが、どうしても「自分の主観に基づいている人」が多いのです。
人の「好き/嫌い」はあってもいいのですが、
と言うことは、常に「誰かを認めていない」ということを意味します。
「意見を持つ」とは、自分の正しさを証明することではありません。
- 客観的事実を収集し
- 自分なりにいろんな視点から考えて
- 相手の立場を尊重しながら発言すること
です。
基本的に「押し付けること」は、そもそも相手のことを尊重していません。
意見を伝えながら、相手と一緒に「あぁでもない/こうでもない」と議論することです。
それが「自分なりの意見」を持つことであり、その上で初めて議論ができるのです。
「こうあるべき」は狭い考え方
「〜イスト」の方々が全て悪いというわけではないのですが、特に過激派の人たちは、「〜であるべき」という言葉を使ってきます。
僕が見たアメリカの討論番組では、
と、女性が熱弁していましたが、心理学者である男性が見事に(しかも丁寧に)返答していました。
日本語の解説はこちら。↓
別に彼女を否定したいわけではないのですが、現実世界では「様々な要素」があるということを念頭においておかなければなりません。
「男女の性差なんてない」と言ってしまえば、競技だって男女別にはならないですし、トイレだって一個になるかもしれません。
そんな考え方は棚にあげておきながら、
と言うのは、あまりにも傲慢すぎます。
世の中には、確かに人種差別を平気でする人もいれば、ジェンダーの差で不公平な経験だってするかもしれません。
しかし、その「不公平だと思われる部分」だけを “切り取って”「自分の意見(笑)」を言うのは、あまりにも浅はかすぎます。
もっと自分たちで行動しないといけない部分だってあるでしょうし、実際世界には理解のある人たちだっています。
それを全部無視して、
と言うのは、世の中で頑張っている女性たちにも失礼極まりありません。
他人の意見を受け入れようとせず、自分たちの主張したいことだけを主張する。
こんな理不尽が、まかり通っていいはずがありませんよね。
もっと広い視野を持ち、
- どこが不平等で
- どんな要素が絡んでいて
- その課題をどう乗り越えていくのか
が大事です。
もちろん、
なんて、僕は思っていません。
それは事実として存在し、女性に限らず社会的弱者が「不当な扱い」を受けてきた歴史もあります。
でも自分の立場の「弱さ」だけを振りかざし、
と言うだけ言って、他人に耳を傾けなければ、その人も今までの差別主義者たちと同じなのです。
弱い立場の人たちが立ち上がることは素晴らしいこと。
ただそれが、「世界はこうあるべきだ!」という信念に基づいているのならば、また差別を生むだけです。
大切なのはいろんなあり方や生き方を認めることであり、人に強要しないことです。
人に思想を強要している時点で、その人も立派な “差別主義者” なのです。
自分の人生に集中すること
他にもいろんな動画を見漁っていましたが、
- フェミニスト
- トランスジェンダー
など、その人がその人らしくあればいいだけなのに、思想が行き過ぎてしまって、
なんて言い出したりします笑。
例えば僕は生物学的な「男」ではあっても、かなり特別な手術を受けなければ、肉体的に(あるいは脳なども)女性になることはできません。
だからこそ異性に対して「敬意」があって、「女性らしさ」あるいは「その人らしさ」も尊重しています。
「狭い考え方」にならないためには、とにかく本を読んだり人の話を聞いたりして、いろんな情報を取り入れておくことが大事です。
「自分に足りない知識」なんて、いくつになってもあるものですからね。
柔軟に、広く考えてみることですね。
僕もそうしたジェンダーや社会的役割についての動画を見ることもありますが、だからと言って、
- 社会はもっと平等であるべきだと思ったり
- その人たちの気持ちをわかったつもりになったり
することはありません。
平等を求めることが大意ではなく、「自分がどうありたいか」のほうが大事だからです。
行き過ぎて「自分の受けた不平等さ」だけを主張している人は、他の人の置かれている状況なんて見ようともしないでしょうし、いつまで経っても「悲劇の主人公」でいたいだけです。
大切なことは、不当なことに対しては真摯に立ち向かっていきながらも、それ以上に自分の人生に集中することです。
その人がどうありたいかが大事なのであって、「認めてくれない世の中」にずっと文句を言っているだけならば、その人は一向に前に進むことはできないでしょう。
- 情報を取り入れ
- 偏った考え方にならず
- 相手に自分の考え方を強要せず
- 誰よりも自分らしく生きていくこと
これが大事ですね。
僕は今日も、自分らしく生きていきます。
おわりに
この手の問題はとても難しくて、僕は男性で当事者でもないため、意見する権利なんてないのかもしれません。
ただ、行き過ぎた意見に対しては、はっきりと「違う」と言いたいと思っています。
そうした人たちに「声を上げるな」と言いたいのではなくて、「声の上げ方」が問題なのかと。
どうあってほしいのかよりも、自分がどうありたいのか。
他人の意見を聞かずして、自分たちの意見だけを主張するだけではダメです。
ちゃんと広く柔軟に考えていきましょうね。
それではまた!
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