こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、後輩たちと一緒に仕事をした話を、記事にしました。
今回業務を担当していた後輩は、少し経験があったからなのか、サクサクと資料を作ったものの、ミスが目立って何度も手直しをする羽目になっていました。
そして卒業式の日には、別の業務の担当(プロジェクトのまとめ役)になっていたはずのその後輩が、事もあろうになんと正門でしなくてもよい「立ち番」を勝手にしており、事前の説明会に顔を出さないという大胆なことをやってのけました。
グループリーダーと、サブリーダーである僕は顔を合わせて、
と慌てて、「とりあえず僕らで説明しちゃいましょう」と姑息な手段を使って、30名ほどの先生たちを相手に説明をし、ことなきを得ました。
正門から帰って来た後輩は、
と言い、僕は「これはいけない」と思い、指導することにしました。
今日はそんな後輩の指導法について書いていこうと思います。
指導するほうもエネルギーを使う
以前も「後進教育」について書きました。
みなさんも経験があるかと思いますが、大人になってから「大人を叱る」というのは、それなりにエネルギーを使います。
僕もその後輩とはそれほど悪くない関係を保っていましたので、
と悩んだものでした。
今回の事前説明会では、
- そもそもその後輩が説明する役だったということ
- 急遽グループリーダーに説明をさせたこと
- 僕もリーダーもおかげで困ってしまったこと
などを伝え、
と、後輩にそれとなくほのめかしたところ、後輩はリーダーのところまですっ飛んで行きました笑。
それでも僕は、なんとなく釈然としなかったため、後輩の席まで行って改めて伝えました。
本来であれば、あの事前説明会は君が『説明する役』だったよね?一言もないと『誰が説明すればいいんだ?』ってなって、僕らだって集められた先生たちだって困っちゃうからさ。次回は気をつけてね
と言ったところ、
と平謝りされました。
僕としても、叱らなくていいのであれば、できる限り叱りたくはありません。
しかし、誰にも言われないままその後輩が育ってしまった場合、後悔するのは本人だと思いましたので、僕のほうから柔らかくですが真剣に伝えました。
「生徒と先生」という関係であればやりやすいのですが、20代半ばの人に指導することは、
- プライドも傷つけますし、
- 関係が悪くなってしまう
こともあります。
人前では注意せずに後輩の席まで行って静かに指導したので、その点においてはよかったかと思いますが、その後輩が僕のことをどう思っていたのかまではわかりません。
ただしそれは、僕にとってはどうでもいいことです。
それはアドラー心理学の「課題の分離」という考え方に基づいています。(後述します)
結果的に多大なエネルギーを費やしましたが、「僕が言うべきだ」と思ったために素直に後輩に言うことができました。
「生徒」と「後輩」は違いますが、下の世代に対して「間違っている」と伝えることは、いつになっても大変ですし、難しいものですね。
課題の分離とは?
僕がその後輩のことを良くも悪くも気にしないのは、「その人の人生は、その人のものである」という考え方に起因します。
名著「嫌われる勇気」では、
「あなたを嫌うことを決めることは、相手の課題であり、あなたの課題ではない」
という趣旨の言葉が載っています。
まさにこの言葉の通り、後輩が成長しようが成長しまいが、それは全て後輩自身に委ねられます。
そう考えてみますと、僕が指導したことは1つのきっかけに過ぎず、そこから後輩が変われるかどうかは、僕の力量の及ばない部分なのです。
特に強くそう思ったのは、その後輩が僕に注意された直後の時のことでした。
と、言い訳をしているわけではなかったのですが、
「自分はここまで頑張ったのに、他の先生に台無しにされた」
という話にすり替えられていたのです。
- 「人の話を聞いてないのか?」
- 「自分の失敗をちゃんと考えたのか?」
- 「コイツは今回のことを反省してないぞ?」
と思ってしまいました。
だから、
と、いい意味で割り切ることにしました。
もちろん今後も業務の引き継ぎとして、あるいは先輩としては言い続けますが、後輩が成長できるかどうかは僕が悩むべきところではありませんので、ただただ成長を見守っていこうと思っています。
この「課題の分離」という感覚が身につきますと、叱った後で「後輩にどう思われているのか」を気にしなくなります。
その人が、
- 先輩からの有益なアドバイスと捉えるのか
- 口うるさい先輩だと煙たがるのか
は、その人自身が決めることだからです。
僕は仕事として立場上指導したまでですから、義務は果たしたのではないかなと思っています笑。
あとは「言われた側」が、
- いかに問題を深刻に受け止め、
- 素直になり、
- 直そうと努力ができるか
にかかっています。
指導を入れる側は確かに気を使いますが、
- 「エネルギーを使いたくないから」
- 「嫌われなくないから」
と言って「間違ったところを指摘しないこと」は、怠慢です。
だから僕は、よりよい職場にするためにも身を挺(てい)して、後輩たちの教育に努めていこうと思っています。
フォローを入れること
後輩がこちらの指導を切に受け止めたかどうかは後輩に任せればいいことですが、厳しく叱った上で「嫌われてもいいのだ!」と意図的に関係を悪くしてしまうのも、それはそれでよろしくありません。
そこで僕は、指導した翌日、筋トレが大好きなその後輩に「プロテインバー」を買って行きました。
コンビニの、数百円のものです。
事前説明会の翌日でしたので、業務当日ですね。
その日の朝に、
というメッセージを添えて、机の上に置いておきました。
すぐに後輩が僕のところにやってきて、「ありがとうございます」と言ってくれましたが、本当に感謝していたのかは判然としません笑。
ただ、僕自身も若かりし頃、プロジェクトの取りまとめを任されていた日の朝に、先輩教師から「頑張ろう!」というメッセージ付きのお菓子をもらった経験があって、それが本当に嬉しかったのです。
あるいは「お疲れ様!」と缶コーヒーを置いてもらったこともありました。
と、当時は思えたのですよね。
今回は先輩という立場でしたが、
- 指導したことを埋め合わせたかったわけでも
- 先輩としていい格好をしたかったわけでも
ありません。
後輩にとって「よし、頑張ろう!」と思えるきっかけになってくれればいいなと思い、そうしてみたのです。
これもプラスに働いたのかどうかは、本人にしかわかりません。課題の分離ですね。
ただ僕が「そうしたかったからそうした」だけであり、僕自身の株を上げるための行為ではありません。
このような行動が僕の中で当たり前になってきたことは、ここ1年の一番の成長だと思っています笑。
- 無理に関係を修復しようと話しかけに行ったり、
- 先輩として格好をつけたり、
- 物やお金で解決しようとしたり
しても、それらは「無意味」ですし、むしろ関係を悪化させかねません。
そんな「うわべ」の付き合い方よりも、自然体で後輩を応援すること。
僕はあまり後輩が成長しているかどうかは気にしておらず、シンプルな指導を心がけています。
- 彼らの勝負の日には応援し、
- 間違った点や改善点については注意して、
- できた部分は褒めて、
- 終わったら「お疲れ様」と伝える。
失敗や間違いは、若い時に必ず経験しますからね。
と言ってあげることが大切です。
それは、自分も失敗してきた経験があるからこそ、かけてあげることのできる言葉なのです。
そんなシンプルな指導法を胸に、また指導を続けていきたいと思っています。
おわりに
たぶんこの後輩は、
- 今回で学んだこともあれば、
- 何もわからなかったこと
もきっとあるでしょう笑。
でも、それでもいいのです。
若い時はプライドも高いですし、素直に間違いを認められない後輩もたくさんいます。
大切なのは、そんなトガった後輩を温かく見守ってあげることです。
僕自身も昔はだいぶトガっていた時期がありまして、先輩たちも本当に苦労されていたと思います笑。
そんな僕のことを、放置せずにしっかりと向き合ってくださった諸先輩方…
彼らのことを思い出しますと、僕も「後進教育をしなければならない」という使命を感じるようになりました。
後輩を指導するのはエネルギーも要りますが、成長した後輩たちは爆発的な力を出してくれますし、いずれ大切な仲間にもなります。
まずは先輩教員である僕が与え、彼らにとってのびのびとできる環境を提供していくことが大切ですね。
生徒に限らず、職場の同僚も指導していきますね笑。
それではまた!
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