毎日ゆっくりとただし忙しなく生きていくこと【丁寧に生きる、再び】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

  • 睡眠
  • 運動
  • 仕事
  • 食生活

など、日本に帰国してから半年以上が経ち、再びルーティンワークをする毎日に戻しました。

その中で月に1度ほど、人に会いに遠出したりもしています。

忙しい毎日ですが生きがいがあって、

こんな生活をしたかったんだよなぁ

と思って毎日を送って生きています。

そうすると忘れてしまう、一瞬一瞬の時間。

ちゃんと毎日に向き合うことができているか。

改めて「丁寧に生きること」について書いていきます。

あなたは毎日を丁寧に生きているか。再び丁寧に生きることを意識してみよう。

毎日の当たり前に感謝

僕が国内のいろんな場所に行っていた2021〜2022年では、

雨の日に一人で佇(ただず)んでいる瞬間

に、涙を流したものでした。

「エキサイティングなイベント」があることも人生には必要かもしれませんが、僕は大人になってからというもの笑、「毎日の普段生活」のほうが楽しいことに気がつきました。

より重点を置くと言いますか、

  • 勉強して
  • 授業して
  • 動画を見て
  • インプットして
  • 言いたいことをアウトプットして

という時間のほうが圧倒的に楽しくて、

また今日も授業だ!頑張って教えよう!

と、水を得た魚ならぬ「バナナを得たゴリラ」のように笑、仕事を楽しんでいます。

  • 図書館でのブログ執筆
  • ほぼ毎日のインスタ投稿など

も、「誰かのためになっている」と考えながらやると、なかなかにワクワクするものです。

こう聞きますと、

なんだか面白味のない人生だな

と思われるかもしれませんが、僕はいたって真面目に「楽しみながら」毎日を生きています。

教員時代とは違って、どんどん「やりたいことにコミット」できるため、ストレスがほぼ「0」です。

たまにクラスに入ってくる「やる気のない小中学生」に若干腹が立ちながらも(その程度笑)、サッとブロックして「英語を教わりたい人」に向けて真剣に授業をしています。

忙しい毎日に対して、以前に比べてその幸福度は爆上がりしました。

こうして「毎日に幸せを感じることができること」は、『最強』です笑。

一方で、そうした「繰り返し」の中、つまり「忙しさ」を言い訳にしてはいけませんよね。

その日々にこそ感謝し、毎日の「奇跡」に感謝しなければなりません。

それは「毎日ありがとうと言う」とか、そういう「形にできること」という意味ではありません。

もっと潜在的に感じるようなことですね。

毎日が送れていることに感謝しよう。毎日幸せならハッピーだ。

繰り返しの中にこそ幸せを

繰り返しは「ルーティン」とも言われ、僕の成長にとってはなくてはならないものです。

ただ、忙しさにかまけて、

あっという間に今年が終わってしまった…

では、ダメなんですよね。

そこに、

  • 挑戦
  • 変化
  • 成長

などが介入してこないと。

同時に、毎日に変化がなかったとしても、

いかに丁寧に生きることができるか

を問うこともまた、「大事なこと」なのだと気づきました。

僕が感じる幸せとは、「beingの幸福」としての幸せでもあり、

今自分がここにこうして存在し、生きていること

に感動して、感謝することがあります。

もちろん、授業をしているときはアドレナリンも出ていますから、それは「doingの幸福」でもあります。

それでも、こうした「日々の繰り返し」の中では、

あぁ今日も一日いい日だったな

と感じることのほうが多いですね。

もちろん、学校の先生をしていたときも授業は楽しかったですし、たまにあるイベントも盛り上がったものでした。

ただ、「仕事」として続けてしまいますと、

  1. それが当たり前となり
  2. 感謝することがなくなってしまう

という状況になり、そのほうがよっぽどつまらない毎日となってしまうことでしょう。

  • 自分の仕事だろうが
  • 家庭の日々の生活だろうが

そこに価値や良さを感じることができなければ、ずっと「doingの幸福」にばかり目を向けてしまうことになりかねません。

毎日を丁寧に生きるようになった僕は、1つ1つの授業もそうですが、

  • 作業
  • 食事
  • 運動
  • カラダ

など、動作に注意を払うようになりました。

それくらい、一瞬一瞬が貴重であり、愛しくて尊いのです。

どうやって毎日を生きていくか。

毎日ブログを書いて3年以上が経ちますが、おかげで自問自答する毎日です。

でもこれこそが、僕が求めていた日々。

毎日、毎動作、丁寧にこなして生きていくのです。

繰り返し行う動作は適当になっていってしまう。そこにこそ幸せや丁寧さを求めよう。

毎日幸せだったかを確認しよう

大切なことは、「毎日が幸せであるか」と問うことです。

少なくとも、ここ1週間が幸せであったか

こんなことからスタートしてもいいでしょう。

  • ストレスを感じている
  • 毎日があっという間に終わっていく

という人は、「ただただ時間を浪費している」だけに過ぎません。

僕も以前はそうでした。

いかに働いていない時間を自由に(怠惰に笑)過ごすか

こういう意識とは面白いものでして、

  • 仕事にも
  • 人間関係にも

影響を与えます。

まさに「一事が万事」ですね。

それが幸せなんだ

という人とも何人か会ってきましたから、それもまた1つの正解なのだと思います。

ただ、個人的にはあまり楽しくなくて、漫然と人生を過ごしているような、そんなイメージを持ってしまいます。

それは僕が昔そうだったからであり、振り返ってみれば「非常にもったいない時間」を過ごしていました。

ブログを始めてから、

どうやって時間を確保しようか?

と考えるようになり、読書や運動、食事など生活全体が本格的にルーティン化されました。

同時に「幸せ」も探すようになり、いろんな点において人生が好転するようになりました。

「毎日自分と対話をすること」をルーティンに入れ込みますと、毎日を適当に過ごさなくなってきます。

自分が毎日何を思い、どう感じ、生きているのか

を、自問自答するからですね。

この繰り返しは、僕の人生を「丁寧に生きるもの」へと変えてくれました。

適当に生きていた過去の僕のように、今でも「忙しい」「怠けたい」という言い訳から、漫然と毎日を送っている人もいるかと思います。

ここでは別に正解を提示したいわけではなくて、

適当に生きていると、あっという間に人生が終わる

ということを伝えたいのです。

僕が特に一人でいろんなところを回っていた時期(2021〜2022年)ですが、今でもその時の情景が鮮明に甦ります。

あのときはしんどかったけど、毎日を必死に生きていて本当によかった

と思っています。

次の年を迎えたとき、みなさんは後悔とともに迎えますか。

それともまた頑張ろうという新たな気持ちを胸に頑張りますか。

僕は毎日フルスロットルです笑。

  • 丁寧に
  • 感謝して

生きているから、毎日が楽しいのです。

毎日を漫然と過ごすことなく、丁寧に過ごしていこう。それが僕なりに出した「生きる」という意味なのだ。

おわりに

忙しい毎日や、辛い日々など、人それぞれ事情はあるかと思います。

僕も人に自慢できるような人生ではありませんが、

  • 何も考えずに生きていたり
  • ただただ批判的に生きていたり

したものでした。

そんな風に生きている人は要注意ですね。

人生は、自分でいくらでも切り開けます。

解答は人それぞれ。

自分なりに毎日を丁寧に生きていきましょう。

それではまた!

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