こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、オススメされた「冒険の書」を読み始めました。
AI時代についての話かと思いましたが、前半はガッツリ「教育」に関してです。
僕が教員採用試験を受けた時に勉強した、著名な哲学者たちの言葉の引用から始まり、
「いかにして教育が作られてきたのか」
が書かれていました。
僕が教員を始めたのも、辞めたのも、
と思ったからです。
今日は「画一的な社会を作ろうとする教育」について書いていきます。
なぜ教育は変われないのか?
本書は意外にも固い内容ですが、教育を学んできていない人にとっても読みやすい内容です。
昔の人々は、実は子どもを「使えない人材」として捉えており、ストリートには子どもの亡骸が横たわっていた時代もありました。
それから、「守られる存在」として子どもを見なしたことがきっかけとなり、
- 学校
- 教室
- 学年
といった「枠組」が作られるようになりました。
以前から僕は、教育が年齢によって区切られることに疑問を抱いていました。
大人だって学び直したっていいですし、子どもたちだってどんどん先に進んでいい。
「どの年齢で〇〇をしなければならない」
という縛りがあること自体、いろんな可能性を潰してしまっているのではないかと思っています。
これは日本に限らず、世界的にいまだに学生たちを「学ぶ存在」として捉えています。
本当はもっと自由に、学びたい人がいろんな時期と場所で、学びたいように学べばいいと思っています。
僕はいつもそう思っていますが、それは「変わらないほうが楽」というシンプルな感覚に基づいています。
いわゆる「現状維持バイアス」というやつですね。
日本に関しましては、
- 上の人間が動かないこと
- 組織として定着していること
が、「現状を維持しよう」という気持ちを助長してしまっています。
ある意味、「組織という大きな塊」のトップが「鶴の一声」で組織を動かせば、組織が一気に動き出すはずなのに、です。
それでも動けない、動かない。
最たる例は「コロナ禍」でした。
- 始まらないオンライン授業
- ムダだとわかっていて使う紙
- ずっと変わらない木の机と椅子と黒板
少しずつ改善はされていますが、やはり民間に比べて圧倒的に遅いですよね。
「変わらないほうが楽」ですから、上はお金だけもらってリスクを取ろうとしません。
「変化」をすることで、ミスや間違いも出てきますからね。
でもリスクを取らなければ、変わっていくことはできません。
僕はこの「リスクを取らないこと」について、ものすごくイライラしたのです。
それは、「以前の自分」を見ているようだったからかもしれませんね。
枠組を取り払おう!
学校の枠組は、「子どもを守るため」という大義名分で成り立っています。
保護者たちの中にも、
といった「安心を買う感覚」を持っている人もいます。
過去の歴史から、「子どもは教育を受ける存在」という考えが定着してしまったことが、現代の教育に繋がってしまいました。
本書でも、「とにかく不要な枠組がある」という言及がありました。
その枠組をとろうとしますと、組織の上の人や組織に属している人から、
という反応が「必ず」返ってきます。
僕が確信を持って言えるのは、9年間教育現場にいて、多くの先生たちがそのような反応を示していたからです。
教育を変えようと思って現場に飛び込んでみましたが、
- 変わらない現場
- 変わろうとしない教師
- 従うことがすべてと思っている生徒
と、この悲惨な状況は何十年と続いていることがわかりました。
そう思えたのは、僕にとって大きな成長でしたね。
枠組をとっぱらった教育機関を作ること。
あるいは、誰もが自由に学べるようなサービスを作っていくこと。
そうやって、僕自身がリスクをとって変わっていけばいいのです。
それに気づくまでにも、だいぶ時間がかかりました。
他人任せで教育が成り立つわけがありません。
違うと思ったのならば、自分が変わっていけばいい。
文句を言わずに、リスクをとって変えていきましょう。
画一的な人材を作るのはやめにしよう
「枠組を作る」ということは、「型にハメる」ということも意味します。
それが取り払わられない限り、同じような生徒たちが生まれてしまいます。
もちろん、教育現場にいたからこそ、
と言うこともできます。
しかし、大枠としての「画一的」という言葉は間違っていないと感じています。
本当は多くの生徒が「もっと」頑張れるし、「もっと」自由に創造的に、教育機関の枠から飛び出して活躍することができます。
それにストップをかけてしまっているのが、皮肉にも「今の教育」なのです。
組織や機関としての学校はあってもいいのですが、
- クラス
- 年間計画
- カリキュラム
などは、正直生徒たちを縛ることになります。
それに甘んじているほうが、計画が立てやすく、お金も徴収しやすい。
そして保護者にも納得してもらいやすいですし、教育者たち自身も自分を納得させやすいのです。
だからこそ、この教育機関が変わることが、一番大切なことだと思っています。
ただ何度も言うように、人や組織はそう簡単には変わらないし、変われない。
それなら「遊撃部隊」として、
- 自由に学びたい
- 自由に学ばせたい
と思う人たちが、勝手に教育を始めればいい。
そのように思った人たちが、既に民間で教育をしているのだと思います。
実際、教育現場は縮小が進み、どんどんその「枠組み」は小さくなっていっています。
もう時代に合っていないのです。
ただ、まだまだ義務教育の現場や、公立の学校は残り続けます。
彼ら(現場も上も)が、今後どのようにして生徒たちにアプローチをかけていくのか。
そのスピードが遅ければ遅いほど、生徒も保護者も愛想を尽かせて民間に移動していくことでしょう。
教育が今後の日本の未来を変えていきます。
だからこそ、僕は現場を離れ、自分なりに「枠のない教育」をしていきたいと思うのです。
おわりに
教育は国も世界も担っていると思っています。
それくらい、教育現場はとても大切な機関であり、そこが変わらないのだとわかったので、すぐに環境を変えることが僕にとっては必要なことでした。
これからの教育を変えていけるのは、現場にいる人たちだけではなく、この社会にいるすべての大人です。
以前受けた教育に文句を言い続けるのか、それともこれからの若者たちと一緒に社会を変えていくのか。
僕ら大人にも、その責任は重くのしかかっていることを忘れてはいけません。
今後が楽しみですね。
それではまた!
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