謙虚でありつつも自信を持っていくこと【人を引き寄せる人柄】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちと話していたところ、

立場が上になって調子に乗ってしまう人っているよね〜

という話になりました。

僕自身がそうであったように、あるいは「先生たち」がそうであるように、勘違いをして、

自分はすごい存在なのだ!

と思い込んでしまう人がいます。

自信のない方が「自分はできるんだ!」と思うことと違って、どこか調子に乗っていると言いますか、「エライんだぜ?」と思ってしまう人のほうを指します笑。

今日は、謙虚でありながらも自信を持つことが、「人を引き寄せる法則」になるということを書いていきます。

謙虚でありながらも自信を持つこと。実は同時に存在しないように見えて、共存するもなのだ。

勘違いをしないこと

僕は大学生の頃、ダンスサークルに所属していました。

経験のある方ならわかるかと思いますが、あの集団はなぜか大学4年生が神格化されており、まるで「すごい人」として崇め奉られています笑。

いやいや、フツーの人だろ…

と当時は思っていたものでした。

「尊敬」という意味では、ダンスのスキルも素晴らしく、間違いない人格者もいました。

それでも中には調子に乗っていた人もいて、僕は彼らを「反面教師」とすることにしました。

自分が4年生に上がったときに、

  • 偉ぶったり
  • つけあがったり

しないようにするためです。

また幸いなことに、僕がやっていた「ブレイクダンス」というダンスジャンルの先輩は、素晴らしい人格者で、かつとても謙虚な方でした。

こんな風になりたいなぁ

と思っていました。

どこかのコミュニティに所属したり、組織に所属したりしていますと、年次を重ねることで立場が「上」になってきます。

確かに経験があるからこそ教えられることもありますし、厳しい指導の中に愛がある方もいらっしゃいます。

ただその人のことを「インフルエンサー」のように扱ってしまうと、当人が勘違いしてしまうことがあります。

俺/私ってもしかしてすごい?!

「自信」という意味ではいいことなのですが、その権力を振りかざしてしまうことに問題があります。

ホンモノ」の人は、チヤホヤされる経験をしてきたため、どう振る舞えばいいのか経験上わかっており、謙虚で腰の低い人が多いです。

しかし一方で、一気に「駆け上がって」しまったり、周りが囃(はや)し立てることで偉い立場になってしまいますと、勘違いを引き起こします。

大切なことは、いつでも「自分は何者でもない」と思い続けることです。

おかげさまで僕は、サークルで4年生に上がった時も、謙虚さを忘れずに後輩たちと接することができ、とてもよい関係を築くことができました。

どんな立場になっても勘違いをしないことだ。自分はあくまで普通の人間であるということを肝に銘じておこう。

自分のやるべきことを貫くこと

僕はさまざまなコミュニティに属しており、英語やブログ、交流目的など多くの人と関わる機会が増えるようになりました。

ありがたいことにSNSでのフォロワーも、自分では想像できなかったほどの人数になってきました。

ここで気をつけたいことは、「他人からの賞賛」です。

なんども言いますが「自信につながる」という意味ではとても嬉しいことですし、それを励みに頑張ることができていることも事実です。

ただ「社会での見え方」を定義するのは、時に「他人」であったりもします。

あれ?自分のイメージが勝手に創り上げられてる?

ということも多々あるということです。

SNSの良いところでもあり、悪いところでもありますが、「自分」という人間像が広まることが想像以上に速いのです。

そこで、

  • 自分がどう見られているのかを気にし始めたり
  • よく見られようとして偽りの自分を表現してみたり

と、ざっくり「変なこと」をし始めますと笑、「本来の自分」がなくなってしまいます。

多くの人に見られること、あるいは一時的な「バズり」で持ち上げられてしまうこと。

それらによってさらに悪いことに、

自分は何かすごい立ち位置にいる!

と思い込んでしまう人は多く、

  • 他人を搾取しようとすること
  • 勘違いをして権威を振りかざすこと

などが起こり始めます。

それはあくまで「他人にコントロールされている自分」でしかないのです。

  • 他人が何と言おうと
  • 自分が世間でどんな評価をされていようと

自分のやるべきこと」を見失わないことです。

むしろ「本来の自分」を理解してくれる人たちから適切な評価を受けることのほうが、より良好な状態とも言えます。

  • 見られる機会が増えても
  • 褒められたり持ち上げられたりしても

もう一度、必ず「自分」に戻ってくること。

今後のためにも、自戒の念も込めて謙虚に実直に、自分ごとに集中していきたいと思います。

他人が自分を定義してしまい、その像が一人歩きすることもある。しかし自分のやることを変えずに、やり抜こう。

謙虚で自信があれば人は引き寄せられる

僕がダンスサークル時代に学んだことは、「謙虚であるほうが人から愛される」という、ごく自然な法則でした。

「謙虚であること」とは、自信がないことと一致するわけではありません。

能力があるのにもかかわらず、それを振りかざさないことを意味するからです。

人間、力があれば褒められますし、能力が評価されれば自信にもなりますから、「自負」も生まれます。

しかし一旦、そこで思いとどまってみましょう。

まだまだ上には上がいると思い、献身的に精進を続けるようにするのです。

  • ある程度の自信を持ち、
  • ずっと謙虚でいること。

この按配がとても難しいのですが、能力を振りかざして他人に自慢してしまうということは、その時点で「自分が一番である」と思って、成長をやめてしまうことになります。

「謙虚である人」は自分に自信があるからこそ、

まだまだ上を目指したい

と思うものです。

日々努力をしながらも、一方でその能力を誇示しなければ、その人に自然と魅力を感じるようになります。

  • 謙虚な先輩たちは後輩たちからもいじられ、愛されていました。
  • 鼻を高くしていた先輩たちはとっつきづらく、悪いうわさも立っていました。

前者は、単に「優しい」という簡単な表現ではないのです。

その先輩は、しっかりとやることもやっていましたし、本当にダンスがうまかったのです。

年次や経験もそれなりに「尊敬すべき点」になりますが、人としての核を成す部分が魅力的でなければ、人は寄ってきませんし本当の意味で「尊敬」されることはありません。

  • お金持ちでもひとりぼっちの人
  • 能力はあるけれど仕事が来ない人

などは、その典型例だと思っています。

何かに向かって努力をして、評価されて、自信をつけることは自己肯定感を高めるための王道だと思います。

ただ、そこに人としての「謙虚さ」が加わらなければ、愛されたり尊敬されたりすることはないでしょう。

勘違いをして、自分の能力がまるですごいかのように振る舞う必要はありません。

いつでも謙虚に、やるべきことに集中していけば、自然と人は集まると思っています。

謙虚さは、その人の能力以上に大切な要素だ。いつでも謙虚にいれば、本当の意味で「尊敬」されることになる。

おわりに

「ほめるとつけあがる人」はいくらでもいます笑。

大学入学前の僕は、そこまでではありませんでしたが、

「能力」の点で褒められたい

とは思っていました。

至極当然の「承認欲求」なのかもしれませんが、あまりにも欲しすぎてしまいますと、どこかの時点で人が離れていってしまいます。

最終的に大切になるのは、いつでも「」です。

自分の能力を過信したり、周りの人からの「褒め」に過敏にならないように注意していきたいですね。

気を引き締めていきましょう。

それではまた!

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