若手教員は教育の未来を担っている【僕が残りの教員人生ですべきこと】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

今日は生徒指導案件がありましたが、結論から言うと納得のいかないものでした。

それは、

  1. 対指導方針にも、
  2. 対管理職にも

です。

生徒指導については様々書いてきましたが、やっぱり僕の中には「確固たる信念」がありまして、それが人と違っていても、僕なりに貫いていくべきだと思っています。

今日はそんな生徒指導について、「この先生の指導方針は間違っているのだ!」と批判じみたことを目的とはせず、指導のあり方がどう変わっていくべきなのかを考えていきたいと思います。

そして残りの教員人生で、僕が若手教員たちに見せるべき姿とは何か。

書いていこうと思います。

学校の生徒指導のあり方

いくら大人になったとはいえ、先生たちも「人間」です。

僕が学生の頃は「先生には何を言ってもいい」という変な思い込みがあり笑、随分と辛辣な言葉を投げかけたものでした。

先生という職業を始めてからわかったことですが、10代の若い子からキツイ言葉をかけられることは、結構ツラいものです…

僕らはそんな「人間」であるからこそ、

  • 指導に乗らない
  • 言うことを聞かない
  • 生意気な

生徒たちには、腹が立ってしまうものです。

時にブチ切れたくなるのも、同じ立場としてよくわかっています。

しかし今回の件は、完全に先生の指導法が間違っていたと、僕は思っています。

僕の学校では「ブレザー&ネクタイ」を制服としているため、「ブレザーの下にパーカーを着てはいけない」というルールがあります。

その是非は置いておきますが、その指導は僕にとっては簡単なことで、「ダメだぞ、脱げ」でいいと思っています。

これが行き過ぎますと、脱がせるために「あの手この手を尽くしてしまう先生」が現れ始めます。

今回の件が、まさにこれです。

言うことを聞かない生徒にカチンと来てしまった先生は、あろうことか生徒とじ土俵に上がってしまったのです。

簡単に言いますと、「感情的になってしまった」ということですね。

なんども言いますが、それは仕方のないことです。

イラっとしないようにするのも、なかなか難しいのです。それはわかってあげてください。

その後の詳細はあまり書くことができませんが、ちょっと力づくで生徒を止めてしまったのですね。

今日の臨時職員会議では、

「その止め方は、学校として良くないのではないのですか?」

という意見が、他の先生からあがりました。

すると管理職の先生は、「仕方のないことだ」と言いました。

僕は直感的に「間違っている」と思いました。

学校のトップが「その指導法は、止むを得ないことだった」と言ってしまったからです。

そこで僕は質問をしました。

「ということは、そういう現場に出くわしたときは『そのような止め方をしろ』という認識でいいのですね?」

と。

するとお茶を濁されました。

僕は、もっと残念な気持ちになりました。

それ以上の追求はもう止めにして、天井を仰いで話を上の空で聞いていました。

ここには、2つの問題点があります。

先生と生徒は、敵同士ではない。

僕は「感情的になるな」とは言えません。

それは難しいことですし、僕もたくさんの経験をしてきたからです。

ただし、しっかりと持っておきたいスタンスは、

「先生たちは生徒の未来を考え、指導をしていく立場にある」

というスタンスです。

僕も若い頃は、「目の前のこと」だけに焦点を当てていたことがあり、生徒とドンパチやりあったことが幾度となくありました。

それによって信頼性は一気に崩れ落ち、二度と戻らない形になってしまったこともあります。

みなさんにも学生時代に経験があるかと思いますが、生徒は「この先生、マジで無理」となったら冗談抜きで本当に無理です。

今回の件に関しましても、

  • 指導を徹底してパーカーを脱がせることが大切なのか?
  • 長い目でみて、生徒と話し合って理解させるのか?

この2つを天秤にかけたとき、大切なほうは一目瞭然ですよね。

これがもし高校1年生となれば、あとの2年間、ずっと話すことができない状態となってしまいます。

先生は、時に厳しい一面を見せて「敵役」に徹することがあっても、「純粋な敵」とみなされてしまっては、もうどうにもならないのです。

「お前のことはわかっている」

という関係を作ること。

もちろん、本当にわかってあげることはなかなかできないですし、口先だけで言うのであれば生徒に見抜かれてしまいます。

しかし、

  • 普段から挨拶をして、
  • 話をしてあげ、
  • コミュニケーションをとって、
  • 理解することに努めて

いれば、生徒たちは自然と心を開いてくれるものです。

生徒たちから先生に話しかけることはなかなか難しいので、先生たちから気にかけてあげると良いですね。

今回は生徒にただ不信感を与えただけとなり、残念な結果となりました。

僕はこの指導を聞いて「僕の感覚とは合わないから、反面教師にしよう」と思ったのでした。

学校のスタンスは、若手にも影響する。

さらに残念なことに、管理職がこの指導法を「フォローしてしまったところ」にあります。

僕は管理職に、

「この生徒の止め方は、決して許されるものではなかった

と言って欲しかったのです。

生徒が言うことを聞かなかったことなんて、誰がどう見たってわかります。

それでも、生徒のほうが未熟なのは当然のことです。

確かにちょっと素行の悪い生徒だったかも知れませんが、いつも元気が良く、部活動も頑張っている子です。

僕は、先生の対応の仕方のほうがよっぽど悪かったのではないかと、そう思ったのです。

だから管理職には、「うちの学校は、そういうスタンスでやってはいない」と言ってほしかったのですね。

実はそれによって、その生徒だけではなく今後の未来を担う若手の先生たちも不利益を被ると思ったからです。

僕がまだ若かった頃は、そうした「強硬策」がまだはびこっていて、それが指導の厳しさだと教えられていました。

それからというもの、僕は立て続けに生徒指導に失敗したことを覚えています。

自分にも多分に原因はありましたが、「もっとうまく指導方針を示してほしかった」と思ったことも事実です。

もちろん、失敗から学ぶことはたくさんあります。

しかし、先輩教員と管理職たちが「この指導法でいこう」と言ってしまうのは、若手の教員たちに間違った思考を植え付けてしまうことになりかねません。

そのせいで無意味に若手教員たちが失敗してしまうことに、意味があるとは到底思えないのです。

若手教員も生徒と同じように、前を歩いている教員を見て学んでいきます。

文字通り「反面教師」として捉えてくれたのならばそれでいいですし、僕は何も「あなたたちの指導法は間違っていますよね?」と自分の正義を振りかざして、詰め寄りたいわけでもありません。

ただ、若手の彼らは「教育の未来」を担っていますので、

  • どういう指導が生徒の心に訴え、
  • どういう教師像があるべき姿なのか

を、正しく見極め、自分の肥やしにしてもらいたいだけなのです。

そこで僕には何ができるのか、考えてみました。

  1. 僕の背中を見せていくこと
  2. 若手と教育について議論をすること

これらを通して、教師としての「1つの例」を見せていくことが、僕の残りの教員人生の使命なのだと感じています。

先生と生徒は敵同士ではない。若手の先生たちは、生徒と自分自身の未来の両方を担っている。僕ができることは、その模範を示すことだ。

先生も人間。張りぼては見透かされる。

今回の管理職は、臨時職員会議においてとても強い口調で、「生徒は指導されるに値する」と言い放ちました。

しかし僕を含めた他の教員の方々に指摘されますと、お茶を濁してしどろもどろとなってしまいました。

管理職を残念に思っているのはもちろん、僕だけではありません。

先日話をした同僚たちも、ここ最近は同じように思っていたそうです。

先生たちも生徒と一緒で人間ですから、多くの先生が「管理職の言っていることとやっていることのズレ」に呆れています。

教員が集まる職員室に限らず、どの職場であっても張りぼては見透かされます

つまりこれは、大人同士でも起こり得ます

  • 口先だけの人
  • 何も考えていない人
  • 表面だけ取り繕っている人
  • 偉そうだけど何もしていない人

こんな人に子どもたちが付いて行かないように、大人たちだって聞く耳を持たなくなります。

  • 「また言ってるよ」
  • 「いつも口ばかり」
  • 「パフォーマンスだけは一丁前」

とひとたび思われてしまえば、もう信頼・信用を取り戻すことは不可能に近いです。

その人は今後も変わることはないだろうし、今までそうやって張りぼてを築きあげてきてしまっているからです。

だからこそ仕事においても、人間関係においても、大切なことは、

  • 誠実さ
  • 礼節さ
  • 情熱
  • オープンな心

など、人間同士の関わりとして原始的な部分だと思っています。

“You always say one thing, but do another.”

これは「言行不一致」を表す英文です。

今回見た光景は、まさにこの英文そのものでした。

  • 「生徒指導に核はあるのか?」
  • 「指摘されても曲がらない信念は、確立されているのか?」

先生として大切にしておくことはその部分であり、さらにその裏付けが必要です。

僕が以前勤めていた学校では、

「もし先生が力づくで生徒の指導に入ってしまったら、他の先生はその先生を絶対に止めてください

と、管理職の先生に言われたものでした。

それはそれで非常に難しいことでもありますが笑、それくらい「生徒に対する押さえつけはNGだ」という信念があったのだなと、今では理解することができます。

  • 先生も、
  • 大人も、
  • 社会人も、

誰だって子どもと同じように、その人の人柄や生き方に惚れて付いていくものです。

張りぼてを築くことなく、失敗している姿や惨めな姿もさらけ出して、生徒指導と後進教育に努めていきたいと思っています。

いくらパフォーマンスがうまくても、その人の言動の裏付けや信念が見えなければ、生徒も先生も付いていかない。
言行を一致させる先生として、若手の前を走って行こう。

おわりに

終わることのない、すずきによる教育論…笑。

僕自身の考えが正解であるとも言いづらいのが、教育の難しいところです。

結局は正解なんてないのですけれど、

  • オープンで、
  • 丸裸で、
  • 行動で魅せる

先生(人間)でありたいとは思っています。

現代の学校現場の若手は、伸び代のある先生たちが多いです。

今回の件で僕や周りの先生たちが指摘をしたことで、

「やっぱりあの指導法って、何か違うんじゃないかな?」

と考えてくれている先生が多いことを願っています。(もちろん、後日いろんな先生と議論もするつもりです)

まだまだ僕に残された課題は多い…

「全てを僕の思い通りの指導法にすること」は、正しいことではありまえせん。

ただ、「未来を担う若手の先生たち」ともっと議論を重ねて、教育界をよくしていこうと思います。

僕に残された時間は短い…

それではまた!

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