日本人としてのアイデンティティについて問う【過激にならない】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、こんな動画を見ました。

先崎彰容(あきなか)さんに関しては、恥ずかしながらこの動画で初めて知りました。

戦後の日本について学び始めている僕からすれば、

なるほど。行き過ぎた保守への回帰は、原理主義にもなりかねないな

と、ない頭を振り絞りながらも笑、先崎さんの話を1時間にわたって聞いてみました。

日本人が本当に求める「自分」とは何なのか。

僕なりの解釈を交えて、書いていきます。

古来の日本の良さを取り戻すには、緩やかで緻密な歴史の研究が必要だ。目の前の功利に飛び付かず、自分がどこからきたのかを学ぶことから始めてみよう。

僕が保守に回ったのはなぜか

ウィストン・チャーチルの言葉に、こんな言葉があります。

20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。

40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足りない。

僕がもっと若かった頃は、

多様性万歳に決まってんだろ?日本って遅れてるよな!

と、なかなかの過激(リベラル)っぷりでした笑。

今でも「ムダなものはムダ」とスーパー効率主義でもありますが笑、若かりし頃は「反社会的であること」がカッコいいと思っていたフシもあって、我ながらかなりリベラルだったと思っています。

少しずつ変わっていた理由としてあげられる点は、日本に対する「違和感」でした。

世界を回ってきたこともありますし、自分で確定申告をして税金について実感をしたこともまた、いろいろなことを考えるきっかけになったのでしょう。

日本のこの社会の「ひっそりとした侵略」のようなものに、ちょっと怖さを覚えていたのです。

日本って、このままでいて大丈夫なのか?
  • 増える外国人
  • 下がらない税金
  • くだらないマスメディア

これで生活が良くなっていれば話は別ですが、日本国民にストレスは溜まる一方。

今こそ、自分のルーツやアイデンティティを見直さなければならないのでは?

多くの自己啓発本を読んで、“表層的には” わかったような顔をしていた僕ですが、実際は、

「日本がどんな国でどう成り立ってきたのか」

については無知もいいところでした。

先崎さんが言うには、自己啓発とはアメリカにはフィットするような、そんな自己肯定感の向上のような要素があるようで、日本人である僕にとっては「一つの例」としてしか理解できていないのも、また事実でした。

だったら、今こそ日本の歴史や文学、政治について考えるのがいいのではないか?

そう思い立ち、

よりこの素晴らしい国、日本について知るべきだろう

と、40手前にして保守系となったのでした。

若かりし頃はリベラルで、反社会的な思想を持っていた。しかし年を取るごとにだんだんと自分のルーツや国としてのあり方に興味を持つようになったのだ。

だからこそ還るべき生活

僕がここ数年で、

  • 足るを知る
  • 清貧な生活

などを大事にするようになったのは、こうした保守的な思想の表れであるとも言えます。

「世界的な波に乗る」という意味では、iPhoneやMacを使い、リモートで仕事をしているのですから、

果たしてこれが保守なのか?

と言われますと、甚だ疑問でもありますけどね笑。

それでも僕が原点へと帰りたい

と思ったのは、日本がそうした「世界の大きな流れ」に巻き込まれていると感じていたからでした。

別に僕は、先崎さんのように古典を学び、日本の歴史に精通しているわけでもありません。

ただ、

日本人として、どう立居振る舞っていくのが、これからの僕のあり方なのだろう?

とは、少し前から気になっていました。

自分はいつかなくなってしまう有機体でしかありませんが、同時に何かを残せる一つの命でもあります。

この一個体が起こす行動が少しずつ紡(つむ)がれて、未来へと繋がってゆく。

それなら、今の自分がどういう生活をすべきで、どうやって生きていって最期を迎えるか

と考えることは、決して知識によるものでなくてもいいのかなと思っています。

当然、先崎さんのおっしゃるように、しっかりと勉強していく必要はあります。

しかしそれと同時に、自分が日本で見てきた、

  • 景色
  • 体験

などを直観的に取り上げ、心の中に大事に閉まっておくことも大事なのだと、彼の発言からそう読み取ることもできました。

観念的なものから影響を受けることや、煽動されて目覚めるものではなくて、

自分って一体何なのだろう?

と、ちょっとした「記憶」をたどって行き着く、そんな考え方も大事なのかなと。

「昔の日本は良かった」というノスタルジーに浸るのではなく、

過去の自分の生活で、一体何が「幸せ」に直結していたのか

を探っていきますと、今の僕のような生活にたどり着くのかもしれませんね。

清貧で落ち着いた生活を取り戻すようになった僕は、自分の記憶をたどることにしてみた。そうやって感じたことを、そのまま生活に応用してみよう。

過激にならず、緩やかに目指す

先崎さんは保守的でありながらも、その過激性を注視している方です。

今回の選挙で保守政党が躍進を遂げたことで、多くの日本人が「日本を取り戻すこと」を望んでいますし、僕もそのうちの一人です。

これは右でも左でも同じことが言えますが、どうしてもいろんなところで「極端な人」とは生まれるものです。

その最たるものが、原理主義と呼ばれるテロに近いものです。

ヨーロッパでいうところの、極右政党などでしょうかね。

ただ、日本人はさすがに性格が穏やか過ぎますし笑、あまりにも「我慢」を美徳とし過ぎています。(キバが抜かれている状態)

そこからの「揺り戻し」があることは、別に何ら不思議なことではありません。

現政権(2025年現在)が国民のほうを向かずにやりたい放題し過ぎていますし(左寄り)、『日本』という国が壊れていってしまっているのは、多くの国民が訴えている通りで間違いありません。

しかし、だからと言って排外主義になってはいけませんし、僕が41ヵ国を回って様々な人と出会ってきたように、海外からも学べることは多分にあります。

ここでふと立ち止まり「自分のあり方」を考えることで、

では今、この社会において自分はどう生きていきたいのか?

と勉強し、それを行動に移すこと。

僕はこの実験を、ここ4年間(2021〜2025年)でずっとやってきました。

投資もそうですし、テレビを捨て、QOLを上げるようなICLの手術や脱毛、教員の辞職や世界一周、個人事業主としての確定申告など、あらゆることを「行動」に移してみました。

その中で「足るを知ること」も学びましたし、これらの「行動」の中には、

  • 読書
  • 動画視聴

なども含まれていました。

なるほど。そんな考え方もあるのか

と。

歴史や政治を勉強することもまた、先崎さんのおっしゃるような「保守的思考」なのでしょうし、十分行動の一つだと言えるでしょう。

僕も「行動に移す」という意味では、一見すると “良いことをしている” のかもしれませんが、過激になり過ぎますと、プロセスをすっ飛ばして、

なぜ自分がここに行き着いたのか?

と、自分で自分がわからなくなってしまうことにもなりかねません。

ある意味、こうして拙いながらもブログに気持ちを綴ることで、自分なりに整理ができているのはマシなほうかもしれませんが。

中には、言語化することができずに、ただ野次を飛ばしたり、中身も思想もない「浮き足だった意見」を言ったりしている人もいますからね。

自分で考え、勉強し、ゆっくりと沁み込ませて地に足をつけること。

僕にもまだまだ学ぶことがたくさんありますね。

本来の保守とは、原理主義的かつ暴力的に、以前あった価値観を取り戻すものではない。学び、確認しながら、しっかりと地に足をつけていこう。

おわりに

思想を色濃く出すことは、わかりやすくてキャッチーなものです。

しかし、国家どころか家族内や職場でも価値観が違うように、人の考えていることとはもっと複雑です。

「古来の日本を取り戻す」という発想は一見するとかっこいいですが、危険な思想も含んでいます。

常に試しながら一歩一歩進み、僕なりに勉強を続けていこうと思います。

清貧な生活をしながら、ね。

それではまた!

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