自分はいつまでもまだまだだと思うこと【先人に学ぶ】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、「謙虚さ」について記事を書きました。

僕はこうして偉そうにブログを書いていますが笑、やはり「すごい人」は周りにいるもので、

うわぁ…すごい考え方だなぁ。自分なんてまだまだじゃないか

と思い知らされることが、まだまだあります。

「謙虚であること」を思い出させてくれるのは、いつも「先をゆく人たち」です。

今日は「自分を卑下せずに成長していくこと」について書いていきます。

自分はまだまだだと知れるのは、素晴らしい人と出会った時だ。だから、人と出会い続けていこう。

自信と過信

こうしてブログを書いていますと、僕も時々勘違いしてしまうことがあります。

自分なりの意見を伝えているつもりでも、どこか「上から目線」でものをいっているように感じてしまうことがあるのです。

これはどの人にも当てはまるかと思いますが、「自分の自信のある分野」ではどうしてもプライドが出てきます。

もちろん、それは悪いことではありません。

むしろ自信を持ってやっていなければ、側(はた)から見た時に、

大丈夫なのか?

と思われてしまいますよね。

ただ「自信」も行き過ぎると、「過信」となります。

僕の場合だと、

  • 英語
  • ダンス
  • 人生論

などでしょうかね。

自信を持っていることはとてもいいことですが、どこかで「俺はできる/知っている」と思い込みますと、逆に伸び悩んでしまいます。

そんな時僕は、

自分はまだまだだ

と思い続けるようにしています。

自分の能力を「過信」するようになったら、「まだまだだ」という感覚も消え失せてしまいますからね。

逆に「自分なんてまだまだだ…」と思えていれば、ずっと成長し続けることができるというわけです。

仮にもし自分の鼻が高くなってしまったとしても、周りには僕の鼻を見事にへし折ってくれる人がたくさんいます笑。

普段から「自分より優れている人」と触れ合っていますと、毎日が刺激となり、自分を鼓舞するいいきっかけとなります。

過信することは時にいいことかも知れませんが、そんな時こそ同じフィールドの人を見て、

自分はまだまだ足りていないのだ

と、ポジティブに考えるようにしています。

自信を持つことは素晴らしいことだ。しかし過信し過ぎないように、自分より優れいている人と会っていこう。

頑張っている人を周りにおく

以前の僕は「一番でいたい」という気持ちから、「できる人/優秀な人」に近づこうとしませんでした。

その人から「見下されている」と、勝手に思っていたからです。

人の目を気にしていた僕は、非常に臆病だったので、接する人を選んでいました。

鶏口となるも牛後となるなかれ

【意味】強い勢力のあるものにつき従うより、たとえ小さくても独立したものの頭(かしら)となれということ

こんなことわざがあります。

様々な解釈の仕方があるでしょうが、ネガティブに捉えるのであれば、僕はまさに「鶏口」を目指していました。

それは「引っ張ってゆく」というよりも、「自分が一番でありたい」というポジションを奪われたくない気持ちから掲げていた目標でした。

小さなプライドを捨てますと、むしろ「すごい人たち」に囲まれる機会が多くなりました。

そこで、

何かを学びたい

このような姿勢を持っていれば、僕は「牛後」になることも悪くないと思っています。

「ただただ後ろにくっついていく」というよりも、一番下でもいいから「すごい人たち」の輪に飛び込んでゆくイメージです。

もし、

  • 引け目を感じ
  • 自信をなくす

のであれば、オススメしない戦法ですけどね。

ただ、「すごい人たち」は現在進行形で努力している人もたくさんいます。

そんな人たちを見て、

自分も頑張らなきゃ!

こう思えたら、そこにいる価値は十分にありますよね。

その中で、自分も「追いつけ追い越せ」で必死に食らいついていけば、きっと「凡人」より一歩も二歩も先に行けるはずです。

「すごい人」とは必ずしも「結果を出した人/出している人」とは限りません。

彼らの「努力そのもの」を見て、感化されることだっていくらでもあります。

未来のことは誰にもわかりません。

もしかしたら彼らや自分のやっていることが「種まき」であり、いずれ「大きな芽を出す」かもしれませんしね。

いずれにせよ「過信」をしなくなるだけでなく、「努力」や「頑張る姿勢」に目がいくようになります。

  • お互いに頑張れる存在
  • ものすごく先を行っている存在

このように、「自分を鼓舞してくれる人」を見つけておくことです。

自分の周りを「自分がポジティブでいられる人たち」で固めることは、間違いないことでしょう。

そうやって定期的に「鼻をへし折って」もらいますと笑、自分のやっていることに改めて目がいくようになります。

満足せず継続して成長していくためには、そのような人たちから刺激を受けることです。

僕も先日、YouTubeを見ていましたら、

やっぱりこの人には敵わないなぁ

と思わされたものです。

周りを自分より「下」の人たちで固めても、自分はずっと成長しません。

自分の刺激になるような人たち

そんな人を見つけて、付き合っていきましょう。

自分の周りを「頑張っている人」や「すごい人」で固めることは悪いことではない。常に刺激をもらい続け、「自分はまだまだだ」と思うようにしよう。

上には上がいるが「比べない」こと

この「バランス」がとても難しいのですが、「上にいる存在」を感じることは大切である一方で、比べ始めると自分を卑下することに繋がってしまいます。

  • 謙虚
  • 過信
  • 卑下
  • 傲慢

ここら辺のバランスをうまく取ろうとすればするほど、

こうしたらいい

という最適解がないことに気づきます。

時には自信を持つ必要がある時もあれば、成長するために「まだまだだ」と思う必要がある時もあります。

それは自分だけがわかることですよね。

「比較すること」が始まりますと、決まってプラスとマイナスの面が同時に発生するものです。

つまり、周りを見渡した時に自分がどう捉えるのか

全てこれに尽きます。

結局は「ポジティブに捉えること」が大切であり、

自分なんて…

と思っている人には、

いやいや、とりあえず今は人と比べるなよ…

と声をかけたくなってしまいます笑。

自分が調子に乗っているな

と思ってしまった時には、周りのもっとすごい人を見て、謙虚になればいいだけです。

上には上がいる。

この事実はいつまでも変わることがありません。

その「事実」をいかに自分にうまく適応していくのか。

僕の場合は結局、

  • 成長をやめたり
  • 調子に乗ってしまったり

している自分に喝を入れるために、改めて謙虚になるために、「上には上がいる」という事実を使います。

やっぱりまだまだだったわ…さぁ頑張ろう

こう思えた時ほど、自分の中にツフツとエネルギーを感じることはありません。

一度謙虚になって再び練習や勉強に励む瞬間ほど、成長を感じるからです。

良い意味で比べて、悪い意味で比べないこと。

ご都合主義のようでもありますが、全ては捉え方次第です。

自分が成長し続けられるように、周りとうまく距離をとっていきましょう。

上には上がいるという事実は決して変わることがない。その事実をどう使って自分を鼓舞するのか。捉え方次第で自分のモチベーションは変わってくるのだ。

おわりに

まだまだだなぁ

ふとそう思う時は、自分の未熟さに気づけた時だと思っています。

そのおかげで、

自分の足りない部分はなんだろうか

と、自分を見つめ直すことができるからです。

何かうまく行っている時ほど、「まだまだ…」と思って成長していきましょう。

それではまた!

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