30代が仕事を考えます【世界は誰かの仕事でできている】

幸せ

こんばんは。

昨日、町田市立国際版画美術館に行ってまいりました。

版画といえば、以前平塚市美術館で川瀬巴水という素晴らしい版画家の作品を見たのですが、今回は3名の伝説とも呼べる版画家たちの作品ばかりでした。

歌川広重、小林清親、川瀬巴水の3人です。(川瀬巴水は2回目w)

もはや説明するまでもなく、素晴らしい作品ばかりでしたので、ぜひみなさんも足を運んでみてください。

そこで歌川広重の東海道五十三次という版画集を見たのですが、静岡県立美術館に行く際に乗ったJR東海道線の駅名の作品がたくさんありました。

昔は東海道なんて飛脚が走ったり、何泊もしながら歩いたんだよなぁって思いを寄せましたので、それについて話していこうと思います。

大きなものに感動する

僕は車を持たない主義ですので、移動は徒歩や公共交通機関です。

7月は多動力を発揮しながら(意味違う)多くの関東圏の美術館を行脚しました。

その際は電車もバスも使いまくり、7月の出費は交通費だけでものすごいことになっていました笑。でもいいんです。今しかないので。

昔からよく感じていることなのですが「この線路も道路も誰かが作ったんだよなぁ…」としみじみしてしまうことがあります。

すずきは美術作品だけでなく、単純に大きなものには”畏れ”を抱きます。

みなとみらいのランドマークタワーやスカイツリーを下から見上げたとき、あるいは黒部ダムに行った時なんか「これ一体どうやって作ったんだよ…」と思いましたもの。

世界各地に散らばる名所も、それが自然が作り上げたものでも感動しますが、人間の造り上げた(それも大勢の人が関わった)ものに対しても「はぁ…すげぇ…」とため息をついてしまいます。

道路や線路も、すずきとしては偉大な業績、つまり「偉業」だと思っています。

電車に、バスに乗るたびにその”偉業”に感謝して旅をしています。

どんなに文明や技術が発達しても、デジタルと違って建物やインフラは「リアル」の材料や人手が必要です。それを考えただけでも「人間ってなんてすごいんだッ!」と子どものように思ってしまうのです。

みなさんはどう感じているでしょうか。

僕はそのプロセスというか、誰かが関わらなければこれらは作られなかった、今の自分が乗って移動することができなかったと思いを巡らせることが多いです。

ちょっとした山道でも「誰かが先に歩いてくれたから山頂に行くことができるんだよなぁ…」「ロープウェイがあるから行けるんだよなぁ…」「山頂の建物を作るためにコンクリや木材を運んだ日々があったんだよなぁ…」と妄想が妄想を呼びます笑。

大きな建築物などには資料館も併設されていたりしますので、それを見るのが結構好きだったりします。

BOSSのCMで「世界は誰かの仕事でできている」という名言がありますが、すずきがのうのうと先生業をやっている中で、日々なにか新しいものが生み出され、それに関わっている人たちがいるのだと思うと感動します。(先生も立派な仕事ではありますが)

改めて感謝ですね。

サービスにも感謝する

とても当たり前のことかもしれないのですが、すずきは少しだけですが、いや少しだけですよ?ちょっとだけ「」でしてサウナや美術館に行くたびに「受付の人がちゃんと仕事してるんだよなー」って思いを寄せ始めます笑。

地方の施設にいけば「こんな山の奥にある名所にもちゃんと受付の人がいるなんて!」と思ってしまいます。悪く聞こえてしまいますよねごめんなさい。

まぁつまり何が言いたいのかといいますと、すずきがこうして休みをとって出向いた先々にも、休館や休業中でなければサービスを受けることができるというごく当たり前のことに感動してしまうのです。

繰り返しになりますが、早朝や夜間に道路の工事をしたりインフラを整備されている方がいると「自分がなーんも考えないで鼻ほじっている時間にも並行して世界は動いているんだよな」って、とても当たり前のことなんですけどそう感じます。

受付のお姉さんや、工事のおじさんたち、それぞれの思いがあって例えばバイトで小遣い稼ぎ程度のモチベーションかもしれないですし、誇りを持って取り組んでいるかもしれません。

それでもちゃーんとそれぞれがしっかりと仕事をこなしているおかげで世界が出来上がっており、人類が進歩して行くんだなって思いました。

だからこそ、バイトだろうが正社員だろうがなんだろうが、僕はサービスを受けたならちゃんと感謝したい。当たり前だけれど意外と忘れてしまいますよね。

横柄な態度とるのはもってのほかです。

お金を払ったのだから何してもいいんじゃなくて、サービスの存在が先であってそこにお金を払うことでありがたーいことにそのサービスを受けることができるのです。

電車があるから使わせていただく。感謝としてお金を払う。そう思います。

それを何か勘違いしている人もたまにいますが、それって自分の仕事への冒涜でもあると思うんです。

そりゃ替えのきく仕事はあるかもしれません(教員もそう言われています)が、その日その時にサービスを成り立たせるために、”そこに人がいる”のは曲げられない事実なんです。

そう思えば、いくら替えがきこうとその人が”今”行なっている仕事に対して敬意をもつべきなのです。

休みの日にちょっと移動して日本という世界を見渡しただけでも、僕はサービスの恩恵を受けられているんだなって、毎度感謝せざるを得ないなって思いました。

今後について

すずきはブログを始めたのも、実はここ1年で自分の仕事についていろいろと考えることが多く、濃くなってきたためです。

例えばFIREという風潮が今日本でも大流行していますけど、僕は職を変えようがリタイアや休職しようが、やっぱり誰かの役に立ちたいって思う気持ちは残ると思っています。(サイドFIREはしてみたいです♬)

結局は早期リタイアされた方の多くがまた仕事を始めているそうです。(ただしストレスなく自分で選んで働いていることが多いです)

教員は替えが効くと言われていますがまさにおっしゃる通りでして、僕なんかが辞めてもなんだかんだと学校は続いていきます。(今の仕事には全力ですよ?笑)

しかしそうやっていろんな場所に行って、いろんなサービスを肌で感じてみて、それは一般庶民が受けられる程度のサービスかもしれないんですけど、逆に僕という一人だけでもできることはあるんだなって思ったんですよね。

小さな仕事や、そこらへんのバイト、はたまたクオリティの低い施設やサービスもあるかもしれません。

でもそれらが”今ある”おかげで、僕らはお互いにそのサービスなり施設なり、インフラなりを受けたり利用したりすることができます。

それなら僕も、ただお金を払ってありがとうだけではなく、自分も何か人の役に立つことをし続けていきたいと、いい意味でブーメランというか自身の仕事観にとても良い影響を与えるきっかけを持つことができました。

もっともっと僕は今いる環境を深く考えていく必要がありそうですね。

今後も生活の中で気付いた時にこうしてアウトプットしていきたいと思います。

おわりに

少しまとまりのない記事となりましたが、いまいる世界に常に感謝しろとかそういうことを言いたいわけではありません。

なんというか「お互い様」で成り立っていますから。

でもふと世界を見渡すだけで、自分を見つめ直すきっかけになるっていうことが僕には新鮮だったんですよね。

今いる家も電気もWi-Fiもテレビもベッドも洋服も「ほんと作ってくれた人たちマジ感謝。すごいよあんたら。ありがとう!」って感じです。

普段はなかなか感情を表に出さないマシーンすずきも、こればっかりは暮らしを豊かにしてくれていますのでほんと感謝しかないですね。

世界は誰かの仕事でできている…うん、ほんとその通りですわ。コピーライターの梅田悟司さん、さすがです。

また気を引き締めるいいきっかけになりました。

改めて自身の生活を取り巻くものや環境、サービスや施設に感動しながら生きていきたいと思います。

それではまた!

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