己の正義を振りかざさないことが大事【大切なのはシステムや環境】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、YouTubeを開いたところ、以下のような動画が流れてきました。

とても優しい方で、樋高リオさんというヘビー級のボクサーさんです。

とても温厚な方で「かっこいいなぁ」と思って眺めていました。

ポイ捨てを注意する格闘技系YouTuberは、「勧善懲悪をしている」というイメージから人気がありましたが、彼の意見はとても興味深いものでした。

人を憎まずして、悪(罪)を憎む

こんな風に思えることはとても大切なことですよね。

今日は「正義」について書いていきます。

自分の正義を押し付けないことだ。それは自己満でしかない。

最終的には「個」である

動画内では、

タバコを捨てる人は、実は悪気なんてない

と言っていて、まさにそうだなと感じました。

街を汚くしてやろう

と、悪意に満ちてタバコをポイ捨てしているわけではないからです。

それを、多くのYouTuberは勘違いをして、

悪を正しているのだから、正しいことをやっている

と、動画を出している人もいます。

その人が元ヤンだからなのかケンカに強いからなのかは判然としませんが、注意も行きすぎると「正義の押し付け」になってしまいます。

正義なんて、

  • 時代
  • 立場

によって変わっていきます。

戦争の時代なんて、いかに「相手を打ちのめすことができるか」が正義であり、各国が、

自分は正しい

と思い込んで、相手国を潰しにかかっていました。

戦争の時代を考えてみますと、こうした動画たちも場合によっては、

タバコを捨てたやつをボコボコにしてもいい

という誤解に繋がります。

これは決して「行き過ぎた考え」ではありません。

見ている人もケンカになったほうが楽しいですから、視聴者も勘違いだろうがそれを「良し」としてしまいます。

でも本当はそれではいけないわけでして。

個人が知らずにやってしまっているのには、後述するように「システム」に問題があります。

それをまるで、

僕がやっていることは正しいのだ。あいつは罰せられるべき

と思ってやってしまうことは、完全な自己満です笑。

正義は「個人」によって違うからです。

もちろん、タバコを捨てることを良しとしているわけではありません。

ただ、彼の動画のように、

『処罰を与えている俺は、すごいんだ。偉いんだ』と思わないでくれ

というメッセージは、とても大事だと思いました。

そうした『勘違い』は、メディアからも見て取れます。

  • 浮気
  • 不倫

などのゴシップを捕まえては叩いていて、果たして本当の意味での「平和」に繋がるでしょうか。

僕はそうは思いませんね。

コロナの時は本当に酷かったと、心からそう思っています。

自分の正義とは、最終的には個人に委ねられる。人を注意することは素晴らしいが、自分の正義を押し付けるのはやめよう。

それぞれの正義

僕の好きな漫画「ワンピース」にも、「それぞれの正義」が描かれています。

主人公たちは海賊なのに、なぜか読者からは「ヒーロー」扱いされてしまいます笑。

「海軍」が正義であるはずなのに、面白いですよね。

でも海賊にも残虐なヤカラもいて、一方で海軍にも「行き過ぎた正義」を振りかざすキャラがいます。

要は「これは正しい」という答えなんて、ないのです。

これは現実世界でも一緒のことなんですよね。

え?でもせいじは自分の言いたいことばっかり言ってるじゃない?

ここが「ミソ」なんです。

僕はブログで自分なりの体験談や、日々思うことを徒然なるままに書いてはいますが笑、

こうしなきゃダメ

と、他人に押し付けたことはありません。

もちろん、

これはダメだと思う
こんなんじゃ幸せにならないと思う

とはっきりとは言いますが笑、それは僕なりの「正義」です。

正義を「持つこと」はいいことですが、「押し付けること」は違います。

だから「ポイ捨てを注意すること」は決して悪いことではありませんが、

捨ててるやつを悪とみなす

というスタンスをとり続けても、あまり効果はないと思っています。

動画内でも、

善か悪かを作ってはいけない

と言っていて、

この人は本当に人格者だなぁ

と感じました。

『悪』と見なした瞬間に、そこで対立構造が生まれてしまうからです。

それぞれの正義があっていい。

そして悪いことを「悪い」と注意することもいい。

ただ、だからと言って相手を潰しにかかったり、

あいつは悪いやつなんだから、淘汰されるべきなんだ

と言い始めてしまったら、テレビがやっていることと変わりません。

そしてそこに対して、

  • 相手を正そうとして戦ったり
  • ただただグチや文句を言ったり
  • イライラしてやつ当たりしたり

することは、ネガティブな気持ちを生み出すだけです。

それぞれの正義を尊重した上で、どう解決していくかが問われているのですね。

人には個々人それぞれの正義がある。だからそれを無理に是正しようとしてはいけない。

システムや環境を変えること

僕も教育者として教壇に立っていた時は、

どうしてこの公教育は上手くいかないのだろう?

と、他の先生の非難をしたこともありました。

  • 教員批判
  • 学校批判
  • 教育批判

は簡単ですし、僕はブログにもそんなことをつらつらと書いてきました。

ただ一方で、同時に「システム」についても言及してきたつもりです。

システムがうまく機能していないから、教育はうまくいかないのです。

タバコも一緒でしょう。

そもそも、「捨ててもいい」という発想が持てる『システム』になっているということ。

  • 罰金がない
  • 分煙がされていない
  • 注意する見回りの人がない

そんな場所では、ポイ捨てはなくならないのです。

人間とは楽な方向に逃げたがりますからね。

それをいかに「仕組み化するか」を考えることが大切であるはずなのに、みんなまずは人の感情に訴えかけようとします。

とうとうと後輩を叱ってみたり、感情に任せて相手を変えようとしてみたりするのです。

実はこれは無意味もいいところでして、そんなので変わるのならば、僕は先生をやっていた時に苦労することはなかったことでしょう笑。(生徒も先生も簡単に変わらないですから)

一見しますと、こうした “人の感情に訴える系(笑)” は効果があるようにも思えますが、システムを変えなければ何も変わりません。

  • どうやったらポイ捨てをしなくなるのか
  • どうやったらやる気が起きるようになるのか

などは、その人に直接訴えかけるよりも、仕組みを作ってしまうことで人は動くようになります。

罰金なんかはわかりやすいのかもしれませんし、似たような政策はいくらでも作れます。

これは個人においても一緒で、僕が「モチベーションに頼らない」という理論とほぼ一緒ですね。

仕組み化してしまうほうが、人とは「動いてしまうもの」なのです。

僕が仕事で月曜から金曜まで学校に行っていたのも、そういう「仕組み」だったからです。

税金が源泉徴収されるのも、僕の「払いたくない」という気持ちとは関係なしに、効力がありましたしね笑。

その時々の感情は、即時的にモチベーションを上げたり、

そうか。ポイ捨てはいけないんだな…

と思わせたりはしてくれますが、正義を振りかざしてぶつけようとしますと、大抵は感情論のぶつけ合いになることがほとんどです。

感情 < 仕組み(=環境/システム)

です。

これを間違えてしまいますと、ずっと独り相撲をとることになります。

人の感情に訴えかけるのではなく、システムや環境を整えよう。そちらのほうが人は動く。

おわりに

この動画内でのコメントは素晴らしいものだと感じました。

YouTubeもどこかで、「テレビ化」してしまっているのだと思います。

コロナの時も、謝罪動画ばかりが流行りました。

あれは本当に良くない流れでしたね。

みなさんも感情に訴えかけようとしていませんか。

それは家族、お子さんに対しても一緒です。

無理に正義を押し付けますと反発されますよ。

それではまた!

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