こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日から読んでいます、渡辺秀和さんの「僕はナニワの宇宙人」。
友人に貸してもらい少しずつ読んでいますが、その「波乱万丈な人生」は羨ましくもあります。
僕は平々凡々な人生を歩んできましたからね笑。
少し話はズレますが、僕は「昔不良だった」とか「全然勉強できなかったけど今すごい」という話が、あまり好きではありません。
それはなぜかといえば、その人が遊んだり油を売っている間に、努力している人が必ずいるからです。
もちろん否定的に見ているわけではなく、ちょっと視点を変えて話をしようと思い、話題に出してみました。
今日は「頑張り続けること」について書いていきます。
過去の失敗を正当化しない
よく「ヤンキーが更生する」といったドラマチックなエピソードを聞きますが、僕は感覚的に「それは違う」と思っています。
最初に申し上げておきますと、
- 更生したり
- 成長したり
- 成功したり
すること自体が、鼻につくわけではありません。
それは素晴らしいことですし、その人の努力ゆえに達成できたことだからです。
しかし映画やドラマでは、「どん底」から成り上がっていくような描写をどうしても期待してしまいます。
僕自身も「以前の僕」と称して、過去のダメダメだった自分と今を対比していますが、そんな期間は、なければないに越したことはありません。
この言い方にはどうも「違和感」があるのです。
ダメだった過去を正当化してしまっているように感じるからです。
だって、ずっと頑張ってきた人のほうがいいに決まっているじゃないですか。
最終的な到達点はそれぞれ変わるでしょうし、
- 人生のスピードが急に変わったり
- 進路の変更で大きな出会いを経験したり
することもあります。
だから、昔ダメでも後々「人生が良くなること」はあります。
ただ「自分はこんなにもダメだった」とハードルを下げて、
というのは、シンプルによくありません。
努力や成長を否定しているのではなく、「フォーカスの当て方」が悪いのです。
悪い時期やダメだった時期は誰にでもありますが、その点を持ち上げてしまうことがよろしくないということです。
その点は「悪かった」と飲み込み、反省しなければなりませんよね。
正直、ヘドが出ます笑。
と思えているのであれば、それは素晴らしいことですけどね。
過去を正当化せず、失敗を失敗と認め反省したからこそ今の自分があるということを、伝えていかなければなりません。
頑張っていた人が割りを食う?
と、言いたいわけでもありません。
そんな理不尽な反論はありませんよね笑。
未来はいくらでも努力で変えることができますし、著者の渡辺さんのように、
- ご縁
- タイミング
などで成功に導かれる人もいます。
彼自身も努力をしたでしょうし、「悪かった時代 ▶︎ 成功」と成り上がることを妬(ねた)むのもお門違いです。
「努力していた人が偉い」と言うつもりもないということです。
こうして先生をしていますと、学生時代に本当に頑張らない生徒をたくさん見ることになります。
僕も実際そうでしたしね笑。
勉強が全てではないですし、
こんなことを言ってしまったら、
「もうどんな努力をしても、取り返すことはできない」
と決めつけてしまっているようなものです。
それはあまりにもかわいそうですよね。
先生の視点ですと、いずれ生徒たちの過去となる「学生時代の印象」がものすごく強かったりしますが、それはそれです。
彼ら自身が、その時代を振り返って「あの時もっとやっておけば良かったな」と思ったり、何かしらの糧になっていたりさえすれば、それでよいのです。
それぞれの過去をしっかりと振り返り、それを今にどう活かすのか。
- 頑張っていたから偉い
- やっていなかったからダメ
と短絡的に結びつけるのではなく、
- 昔頑張れなかったかもしれないけれど、今は努力できているのか
- 昔からやってきたことが生かされているのか、それともムダになってしまっているのか
そのように「過去は過去として認識」して、あとは今を頑張るしかないということです。
過去から今までの繋がりを、いかに意識しているかがカギですね。
ダメだと気付いたらあとは頑張るのみ
僕が以前ダメだった時代があったように、誰にも何かしらの「暗黒時代」があります笑。
しかし大切なことは、それに「気づく」ことであり、そこからどう這い上がるのかがポイントです。
若い頃から頑張っている人は本当に素晴らしく、一生頑張り続けることができます。
一方で過去に「ダメだった時代」があったのならば、いち早くそれに気付いて自分の進むべき道を見つけることです。
僕も「自分のゆくべき道」がなんなのかがわかっておらず、ずっとさまよい続けていました。
しかし今は「以前のダメだった自分」を客観視して、
と思えることができています。
スラムダンクの三井寿が、
「過去の自分を悔やみつつも、今の試合に全力を注ぐ」
ように、あとはひたすら過去の自分と向き合いながら、必死に努力するしかありません。
過去の「良くなかった経験」は、その人にとって必要だった経験であっても、もちろん繰り返してはいけませんし、「過去のダメだった時の自分」に変にスポットライトを当て過ぎてもいけません。
以前「ダメだった自分」は、一体どうして「ダメ」だったのか。
- 何をどうしたら今が変わるのか
- あるいはどうしたことで変わったのか
その点に気づき、あとはどんどん伸ばしていけばよいだけですね。
大切なのは「どん底からの伸びしろ」ではなく、その後の「継続」です。
「深い谷」があればよいというわけでなく、そこから多少の上下はあっても、大きく見れば右肩上がりでなければなりませんよね。
そんな人生を送れるように努めること。
それが僕の課題でもありますし、過去の自分に戻って「あの時は良かった」と浸っていてはいけないのです。
今を見つめ、進んでいきましょう。
最後に、僕の好きな伊坂幸太郎著『砂漠』より、引用を添えておきます。
学生時代を思い出して懐かしがるのは構わないが、
あの時は良かったな、オアシスだったな、
と逃げるようなことは絶対に考えるな。
そういう人生を送るなよ。
おわりに
「ダメだった時代からの大逆転」は、とてもドラマチックです。
ただそこには、細かな努力やツラい経験が必ず隠れています。
一部分を切り取ったり、過去とのギャップを作ることが目的になってはいけません。
ダメだったなら事実を受け入れ、そこから必死に努力をしなければなりませんよね。
いつまでも過去にしがみつかず、一歩ずつ前進していきましょう。
それではまた!
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