こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、カナダの友人とドライブをしていた時に、自分がなぜこんなにも人に会いにいき、その都度感動しているのかについて話しました。
話している中で自分が感じたことは、
ということでした。
今日は「なぜ人に会うことで感動している自分がいるのか」について書いていきます。
大人になるとなかなか会わない
大人になりますと、
- 家族が…
- 仕事が…
と、あらゆる言い訳を並べては「人と会わない口実」を作ります。
特に日本人は「個人のプライベートの時間」を大切にしますので、
と思っている人が大半です。
親しい友人となら楽しいものですが、「ちょっとした関係」を築いただけでは、無理して会う人はなかなかいないのです。
結婚でもしようものならば家族が第一優先ですので、改めてその「輪」を広げる必要はないのでなおさらです。
僕は離婚をして一人になってからというもの、「人と会うこと」の大切さを改めて感じるようになりました。
「ご縁」という言葉は古臭いかもしれませんし、僕自身もそこまで意識しているつもりはありませんでした。
しかしその「ご縁」を意識していたおかげで、今こうして多くの人と出会いながら旅を続けることができています。
といったような具合に、です笑。
これが大切だと思ったのは、現代の人たち(特に日本)はそういうことをしないため、人に会いに行くだけで「希少」な存在となることができるという点。
と思わせることができたら勝ちですね笑。
大人になると会わなくなる人が大半ですから。
僕の今の立ち位置は確かに特殊ではあるものの、去年も多くの人に会いに行っていたものです。
僕も今まではたくさん言い訳をしていました笑。
それは、
「人と会う時間 < 自分の時間」
という感覚があったからでしょうね。
徐々にその感覚が逆転してきたからこそ、人と会うことを優先しているのだと思います。
人と会ってあの頃を思い出す
僕がなぜ人と会っては感動するようになったのか、実はあまりよく考えていませんでした。
時には別れ際に涙までしたことさえありましたし、それくらい人と会うということは、感動が感動を呼ぶような特別な時間と空間だと感じています。
僕なりの意見ですが、それは「童心を思い出すから」なのかなと思っています。
僕らが学生の頃は、
- 文化祭
- 体育祭
- 卒業式
など、「人と一緒に青春を過ごすこと」が普通でした。
学校とは特殊な環境であり、みんながみんな良い思い出を持っているとは言いませんが、特殊な環境であったことは間違いありません。
その中で親しくなった友人たちとワイワイしたり、夜遅くまでフラついたりしたのは、今でもいい思い出になっているはずです。
大人になりますと、
と、
- 若かったこと
- 歳をとったこと
に線を引こうとします。
本当はそこに、明確な差なんてないのに。
一方で線を引くからこそ、僕は人と会うたびに、
と感じるのですけどね笑。
要は、人と会って青春時代のような時間を過ごしたいのです。
あの時のように、
- 輝いて
- 笑って
- 泣きたい
のです。
青春、いえむしろ人生とは、20歳までにほぼ全てが終わるという名言がありました。
感覚的にわかりますし、否定するつもりはありません。
しかし、どんなに大人になっても感動することはできますし、
と感じることもできます。
そのためには、一人ではできないことを人と一緒にやっていくこと。
If you want to go fast, go alone; if you want to go far, go together.
早く行きたければ、一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め。
これもまた有名な言葉ですよね。(アフリカの諺)
みんなと青春するために、多くの人と出会い、かけがえのない時間を作っていきましょう。
感動できる人生を
人生は人それぞれであり、そこに優劣もクソもありません。
その人が生きたいように生き、人生を謳歌すれば誰も文句は言いません。
ただ大切なことは、自分の人生と向き合うことだと思っています。
日本人のように悩み苦しむ必要もなければ、海外の人たちのようにパッパラパーと生きてもいけません。
人生は楽しいほうがいいですが、「海外の基準が世界の全て」というわけでもありません。
自分の人生と向き合った上で、
と考えたり、
と割り切ったりしているのか。
それとも「本当に何も考えていない」のかでは、雲泥の差があるのです。
もちろん、どこまで行ってもその人の人生ですから、誰も文句を言うことはできませんし、口を出すことは余計なお世話です。
何も考えずに人生を終えても、その人の人生ですから構いませんよね。
でも一度きりの人生なら、今の自分と向き合って、やりたいようにやれているかを問うてもいいと思っています。
これが僕の人生の義務だと、「僕は」思っています。
と、どうしても大それたイメージを持たれますが、どうってことはありません。
僕はただ、
- 人と会って
- 青春を感じたい
だけなのです。
一方で「遠くまで行きたい」ですし、見たことのない景色も見てみたいです。
それは「高級なお店」とか「大富豪の邸宅」とかそんなものではなくて、単純にみんなでいつまでも楽しめるような、そんな景色です。
青春すれば胸が熱くなりますし、胸が熱くなれば感動します。
感動すれば涙が出て、生きている今を大切にしようと思います。
今を大切にできる人は、これからの人生をより良くしようと努力します。
僕はいつまでも、そんな人間でありたい。
今こうして旅をしている中でも人と会うことを大切にしているのは、自分一人では見られない景色を見たいからなのかもしれません。
学生時代に見た、あの頃の夕焼けは何よりも価値がありました。
- 大人になったって
- 何歳になったって
それはできます。
涙も頬を伝わります。
だから人と会いにいく。
見たことのない景色を、あの頃に見ていた景色を、見にいくために。
おわりに
「青春する」とは、一人ではできないものです。
それは先生をやっていたからこそ、よくわかっています。
学校は特殊な場所であり、ネガティブなイメージもありますが、だからこそ生まれる青春があるため、僕は「学校現場」に戻りました。
今度は、
- 僕が
- 僕らが
青春できる場所を作っていくこと。
その起爆剤になるのは、僕です。
だから僕は、誰よりも動いて人に会いに行きます。
そこで感じられる青春が、確かにあるからですね。
それではまた!
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