30代が子どもと触れ合って感じたこと【子どもたちから学ぶこと】

幸せ

こんにちは。

今日は「久ぶりに会おう」と、一方的に友人と会うことを取り決めましたすずきです笑。

先週も友人たちと会ったことで、忘れかけていた大事なことを取り戻せた気がしますが(一体どうした?)、本日も様々なことを感じた日でした。

相変わらず痩せたこととか極端すぎるところとか、いろいろ心配かけていたようですごめんなさい笑。

なんか会う人会う人に「すずき、お前大丈夫か?」って心配されているので、もっと考えてご飯を食べるようにしてみます。

さて、僕の周りにはお子さんがいる同僚や友人が多く、一緒に遊んだりもみくちゃになったりと貴重な時間を過ごさせてもらっています。

今日も友人のお子さんとワイワイ遊んだのですが、公園で様々な子どもたちを見て何か平和というか「これだよこれ」と思うようなことがありました。

もう年なんですかね…

少しばかり感じたことをお伝えできたらと思います。

帰ってきた子どもたちの声

こう見えてすずきは、実は高校生から大学生の間で小学生を相手に体操教室で器械体操を教えていたり、塾講師として小学生に勉強を教えたりしたことがあります。

まぁつまり、子どもが好きなんですよね。

生徒たちと触れ合ってても、確かに疲れたり面倒になったりすることは多少なりともあるのですが、やっぱり好きなんだと思います。

しかし去年の夏頃、僕の勤める学校の生徒たちもそうでしたが、公園の遊具や広場で遊ぶ子どもたちの声を聞くことがなくなってしまいました。

ちょっと異常なまでの静寂というか違和感というか、ショッピングモールや駅に大人がいなくなったこともそうですけれど、それ以上に子どもたちの声が聞こえなくなったことのほうが深刻だったと思います。

大人たちはどうでもいいということではないですが、子どもたちのほうが自由度も低いですし縛りも多いため、そう思った次第です。

コロナ禍で教育がストップしたことに対しては多くの批判が集まりましたけれど、事態も事態でしたから、子どもたちにもなんとも言えないフラストレーションが溜まっていたようでした。

ただ今日、公園で子どもたちがキャッキャと走り回っては友達とコミュニケーションを取っている姿を見て、この時間や空間は誰も奪ってはいけないものだし、こうした時間が子どもたちを育てるのだなと感じました。

子どもたちは元気に走り回り、声を出し、同じ行動を飽きることなく何度も繰り返したり、草木や石、花や水を触ったり、遊具にのぼって遊んだりと生をそのままに生き生きと活動していました

見守っている親御さんたちは心配もしますし大変なのでしょうけれども、それ以上に子どもたちと過ごす時間が楽しそうにも見えました。

「やっとこの『当たり前』が戻りつつあるんだな」って、すずきはしみじみとした時間を過ごすことができました。

あり余るエネルギーとコミュニケーション

子どもたちは死ぬほど走り回っては遊び、「疲れを知らない」とはまさにこのことだと思わされました。

「自分たち30代にもこんな時代があったのだろうか?」と思いを巡らせてみますと、なるほど確かに延々と永遠に走り回っていた記憶がほのかにあります笑。

すずきは今となってはランニングとダンスと筋トレ、後は歩き回るくらいしかしていないですので、子どもたちの体力にはかないませんね…(え?)

僕ら大人組はと言いますと、カフェでまったりと雑談をしたりデスクに向かって仕事をしたりと、頭を使う時間に多くの時間を割くようになりますよね。

子どもたちは鬼ごっこからかくれんぼ、ボール遊びやアスレチックなど、とにかく思いっきり体を動かしています。

カードゲームやポータブルのゲームもわざわざ外に持ち出して友達と一緒にやるくらいですし笑。

そう、彼らには小さな体からは想像できないほどの運動エネルギーが内在しており、それを使い切るにはこうした「遊びの場」が必要不可欠なのです。

これがたとえ1人であったとしても、ぶつぶつ独り言をつぶやいたり、走ったり登ったり、つかんだり回ったりしては常にエネルギーの捌け口を探しています。

実はこの「遊びの場」では、友達との交流も盛んです。

友達としゃべっては野球をし、勝手にルールを決めてはくだらない遊びをするなど、これって今の大人たちが「ここまでやるかいな」っていうくらい、体を動かすことと同時に同じくらいの熱量でコミュニケーションも取っています

「体/運動」と「言葉のやりとり」という人間としての本能を、フルスロットルで成長させていく時間。

僕は公園でじっと子どもたちを見て友人と話しながら、「この時間はたとえ忘れていたとしても、必ず子どもたちの成長の時間になっているんだろうなぁ…」と感動してしまいました笑。

本当は学校だったり放課後だったり部活だったり塾だったり、いろんな場面であるべきはずの大切な時間なのに、それらが奪われてしまったのだなと思うと切なさも感じました。

子どもたちの急成長の時間を奪った憎きウィルスめ…

ただ一方で、子どもたちの笑い声や成長している様子が僕ら大人たちの力にもなっているのだなって気付かされましたよね。

「失って初めて気づくもの」というと月並みの表現ですが、当たり前にあったものがふと失くなって気づいたことは多かったですし、何より子どもたちのフラストレーションの行き場のなさに、世間の注目が集まったことは大切なことだと思っています。

僕ら大人たちが学ぶべきこと

すずきは偉そうなことが言える立場ではないのですが、普段高校生とお話しする機会もありますし、こんな感じで子どもたちに熱い視線を送ることもあります。(気持ちが悪い)

特に僕なんかは、子どもたちのためにできることなんてこれっぽっちもなくて、権力や地位があるわけでもありません。

ましてや教員とは言いながらも、何かを教えられるほど偉いわけでもないです。

しかしながら、じっと見守り続け、彼らから何か大切なものを感じとることはできると思っています。

公園でいろんな子どもたちを目にしてみますと、ホントみんな生き生きとしていて、時にケンカして叩き合ったり、1人で黙々と遊んでいたりと様々ではありますが、基本的には笑い声をあげながら満面の笑みで、楽しそうに時間も気にせず遊んでいました

トリッキーなことをしたり予測不可能なこともして、心配になったり叱ったりしなければならない場面もありますけれど、それ以上に創造的でエネルギーに満ち溢れ目の前のことに一所懸命に集中している姿は、僕ら大人たちが見習うべきことなのかなとも思いました。

「大人になっても童心を忘れるな」とか「遊びを仕事に」とかよく言われますけど、実際そのようにできている大人なんてほんのわずかです。

はい、僕もです泣。

本当はみんなあり余るエネルギーが子どもと同じかそれ以上に内にあるはずなのに、省エネモードになったり打算的になったりしてしまうためなのか、悲しいかな「質の悪い疲れ」ばかりが毎日体を痛め続けているような気がします笑。

もっと自由でいいし、チャレンジしていいし、興味を持っていいし、走り回っていいし、驚いていいし、泣いていいし、ケンカしていいし、感動していいし、没頭したっていい。

子どもたちはそれこそ「ぜんすーつー!(全集中)」って言いながらものごとに毎分毎秒一所懸命なんですよね。

それこそ「いま、ここ」じゃないですけど、彼らは無意識的に生を目一杯楽しんでいるんじゃないかなって思いました。

だから僕も大人として恥ずかしさとか小さなプライドとか捨てて、彼らみたいに生きてみたいなって、改めて考えさせられたんですよね。

おわりに

こうして公園やファミリー向けの施設に入ることは、30代独身男性(別名:筋肉ゴリラ)には許されざる特権であり、場合によっては警備隊が出動しかねません。

しかしこうして友人や同僚など、お子さんのいるご家庭に金魚のフンのようにくっつかさせていただければ、じっと子どもたちの動向やそのエネルギーを目の当たりにすることができます。

ありがたやありがたや。

子どもたちが一心不乱に縦横無尽に走り回っている姿をじっと見守ることができる休暇なんて、最高としか言いようがありませんね。

彼らは僕らの未来であり、可能性が無限に広がる夢そのものです。

ただそれは「僕らがお役御免」ということではなく、僕らも「ともにこの時代を作り上げていく役割を担っている」という自覚も必要だということです。

30代は、ともすれば時代の架け橋ですからね。

僕ら世代ですでに子育てをされている方々は、奮闘しながらも全身全霊をかけて1人の人間を育てあげていますから、頭が上がりません。

そして僕らの親もそうやって僕らを見守り、ここまで大きく筋肉質にしてくれたのです。(?)

だからまずはすずき自身から、エネルギッシュに時代を駆け抜ける先頭になっていこうと思います。

明日っからまた頑張りましょう!

それではまた!

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