教師が生徒にできることなんて限られている【生徒との距離感】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

先日、修学旅行に行ってきました。

出発前のワクワクしていた僕に、突然学校から電話がかかってきました。

残念なことに、僕のクラスの生徒が自転車を運転中、車の不注意で事故にあい、足を激しく痛めて不参加となってしまいました。

すぐに職員から電話番号を聞き、保護者に電話をしました。

弟/息子のように可愛がっていた生徒だったので、僕も保護者もとても残念な思いでした。

やりきれない気持ちのまま、電話を切りました。

教師にできることなんて、たかが知れてます

それでも、教師として生徒たちに一体何ができるのか。

今日は生徒との距離感や温度感について書いていきます。

教師なんて何もできやしない。それでも、生徒の成長を願い、サポートするのが教師の役目だ。

教師としてのスタンス

僕がまだ教師になりたての頃は、勘違いも甚だしい「ザ・若手」でした笑。

大学院を卒業したばかりということもあり、さらにまだ20代半ばということもあって、生徒との距離は近かったと思います。

その時の情熱も、今思えば悪いものではありませんでしたが、

俺が教えてやるよ

というなんとも鬱陶しい上から目線であり、「ついてこい」みたいな感覚もありました笑。

その時の大きな間違いは、

  • 「俺がなんとかする」
  • 「俺ならなんとかできる」

と思っていたことでした。

先生は「生徒のために尽くすこと」が職の本望であり、身を削って彼らのためにできることを考えて実行に移します。

ゆえに、教員を始めたての頃の気の持ちようとしては、よくあることでしょう。

ただ、

自分がいなければダメなんだ…

と、「自分は生徒から期待されているはずだ」と過度に思い込んでいる人も、中にはたくさんいました。

しかし現実は厳しく、30〜40人の生徒を目の前にすると、自分がいかにちっぽけで、何もできやしないのかを痛感させられました。

生徒のことを思うことは大切なことです。

むしろその精神があるからこそ、教員になったという人は多いです。

僕もそのうちの1人でしたが、現場に出てみますと、

生徒は生徒、先生は先生

ということに気づかされました。

先生として、

  • 授業はするし、
  • 進路指導もするし、
  • 相談にも乗ってあげる。

けれども、先生も1人の人間であり、生徒のために全ての時間を削ることはできません。

実際、生徒のためにできることは限られており、全ての生徒を「おんぶして抱っこする」ことは不可能です。

あまり深入りし過ぎると、今度は先生自身が潰れてしまうからです。

だんだんと、

  • ほどよい距離感
  • 心地よい距離感

は、時間が経つにつれてわかってきました。

干渉し過ぎず、かといって放置はしない

という、「絶妙な距離感」を身につけるのには数年を要しました。

どちらか極端に振れてしまいますと、

  • 感情的になったり、
  • 信頼関係がこじれたり

してしまいます。

ほどよい距離感を保つことを心がけましょう。

教員は「生徒のため」を思いすぎてしまう傾向がある。絶妙な距離感を保ち、干渉しすぎないようにしよう。

先生たちができること

ほどよい距離感が大切ですが、「先生たちにもできること」があります。

それは「見守ってあげること」です。

今回も、僕はすぐに保護者に連絡をしましたが、

  • やらされている感
  • 「何か言われないように」という保身感

などは全くありませんでした。

こう言いますと、

すずきは熱血教師だな!

と言われるかもしれませんが、それは違います。

もっと情熱的な先生であれば、

  • 病院まで行ったり、
  • 生徒の自宅まで行ったり

することもあるでしょう。

僕なら、

それは生徒のためにはならないし、自分の予定だってある

と思ってしまいます笑。(もちろん、人それぞれの価値観でよいです)

だって、駆けつけたところで何もできはしないのですから。

ただ、

生徒と保護者は、どういう気持ちなんだろう…落ち込んでないかな…

と「教師として」というより、「1人の人間として」心配になりました。

今ツラい生徒に、「大丈夫か?」と声をかけてあげたいと純粋に思い、電話をかけただけでした。

先述した通り、「先生として」仕事感覚で生徒と触れ合うこと(=距離を置くこと)も大切ですが、一方で「人間として」触れ合うこともまた大切なことです。

僕ら教師にできることなんて、これっぽちもありはしませんが、そんな時に「温かく見守ってあげること」は、人として大切なことだと思っています。

  • 自己犠牲のGIVEも要らないし、
  • 表面だけの生徒への愛情も要らない。

そして、

  • 心配になった時は、声をかけてやる。
  • ほどよく距離を保ち、見守ってあげる。

先生の立ち位置は難しいですが、生徒のことを本当に思うからこそ、

変に教師ヅラする必要なんてない

そう思っています。

先生にやれることなんて、生徒を見守ってあげることくらいだ。しかしそこには純粋な愛があり、それは人として大切なことなのだ。

「何もできはしない」というスタートライン

そもそも、先生にできることなんてほとんどない

こう思っておくことは意外にも、とても大切なことです。

勘違いして、

先生という立場にいれば、なんでもできるのだ

と思っている人もいます。

しかし、

  • 生徒の家庭状況も違う。
  • 性格的に合う合わないもある。
  • 先生だってスーパーマンではない。
  • 僕ら教師が見ている生徒は1人だけではない。

このような事実があります。

そのため、「誰もがフィットする先生」というのは存在しません。

その事実があるのに、無理やり「なんでもできるのだ」と思い込むことは、傲慢でしかありません。(以前の僕ですね笑)

前提として、僕ら教員の影響の及ぼせる範囲というのは、非常に狭いということです。

それを知った上で生徒をサポートするということは、

何もできやしないけど、目の前の生徒に何かできないか

と考えることです。

僕は今回、

生徒に対して何もできないものだな…

と、自分の無力さを改めて感じました。

それでも、スタンスとして「先生なんてそんなものだ」と思っておくと、「自分が今できることはなんだろう」を考えられるようになりました。

生徒たちは僕たちが思っている以上に、自分の足で立ち、歩いていけます。

それをサポートできるように、僕らは生徒たちのことを愛し、温かく見守ってやることが大切です。

まずは目の前の生徒から、愛してあげましょう。

教師たちは何もできはしない。それでも、生徒たちのことを思い、目の前の小さなことから始めればいい。

おわりに

先生たちって、意外と生徒たちにできることはないんです。

それでも、日々生徒たちと関わり、お互い「1人の人間」として関わり合っていれば、自然とよい関係性が育まれていきます。

僕ができたことなんて、これっぽっちもありはしませんでしたが、保護者と電話したことで、

  1. 生徒の状況/心境がわかったこと
  2. 保護者の思いがわかったこと

は良いことでした。

親御さんと話すことで、感情の共有ができたことは大きかったですしね。

小さなことでしたが、とても大切な時間でした。

僕らの仕事は、目の前の生徒たちとの関わりが99.9%であり、他の事務作業なんてなくてもいいレベルです笑。

できることは限られていますが、「自分にはできないこと」をネガティブに捉えるのではなく、「できない前提」を起点として何ができるかを問い、小さなことから始めていけばいいのです。

それがまた生徒からの信頼を生み、彼らを育てていく土台となっていくことでしょう。

今回は残念でしたが、教師をしていればよくあることです。

クヨクヨせず、また生徒に会った時にフォローを入れておきたいと思います。

それではまた!

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