こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
タイトルにあるように、僕はコロナ禍ではある一種の「FIRE(=経済的自立、早期退職)」の状態となっていました。
- 手取りが20万円以上あり
- ボーナスも100万円以上あった
公務員としては、もはや何も失うものがありません。
平日はダンスの練習からランニングまで自分を追い込み、夜は週2回、文法を教えていました。
そんな日々が続いた後の土日祝日には、フラッとどこかに出かけては歩き、
- サウナ
- コーヒー
のダブルコンボで幸せを感じながら、家に戻ったものでした。
今年の2024年も年末に近づいてきましたので、冬っぽさが出てきました。
相変わらず美しい空を見上げながら、「生きてる」と思いましたので、今日はあの頃を思い出して記事を書いていきます。
僕はなぜ幸せだったのか?
当時は公務員ということもあって、先述した通り経済的な余裕がありました。
かなりの額を投資に回していましたし、不安などありませんでした。
それでいて「豪遊/散財」なんてしないものですから笑、
と思ったものです。
ただ、その後は先生を辞めましたので、いろいろと大変なことはありますが、なんとかやっていけているのですから不思議なものです。
僕は先日、とても綺麗な秋空を見ました。
こうして澄み渡った空を見るたびに、
と思うのです。
コロナが落ち着いてきた2022年、僕は日本全国津々浦々、本当にいろんな場所に行きました。
鮮明に覚えているわけではないのですが、いろんな街を一人で歩いていた時、
- 静かな街を見ながら
- 新鮮な空気を吸ってコーヒーを買い
- 美術館を巡り、サウナに入ってはととのって
何度も涙を流しました。
と、今でもその選択を後悔したことはありませんし、このブログを書き始めた3年前から、一日たりともムダにしたことはありませんでした。
なぜかランニングやダンスなどで追い込んでだ翌日に歩きますと、全ての景色がゆっくりと見えて、
と思ったものです。
あの時の僕は、とにかく「自分のアイデンティティを守ること」で精一杯でした。
と試行錯誤しては、いろんな場所に行っていろんなことを経験しました。
ゆっくりと流れていた時間。
ずっと気を張り詰めていた生涯。
僕にとってコロナ禍とは、「ゆっくりと休む時間」だったのかもしれませんね。
今は幸せじゃないのか?
結論、僕は再び幸せを感じているからこそ、こうして昔の頃の自分を思い出せたのだと思っています。
- 気持ちのいい人間関係
- 働きたい形で働けている幸せ
- 十二分ではないけれど、とりあえずあるお金
など、あの時の土日祝日ほど余裕のある日なんてなくなりましたが、それは僕が望んだ結果でもあるので、何も気にしていません。
それでも1〜2ヶ月に一度はどこかに出向いていますから、
だと思っています。
また、「普段の生活」が僕は好きでして。
- 友人と朝活して
- 授業して図書館に行って
- ブログ書いて言語学習して
- 時にダンスやランニングをして
- サウナにも行ったりしながらまた授業をする
こんな生活が、僕にとっては最高なのです。
そしてふと空を見上げてみたり、友人とワイワイしている自分を俯瞰してみたり。
- 自分の時間
- みんなとの時間
の両方を大事にしているからこそ、そのギャップに感動したり、一人ポツンといた時に感動したりします。
そう思う毎日です。
もう少し余裕が出てきたら、いつか美術館巡りもルーティンに戻したいですね。
だから僕は、今も幸せです。
家計の収支をコントロールしながら、最低限の清貧な生活を心がけていけばいい。
その中で成長しながら、誰かに働きかけることができたら、もっと幸せになれそうですね。
変わること、変わらないこと
あの頃は本当に質素な生活をしていました。
今は運動量が減ったものの、贅沢という贅沢はできていません。
外食をしようにもお金も時間もありませんからね笑。
一方で、人と会っている時には幸せを感じていますし、ちょっとお金を使っちゃったりもします。
かといって公務員時代は「時間」がなかったため、
- 夜遅くまで働き
- 帰り際にカフェに行くこともあれば
- ちょこっとサウナに寄ることもあった
という程度でした。
要は、あまり生活水準が変わっていないのです。
倹約してお金を貯めることも好きですから、僕のこの生活は身の丈に合っているとも言えます。
僕が唯一変えたことは、「働き方」。
この一つ、だけでした。
そのおかげで、
- 合わない人と働いたり
- 月から金まで8時間労働+部活
という縛りから解き放たれました。
その代わり今では毎日10時間働いていますが笑、「やりたいこと」や自由度の面を考えますと、今のほうが縛りがなくて幸せですね。
そして「変えていないこと」とは、
- 生活水準
- 普段のルーティン
などです。
ある意味言語学習や運動などは、強度を変えたりしているために「変化させてはいるもの」なのですが、
- 急にリッチな生活になった
- 急に人とヘンな関係を持つようになった
ということもありません。
是正すべき点については、しっかりと見直しをはかって改善していくこと。
それには「生活習慣」なども含まれますね。
僕はあの頃に比べて、特別に幸せになったわけでもありませんし、同時に「教員時代の良さ」を失ったことも否めません。
自分の求める「幸せ」を毎日、毎週、毎月、毎年、求めていくこと。
それはもしかしたら経済的なものかもしれないし、もしかしたら社会資本かもしれない。
誰かに認めてもらうことなのかもしれないし、自己実現かもしれない。
大切なのは、あの頃の幸せ、あるいはそれ以上の幸せを求めていくこと。
見直すべきネガティブなところは変えていき、大切にすべき軸や信念、ルーティンなどは変えないで「芯」を持っておくこと。
あの頃を思い出しながら、僕は今日も幸せを求めて生きていきます。
おわりに
以前僕は、寒い冬がキラいで仕方ありませんでした。
でも秋や冬の天気のいい日に空を見上げ、澄んだ空気を吸っていますと、
と思うのです。
あの頃の僕は、しんどかったけど「幸せ」を感じていました。
今はまた違った幸せと焦燥感が入り混じっていますが、とても楽しく生きています。
まだまだ経済的には余裕がないので、「倹約と稼ぎ」を繰り返しながら、そこだけクリアしていきたいと思っています。
それではまた!
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