こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は筋トレやダンスが好きで、いよいよランニングも習慣化してしまいました笑。
このように何年もずっと、体を鍛え続けています。
今までも何度か、鍛える習慣に対する理由を記事でお伝えしてきました。
- 健康
- モテ
- 体型維持
など、それぞれの思惑があるかと思いますが笑、実は僕にはあまり理由がありません。
なぜ僕は、理由もなく鍛え続けているのでしょうか。
今日はそんなゴリラ系男子である僕の、体を鍛え抜く真実に迫ります。
昔の弱かった自分を克服したかった
今ですら「バキバキに鍛える」ようになった僕ですが笑、小学校の頃は、
- ひ弱
- 運動音痴
でした笑。
スポーツは全くやっておらず、どちらかとインドア派だったと思います。
鉄棒やキャッチボールが好きといったくらいで、何かのクラブやチームに入っていたわけでもありませんでした。
その弱々しい格好から、軽いいじめの標的にもなっていました。
そう思った中学校時代、興味のあった「アクロバティック」を追い求め、器械体操部に入りました。
それがきっかけで、筋トレをするようになりました。
みるみるうちについていく筋肉を見て、
と、少しずつですが実感し始めました。
高校で体はピークとなり、
- 今の腕の2倍くらいの太さ
- 腹筋が隆起しすぎていてバキバキ
など、我ながら「ものすごい体」をしていました。
その頃から、同級生があまり怖くなくなってきましたね笑。
と、根拠のない自信だけはありました。
若気の至りというやつですね。
確かに「フィジカル面が鍛えられたこと」は大きな効果があり、精神的にも良い効果が出てきました。
今まで弱かった自分とおさらばするためには、筋トレは僕にとって必要不可欠だったのです。
筋トレは僕の「メシア」であり笑、今でも精神安定剤となっています。
と思うこともありますが、あの時の弱かった自分がいたからこそ、今の自分があると思っています。
だから僕は、
- 過去の自分
- 自分を救ってくれたトレーニング
には感謝をしており、今でも続けているのです。
過去の自分に打ち勝とうとする気持ち。
筋トレや体を鍛え抜く運動は、「昨日よりさらに今日」という気持ちにさせてくれるのです。
モチベーション?理由?実は何も要らない
よく「特殊だ」と言われるのですが笑、僕は呼吸をするように体を鍛え続けています。
「歯磨きと一緒」でして、やらないとウズウズするというものです。
モチベーションがあるといえばそうなりますが、常に、
と思っているので、「モチベーションがある」とは少し違います。
そう聞かれることもありますが、普段のルーティンを続けていますと、
- 眠くても
- 疲れていても
- やる気がなくても
なぜか体育館にいたり、腕立てをしていたり、あるいはランニングシューズを履いていたりするものです笑。
個人的には、
と思っています笑。
自分の「やる気」に左右されているとすれば、どうしても甘い方に流されてしまうからです。
これを毎日続けていれば、それはやりたくないのと一緒ですし、その気持ちになるたびにやらなくなってしまいます。
そもそもそういうマインドだとしたら、僕は今まで続けてこれてなかったことでしょう。
- 〇〇曜はこれをやる。
- 今日は忙しいからパス。
- 昨日できなかった分、今日やる。
- 明日は絶対に走ろう。もう決めた!
このように、ガチガチにルーティン化しなくても、ほぼ毎日、ゆるくても続けることが大切です。
やると言ったらやる。
自分との約束は、必ず守る。
そう決めたのならば、自分にウソはつかない。
自分との約束を守り続けることで、自分を信じることができるようになってくるのです。
こうして僕は、「体を動かさなくなる日」がほとんどなくなりました。
全くやらないとしたら、旅行中や忙しい時くらいではないでしょうか。
それはモチベーションや理由を探して体を鍛えているのではなく、ずっと強くあり続けていたいと思っているからだと思います。
体を鍛えることをやめてしまえば、以前の弱くて何もできなかった僕に戻ってしまうと、そう思うのです。
本能的に、
と、危機的状況に身を置いているのかもしれませんね笑。
強くあることは美しく優しくあること
僕は幸せを求めていく中で、
と、「強さ」についても考えたことがありました。
いろんな生き方があっていいのですが、僕自身は、
と思っています。
その1つの要素が、「カラダ」なのです。
「強い」とは、決してフィジカルが強いということだけを指すわけではありません。
人は見た目ではないと言われたものですが、小学生の頃の僕は、その「見た目」からいじめられ、かつ自分も「強くはない」と思い込んでいました。
心と体のどちらが先行するかはわかりませんが、少なくともお互いにリンクしているとは思っています。
そう思ったことすらありました。
鍛え続けていますと、自分の「カラダ」は、
- 相手に良い印象を与えたり
- 自己肯定感の上昇の手助けになったり
と、人生においてとても大切な要素を成していることに気づきました。
体を鍛えることは精神的にも影響がありますので、だんだんと僕の心境にも変化が訪れてきました。
それは、
「精神的に余裕ができて、人に優しくなれた」
ということです。
「本当に強い人」は、
- 優しくて
- おおらかで
- そして、美しい
です。
「少年ジャンプ」などで見る主人公たちも、ただ強いだけではなく、どこか揺るぎない軸や信念を持っており、そこに格好よさや魅力を感じます。
肉体的に強いことは、ともすれば「暴力」や「自己顕示」にもなり得ますが、鍛えていく中で精神的にも成熟していくと思っています。
本当にツラいことや、キツいことを超えてきますと、人に優しくなれるからです。
だから、
- 鍛え続けていきたいし、
- ずっと強くありたいし、
- そして優しくありたい。
一見繋がっていないように見えますが、フィジカルで追い込める人は、精神的な器も同時に鍛えています。
心身は表裏一体です。
「鍛えること」「強くあること」もまた、人として大切な要素なのです。
おわりに
僕が鍛えるのには様々な理由がありますが、いつも心には、
という気持ちがあります。
それは「ナイスバディー!」でありたいという意味ではなく笑、その生き様や格好良さに憧れているからです。
漫画ワンピースで出てくる「ゾロ」という剣士のキャラクターは、僕が尊敬してやまないキャラクターの1人でもあります。
時代も時代ですので、暴力で正義を語るつもりはありませんが、やはり肉体的にも強くありたいと思っています。
それがゆくゆくは、自分の精神も育んでいくと思うからです。
だからこれからも1年間、ずっと鍛え続けていきましょう。
それではまた!
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