こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
さて、先日から福岡に来ていますが、僕の大好きなドーミーインは、一泊15,000円でなんと朝食付きでした。
僕からすれば、これくらいの宿泊とサービスだけでも、
と思ってしまうくらいです笑。
でもこの「贅沢」を理解できるようになったのは、コロナ禍で積極的に旅をしたからでした。
昔の僕は、「贅沢」をどこかで忌み嫌ってました。
今でも別に好きというわけではありませんが、ちょっとした贅沢は人を幸せにします。
今日は「贅沢」について、改めて書いていきます。
いかに恵まれているかを知る
世界を回ってきた僕からすれば、
と感じるのは簡単でした。
このことは何度も書いてきましたし、今でも日本という国の「豊かさ」に驚いています。
だから僕は、
- 普段コンビニが使えたり
- こうして衣食住が保証されたり
している時点で、
と思っています。
それぞれ何に幸せを感じるのかは個人によりますが、僕としてはもう100点満点、いや、120点くらいの生活です笑。
人間、上を求めようとすれば際限がなくなってしまいますからね。
この感覚が、「足るを知る」という感覚なのだと思います。
と思っている人は、一生満たされることはありません。
それは天井のない空に向かって、延々と昇り続けているようなものだからです。
後述しますが、人間のできる贅沢なんてたかが知れてます。
とはいえ、
と思うこともまた、悪いことではありませんけどね。
こればかりはその人の持つ「スタンス」によりますが、個人的には「日本の生活」は大体の贅沢をカバーできていると思っています。
それ以上のものは、もはや個人の求めるレベルの贅沢であって、
- 何万円かけようが
- 何百万円かけようが
- 何億円かけようが
正直、贅沢のレベルは変わらないと思っています。
僕はそんな生活をしたことがないので、偉そうなことは言えませんが、
こう思えていますから、たぶん「何億円というサービスを受けてみて!」と言われても、そんなに魅力的に感じないと思います。
足るを知り、贅沢とは何なのかをちゃんと考えておくこと。
決して「基準を低く持て」というわけではありません。
でも普通に考えたら贅沢にも限界がありますし、「高ければ高いほどいい」というわけでもないのです。
普段の生活がカギ
「足るを知る」とは、「貧乏さを知ること」とは違います。
また、
「贅沢な生活を知っている人ほど、足るを知ることができるか」
と言いますと、またそうでもありません。
僕のように世界を回ってきた人間からすれば、
と一蹴することもできますしね。
決して「その人の経験のレベルがどうこう」というところに、終始するものでもないということです。
「それぞれがそれぞれの現状を見て、どう感じるか」
が問題であって、決まりはないということですね。
僕が日本人として日本に生まれ、今を生きている中で感じることは、
ということでした。
いかに普段の生活に満足さを覚え、足るを知ることができるか。
実はこの「普段生活」によって、自分のできる贅沢のレベルも変わってきます。
僕は普段から納豆とかキムチくらいしか食べていませんので笑、
と思っています。
ゆえに、リピートしている「ドーミーイン」系列のホテルは、全てのことを満たしてくれるため、僕としてはこれ以上にない「至高」なわけですね。(言い過ぎ)
- ビーチのあるホテルに泊まろうと
- 超高級なスイートルームに泊まろうと
僕にとっては「はぁ…」というレベルでして、別に何も感じないでしょう。(ありがたくは感じますが)
それよりも、
- 最低限のアメニティのあるホテル
- 友人たちと一緒に貸し切ってどこかに泊まる
といったほうが、僕にとっては満足度が高いわけですね。
もちろん、これも人それぞれで構いませんし、
と言いたいわけでも、押し売りしたいわけでもありません。
ただ、基準を高く高く設定してしまいますと、普段の生活に満足がいかなくなってきます。
普段生活もゴージャスにしたければたくさん稼いだらいいですが、個人的には「意味のない贅沢さ」を追求しているように感じています。
日本という国に限らず、先進国ではある程度「最低限の生活」が保証されており、豊かだとわかっているからですね。
普段の生活をどのようにデザインしていくか。
ここがスタート地点ですね。
ちょっとした贅沢で幸せに
僕からすれば、一泊15,000円は相当な支出ですが、1ヶ月に一度くらいなら別にいいかなとも思っています。
とも思っているからです。
そしてそこには、「友人/知人に会いにいく」という明確な目的もあります。
その目的がなければ、一人旅はもうほぼする気がありませんね。
何に贅沢を感じ、どれくらいなら満足度が高いかを知っている僕にとって「人に会いに行く旅」は、この上ない贅沢なんですよね。
- 豪華な
- ラグジュラスな
経験を、あえて避けているわけではありませんが、
とは思ってしまいますね。
「バカ高い浪費/散財」をしたいわけではありませんが、もしもっと稼げて余裕が出てきたら、そんな体験をしてもいいのかも知れませんね。(興味なし)
- 普段の生活を見直し
- ちょっとしたことに贅沢を感じる
こんな生活だけでも、僕はもうかなり「幸せ」を感じています。
コロナ禍のやりきれなかった時に探していた「幸せ」でしたが、こうした「僕にとってちょっと高級な」ホテルに泊まることは、僕の「贅沢リスト」を満たしてくれました。
何か特別なことをしなくてもいい。
- たまにする外食
- 友人たちと一緒に飲みに行く
- コンビニで買うちょっとしたスイーツ
こんなことで、僕は十分幸せを感じられると思っています。
と言いたいわけではありません。
と言っているだけであって、大きく間違ってはいないと思っています。
たまにちょっと贅沢をして、幸せを感じてみる。
こんな生活はいかがでしょうか。
それができない人は、
- 贅沢を履き違えているか
- 贅沢では補えないほどのストレスを抱えているか
でしょう。
僕はもうこの生活で十分です。
みなさんの「贅沢」とはなんですか。
ぜひ考えてみてくださいね。
おわりに
たまにする遠征ですが笑、いつも満足度が高い状態で終えています。
それだけ、僕の普段の生活が満たされているからです。
逆説的ですが、普段から満たされていない人ほど、“贅沢” で何かを補おうとします。
実はそうではありません。
まずは普段生活で幸せを感じることですね。
それではまた!
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