マシーンのように毎日を淡々と過ごすために【健康と自分と生徒と】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

さて、こうして毎日死ぬ気で働いていますと、

なぜそんなことができるのか?

という質問をいただくことがあります。

別に特別なトリックはなくて、

ただただ一所懸命生きているだけ

というのが回答になるでしょう。

それだけですと面白くありませんので、今日は僕が「毎日続けること」において大切にしていることについて書いていきます。

毎日続けるためには、健康が第一だ。また自分の時間や人との時間も大事にすると、より生き生きと毎日を過ごすことができる。

健康などのバランス

以前も、35歳を迎えた男が普段している「ルーティン」について書いたことがありました。

歳を重ねてきますと、「若かりし頃にできたこと」ができなくなってきます。

僕も多くの人に、

Age is just a number.(=年齢はただの数字)

とは言いますが、それは気の持ちようや「言い訳をするな」という意味であって、例えば老衰死しそうな人に「年齢を言い訳にするな」はさすがに無理があるように、目を向けなければならない面もあります。

要は、

体はウソをつかないし、人は死に向かっているということは否定できない

ということ。

年齢を言い訳にすることはしませんが、事実として受け止めなければならないことは別の話です。

堀江さんや大空さんが、

若いことはそれだけで何にも変えられない価値がある

と強く主張するのも、大いに納得ですね。

僕もまだまだ若い部類なのでしょうが、一方で「健康」に気を遣っておかなければ、すぐに体にガタが来て、精神的にもやられてしまいます。

毎日やる

そう決めてから、健康(食や運動)にも気を使うようになりました。

できる限り体に悪いものは避けて、体にいいものを摂取すること。

そして中〜高強度の運動を定期的にすること。

一度怠けていた時があって、その時は体が大きく変化してしまったものでした。

今もまた、再び持ち直してきております。

一時期すごく痩せてしまったので、今は調整しながら健康に気を遣っています。

おかげさまで、この夏(2024年)の健康診断はオールAでした。(拍手)

健康でなければ、続けられるものも続けられなくなっていきます。

まずは自分が強くあることです。

体を労っていない人が、毎日頑張ろうなんて無理な話なのです。

寄る年には勝てない。だからこそ、何よりも健康に気を使うのだ。

自分の時間

マシーンのようにカタカタと毎日当たり前のように過ごしている僕ですが、一方で「自分の時間(=Me time)」も大切にしています。

先ほどの健康と同様、「自分の時間」も大切にするからこそ、

  • 自分も幸せであり
  • 他人に幸せを与えることができる

と思っています。

特に僕がルーティンや毎日の仕事をする上で大切にしていることは、

自分の時間を確保するために、仕事を頑張る

という、なんとも「謎めいた」感覚です笑。

これは両者ともに持ちつ持たれつの関係と言いますか、

こっちが立つから、こっちも立つ

といったような感覚です。

自分時間といえば、例えば、

  • 読書
  • サウナ
  • 美術館
  • ダンス
  • ランニング

といった運動や趣味に加えて、たまにホテルで過ごす時間なども入ります。

そうした「一人の時間」は、僕にとって貴重な時間となります。

決して高尚なものというわけではありませんが、

  • 人生について
  • 事業について
  • これからについて

など、いろんなことを考える時間になるからです。

たまのランニングも、ジョギングくらいのレベルであれば、

あぁでもない、こうでもない

と、”いい意味で” マインドレスになる時もあります。

自分の手が空かなければ、今後のビジネスを進めることができないからですね。

こうしてブログを書いている時間もそのうちの1つですね。

他にも、

  • コンビニの前でご飯を食べている時
  • 電車に乗って移動している時(作業や勉強をしていることが多いが)

など、単純に自分一人の時は、

  1. 作業するか
  2. 考え事をする

ことにしています。

人と話すことも好きではありますが、アウトプットの場にしかならないため、自分の中でリハーサルをしたりインプットしたりする時間をとるようにしています。

こうすると、「毎日働いている」という感覚から、調整しながら働いているようなイメージを持つことができるようになります。

ただガムシャラに働きつつも、自分なりの時間をとる。

この按配が大事なんですよね。

自分の時間も確保することで、毎日働くことができる。ただただアウトプットするだけではダメなのだ。

他人からエネルギーをもらう

教員時代からそうでしたが、僕はいつの間にか「人と話すこと」が好きになっていました。

先ほどもアウトプットについて「やりすぎないように」と書きましたが、人と話している時は「エネルギー」ももらっています。

活力だけではなく、情報や知識ももらうようにしているということです。

  1. 自分の時間を確保しつつ
  2. 人との時間も確保していく

これによって毎日の活力が生まれます。

毎日頑張ることができるのは、

目の前の生徒さんに喜んでもらいたい。成長してもらいたい

という気持ちがあるからです。

毎日僕がいることで、生徒のみなさんも「頑張ろう」と思ってくれます。

せいじ先生はお盆でも毎日いるから、ありがたい

とも言われました笑。

たまに丸一日休んでしまうこと(人と会ったり予定が入ったりして)もありますが、基本的にはほぼ毎日入るようにしていますし、今のところ講師もプライベートも、授業を2日でも空けたことはありませんね。

生徒さんたちに会いたいから、頑張って欲しいから、自分も頑張る

この考え方があるのとないのとでは、僕の頑張り方も変わってきます。

自分の頑張りの向こうに誰もいないのであれば、それは「虚しさ」となってしまうからです。

まだまだ規模は小さいですが、僕は人に何かを与え続けなければならず、それは少しずつ形になってきています。

でも同時にそれは、誰かがいてくれている、つまり「=与える対象がいてくれている」ということでもあるんですよね。

毎日長く続けられるのは、「頑張る人たち」がいるからなのかもしれませんね。

マシーンの僕にも、心があったということでしょうか笑。

ただしここには「僕から与えること」も、当然のことながら求められています。

教員時代もそうでしたが、授業の前はどうしても足が動かなかったものでした。

ここ最近、毎日授業していますが、やはり相変わらず「面倒くささ」みたいなものは感じます笑。

そりゃあ、仕事ですしエネルギーを使いますからね。

それでも、

授業をしたい

と思い、始まったら思いっきり熱が入ってしまうのは、待ってくれている生徒さんたちがいるからです。

朝活もそうですね。

多くの人に支えられているからこそ、続けることができる。

一見すると不思議ですが、僕にとってはそれで成り立っているのです。

僕は生徒や友人から活力をもらっている。毎日授業ができるのは、授業でエネルギーをもらっているからかもしれない。

おわりに

2021年の春から、再び走り始めた僕の人生。

今でも毎日休みなく働いているのは、ある意味毎日エネルギーをもらえているからです。

これからも淡々と、前に進み成長しながら事業を続けていきます。

それではまた!

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