頑張ることって誰にでもできるわけじゃない【自分が正義でもない】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうして毎日ブログを書いたり、朝活をしていたりしますと、他の人と一線を画すことができます。

でも誰もがせいじのように頑張れるわけではない

とはいえ、みなさんが思っている以上に、僕は頑張っていません笑。

ただ継続という名のもとに、続けているだけですね。

果たして、この「頑張る」って一体どういうことなんだろう?

そう思った僕は、「頑張ること」について書いてみることにしました。

頑張ることは誰もができることではない。無理をしすぎず、頑張っていこう。

頑張るって何?

そもそも「頑張る」にも、いろんな定義があります。

  • 自分や他人のために奔走する
  • ただただムダなことを継続する

別に大きく2つに分ける必要もありませんが、このように「頑張る」においては人それぞれ定義が異なります。

筋トレも勉強も同じように「頑張ること」に定義されますし、個人の趣味だろうとビジネスだろうと同じ「頑張る」です。

僕が個人的に思うのは、

何か1つのことに集中して(コミットして)やり続けること

が、「頑張ること」の定義かなと。

だからそれは遊びであってもいいですし、仕事であってもいい。

そこに「献身性」があるかどうかが、「頑張る」を定義づけるのだと思います。

例えば『みんなで集まってサッカーをする』だけなら、これは頑張るに含まれません。

一方で、このイベントを毎月企画し、

誰でもサッカーが楽しめるように

とホスティングしている場合、それは「頑張る」に含まれることでしょう。

あるいはサッカー場を貸し出している方々は、頑張って仕事をしていることになります。

筋トレや言語学習は「自分のため」なので、あまり「誰かのために頑張っている感」がありませんが、これも側(はた)から見れば、

なんていう努力家なんだろう

と思われる1つの「頑張り」ですよね。

自分の夢に向かって、一所懸命努力しているからでしょう。

つまり「頑張る」には、

  • 努力
  • 継続
  • 献身性

といった、泥臭さみたいなものが必要だということですね。

これができるかどうか。

実はこれ、

誰もができることではない

これが僕の意見です。

以前の僕は、ざっくりとですけれど「頑張ること」ができませんでした。

働いて稼ぐことも1つの頑張りなのでしょうけれど、単純に何かに向かって頑張れていなかったんですよね。

これは、気持ちの問題であったり、考え方の問題であったりするんですよね。

頑張るとは、ざっくりいえば「泥臭さ」なのかもしれない。何かに向かって一所懸命になることを、頑張るというのだ。

誰にでもできることじゃない

個人的な意見になりますが、この「頑張る」とは先述した通り、

誰もができるものではない

と思っています。

以前の僕がそうだったように、

何かに向かって努力すること?はぁ、めんどくせぇ

という人がほとんどだからです笑。

先述した通り、「頑張る」にもいろんな形がありますから、

この人は頑張っていて、この人は頑張っていない

と、決めつけることはできません。

ただ、僕の過去と今が比較できるように、「頑張っていない時」は自分が一番わかります。

何かに向かって努力したり、時間を割いたりしていない時ですね。

仕事においても言えますから、昔の僕は学校の授業でさえ「適当に」やっていたと言えます。

だからこそ僕自身も、

頑張ることって、簡単にできることじゃない

と思うのです。

誰だってどこかで休んだり、甘えたりしたいですし、僕は「いかに休めるか」ということばかりを考えていました。

それを変えるためには、自分の人生について深く真剣に考える必要がありました。

それぞれの人生があっていいので、ダラダラと生きることもまた正解です。

ただ、そこにはあまり「努力」「頑張り」みたいことは必要ありません。

生きているだけでも100点だ!

なんていう言葉もあり、僕はそれも正しいと思っています。

しかし僕にとっては、

それだけじゃつまらないまま、人生が終わっていくんだろうな

という危機感のほうがありました。

だって、気づいたらもう30代ですし、あっという間に40〜50代となっていくじゃないですか。

この夏も、あと数十回見たらあの世行きか…

なんて思ったものです笑。

そこに気付けない限りは、「頑張ろう」という気持ちは起こり得ない。

なぜか。

人は楽(らく)をしたがるからです。

だから文明だって発達しましたし、便利な世の中になりました。

僕はそちら側に流されたいのだろうか?

そう考えている、そう自問自答している、そんな毎日ですね。

頑張るということは誰にでもできることじゃない。自分はどうしたいか。それが一番大事なことだ。

頑張ることはいいこと?

少し触れたように、

  • 頑張らない
  • 頑張りすぎない

という考え方もあります。

  • ガス欠
  • 燃え尽き症候群

といった言葉があるように、なんだってやりすぎは禁物です。

じゃあなんで僕は、数年前と違って頑張れるようになったのだろう?

と考えを巡らせてみますと、頑張っている自分のほうが、より「」を実感できているからでした。

「頑張る自分がいいかどうか」ではなく、「自分がそうしたいかどうか」が問題なのです。

そこに良し悪しの判断なんてありませんし、

  • 毎日働いている
  • 子育てをしている
  • めちゃくちゃ有名人になった

など、いろんな「頑張り」が存在します。

昔と比べれば、今の僕のほうが圧倒的に頑張っていますが、だからと言って、

世界で一番頑張っているか?

と聞かれれば、僕のやっていることだって他人と比較したら怪しいものですし笑、まだまだです。

極端な話をすれば、これは自己満足なのかもしれませんしね。

しかし一方で、最終的にはそれが「行き着くところ」なのかなとも思っています。

ある意味、

自分の人生を自分のために生きれているか?

が、究極の課題なのかもしれません。

僕は上記の書籍を読んだ時、改めて自分の位置を確認したものでした。

また個人事業主として仕事を始めた後も、「自分のやるべきこと」について何度も検討しました。(今もなお検討中)

そうやって、

自分なら頑張れることってなんだろう?何ができるだろう?

と考えることのほうが、「生きている意味」についてより深く感じることができます。

だから結論として、

よし、頑張ろう

と思ったのでしょうね。

僕も一人の人間ですが、人生に対してゲーム感覚みたいな要素もあると思っていて、

  • 楽しむこと
  • 努力してみること
  • 頑張ってみること

も、人生をいいものにしていく醍醐味だと思っています。

だから頑張ってみましょう。

それは、誰にでもできることではないことですから。

頑張ることはいいことか。当然そこに答えなんてない。しかし頑張ることが楽しいと思えれば、それは人生を楽しんでいる証拠。頑張って生きてみよう。

おわりに

以前の僕と大きく違うことは、

  • 生き生きしている
  • 毎日が充実している
  • あっという間に終わっていく(いい意味で)

といった点ではないでしょうか。

総じて「Good!」なのです笑。(適当)

だから頑張り続けたいし、もっともっと人生を模索していきたい。

僕はこれからも、

  1. 泥臭く頑張ってみて
  2. 自己実現を繰り返していく

ことを続けていこうと思っています。

それではまた!

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