30代になって自分に集中した話【他人には押し付けない】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕が教師になりたての若かりし頃は、

仕事は全然できない割に、人の仕事ぶりをなじる

と、回りをところかまわず傷つける思春期の学生のようでした笑。

今日はそんな経験をもとに記事を書きつつ、

  • どのように考え方が変わったのか
  • 他人に割いている時間がどれほど傲慢で無駄か
  • どのように自分に集中できるようになっていったのか

を、お伝えしていきたいと思います。

他人にかまっている暇はない。自分ごとに集中だ。

勘違い野郎

大学院を経て、鳴り物入りで教員になった僕の鼻は、天狗のそれよりも高かったことでしょう。

  • 学生時代に個別塾でバイトを6年経験し
  • 大学院時代に非常勤講師として中高に2年間勤めた経験もあり
  • 英語教育の議論に身をおいてきた若者だからこそ

自信も情熱も、兼ね備えていました。

あの時代の自分は「嘘偽りのないピュアな若者」だったので、だから僕は当時のことを否定的にとらえてはいません。

良い意味で猪突猛進していたな

とは思っています。

そんな若者が「疲れ切ったクタクタの教育現場」に入ってきたわけですから、みなさん歓迎もしてくれましたし、「頑張れよ」と応援もしてくれました。

それにしても、「勘違いの甚だしい若者」だったと思います。

自分はいかに教育論を勉強してきていて、あなたたちとは違う世界にいる

と、思っていたものか。

自分のことを、神か何かだと思っていたのでしょう。

一方で40人の生徒を相手に授業をしてみれば、今は目も当てられないくらいズタボロの授業

若いんだから仕方ないよね

で終わるならいいのですが、自分の学んできたことにこだわっていた分、頑固で柔軟性もなく、一切変わろうとしませんでした。

校務分掌(=授業や部活以外の学校運営に関わるグループ業務)は全くと言っていいほどわからず、ほとんど役立たず

最初の一年目は誰もがそうなのは、仕方のないことなのですけれどね。

大学で学んできたことと現場は違う

とよく言われるものですが、まさにその通りでして現場はナマモノでした。

常日頃から、些細な変化や動きが絶え間なく続く場所なのです。

天狗より高かった鼻はあっけなく折られることとなりました。

それまでの僕は、典型的な若輩者といった感じでしたね。

若い時は尖っているものだ。時間をかけて「仕事とは何か」に気付ければそれでいい。

押し付け時代

特に顕著に出ていたのは、

俺、英語頑張っている

というような「謎のオーラ」でした。

いつかの飲み会のことでした。

  • 僕は通勤時間には英語を聞くようにし
  • 空き時間で英語の勉強をし
  • 帰ってからも一所懸命勉強をしていて…

と発言したことを覚えています。

確かに、今の自分も見習うべき姿勢ですし、英語教師として頑張っていたことは偉いことです。

しかし、人前で言うべきことではないですよね。

俺は英語を頑張っている(お前らも英語頑張れよ?)

といった、偉そうな態度でした。

恥ずかしい限りです。

本当に英語力のある人は、そんなことは言いませんからね。

若い頃の僕の周りには、

  • 英語教育熱のある友人
  • 英語の能力が高い友人

といった「すごい友人」がたくさんいたこともあって、日本の英語教育の現在と未来に憂いていたことは事実でした。

それにしても、新進気鋭感があふれ出ていましたね。

さらにもう1つエピソードがあります。

職場にも慣れ始めた2年目のことでした。

英語科の年上の先生と英語教育(確か評価についてだった気がします)のことについて、職場で議論になったことがありました。

内容はあまり覚えていませんが、何か納得がいかなかった点があったのか、

  1. 論点をまとめたものをfacebookに投稿し
  2. 僕の友人たちのコメントをプリントアウトして
  3. その先生の前に叩きつけてやった

のです。

何と言う時間の無駄なのでしょうか。

そんなことをされたところで、その先生が読むわけがありません。

  • 能力もなく
  • 人の話も聞かない
  • それでいて他人に自分の意見を押し付ける人間

だったのです。

そんな僕が、どのようにして変わっていったのか。

見ていきましょう。

人に押し付けたところで、押し付けられた側はいい気持ちなんてしない。それは時間の無駄であり、エゴである。

他人に自分の時間を捧げない

当時ルームシェアをしていた友人も、同じような悩みを抱えていました。

彼は職場をマネジメントしていた分、僕のケースよりも深刻な悩みでした。

彼は、

ナメくさった態度で、話を聞こうとしない部下

を叱責するも、なかなか変わらない現状に参っていました。

そのことを上の先輩に相談したところ、

その人に時間を割いて怒って悩んでいる時間があったら、自分を磨いたり自分の成長のために時間を使いなさい

と言われたそうです。

管理する立場である友人が、そのような悩みを持つことは間違っておらず、むしろそれが仕事と言ってもよいです。

そうだとしても、その先輩上司の言葉には確かな重みがあり、「深く納得した」と言っていました。

当時の僕も、同じようにハッとさせられました。

俺、何してるんだろ

と。

一教員でしかない、クソの役にも立たない若造が、他人にかまっている暇はないんだ

と思ったのです。

その時聞いた言葉は、まるで自分に跳ね返ってくるような、そんな重みのある言葉でした。

また「嫌われる勇気」を読んだことで、他人への干渉が無意味な時間であるとともに、自分勝手な行動だということも悟りました。

後輩の教育や悩みの相談ならまだしも、自分の理念を勝手気ままに押し付けるなんて、暇もいいところです。

そんな暇があるのであれば、自分を磨いて、ない頭をもっと実のあるものにして、一人の男としてドンと成長してみよう

と考え直したのです。

他人にかまっている時間は果たして有意義な時間なのか。自問自答してみよう。

努力している人は見ればわかる

年を重ねて経験も豊かになってきますと、随分と尖っていた僕も丸く柔らかくなりました。

以前の僕も、今思えば「尊敬に値する姿勢」だったと思います。

そのようなまっすぐな姿勢を、これから敢えてなくす必要はない

と思っています。

たくさんの知恵と経験をインプットすることで、静かなる闘志を燃やしていこうと決めました。

僕が思ったことは、

空っぽだった自分にもっと説得力が欲しい

ということです。

その力を教育界でつけていくために、今の僕に必要なことは「勉強と実地経験」でした。

授業の空き時間に英語を勉強していれば、見ている英語教師陣はただならぬ空気を感じます。

「他人からよく見られよう」と思う必要はありません。

自分が成長するために勉強するのであって、勉強している事実を振りかざす必要もありません。

自分が努力し続けていれば、生徒たちからも尊敬してもらえます。

友人たちも「俺も負けてられない」と思います。

そうやって努力することが、

  • 自分にとっても
  • 周りの人間にとっても

プラスに働くのです。

自分に集中し、自己投資していこう。それが本来あるべき姿なのだ。

おわりに

以前の、

  • ギラギラしていた
  • 他人とドンパチやっていた

時代があったからこそ、身についた能力もありますし、成長したこともあります。

一方で、

他人にかまっている時間があったら、自己研鑽や大切な友人・後輩との時間に使ったほうがマシだ

と思うようにもなりました。

他人に干渉しようとすればするほど、変わらない相手にイライラしますし、期待すればするほど、そのリターンが得られることはありません。

実際は他人を変える必要はなくて、自分が変わればいい

それだけのことなのです。

自分の人生を豊かにすることに集中していけば、きっと周りだって豊かにできるはずです。

人生は有限です。

そう思うと他人に干渉する時間を極力減らして、自分の時間に充てていきたいものですよね。

まだまだ伸びしろしかない30代、成長は青天井です。

もっと自分と向き合う時間を大切にしていきたいと思います。

それではまた!

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