常に中立であることのメリット【即判断と行動ができるように】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

学校現場では、

どちらが正しいか

を議論する機会があります。

この生徒は指導に入れたほうがいいか?
その生徒の行為について指導することはどうだろうか?

と、各先生がそれぞれ自分の意見を主張していきます。

僕も「教育における自分なりの軸」を持っていますので、たまに意見が合わないこともあります。

以前はよく、他の先生たちとぶつかっていたものでした。

今は「中立であること」も大切にしています。

今日はその「中立」について深掘りしていきます。

何かがあった時にすぐに踏み出せるように、思考を傾けないようにしておこう。逆側の立場についても考えておこう。

中立であることとは?

以前から僕は「マシーン」と呼ばれ、あまり感情の起伏のない人間だと思われていたものでした。

最近は少しずつ変わり、よりいっそう「他の(相手の)立場」を考えるようになりました。

もちろん、感動して泣いたり、感情移入することはあります笑。

ただ、もっとこう一歩引いたような、

客観性を持つようにしておきたい

と思うことが多くなりました。

相手のことをしっかりと考えることで、「自分は正しい」という強い感情を抑制するようになったのです。

生徒の指導案件に関しましても、一概に「加害生徒」のほうを責めるのではなく、

  • 本人の言っていること
  • 本人がやったことを認識していること

などを聞き、その気持ちや態度を尊重するようになりました。

僕のワンピースの好きなキャラクターであるゾロは、こんなことを言っています。

(中略)

別におれはどっち側にも揺れちゃいねェ

信じるも疑うも…どっちかに頭を傾けてたら…

真相がその逆だった時

次の瞬間の出足が鈍っちまうからな

なんとかっこいいのでしょう。

僕は、この「中立であること」とは、どちかに「行き過ぎないこと」を意味していると思っています。

人に好きなものや信じているものがあるように、ある程度の信頼がなければ、前に進めないこともあるからです。

何でもかんでも「どっちつかず」という意味での「間」ではありません。

信念を持ちつつも、逆側のことも考えておくこと。

これが僕の理想の「中立」です。

次の判断が鈍らないように、「間」をとっておこう。極端に振れすぎることはよくない。

何事も「中庸」が大事

どちらかに振れすぎること

は、どの場面においても危険を伴います。

僕自身も、こうしてブログで教育について、

あぁでもないこうでもない

と議論を重ねてきましたが、大前提として「正解はない」と思っています。

僕が感じていることや思うことも書きつつ、

でも逆の立場で考えると、この考え方は正義になる

ということについても、できる限り考えて書くようにしています。

例えば去年の2021年は、僕の体に大きな革命が起こった年でした。

しかし「ロカボダイエット」を極端にやり過ぎたおかげで体重が激減し、摂取カロリーが足りなくなるという事態が起こりました笑。

あまりにも行き過ぎてしまいますと、人間が本来持つべき「バランス」を失ってしまうのです。

他にも、ランニングを始めたことで走り過ぎてしまい、ふくらはぎに肉離れを起こしたこともありました。

もちろん、どちらも「始めたて」ということもあり、あるべき「失敗」だったのだと思います。

しかし長く続けていくには、やはり「中庸(ちゅうよう)」が大切だと感じざるを得ませんでした。

「中庸」とは、

過不足がなく調和がとれていること。 また、そのさま。

だそうです。

中国の「論語」で出てくる言葉ですね。

こっちだこっちだ!

と何か1つのことを信じて突き進んでしまうことは、人間誰しも必ずあることだと思います。

時にそれが推進力となることもありますが、一方で、振り返らずに突き進み過ぎてしまいますと、僕のように痛い目を見ることもあります笑。

  • 人との議論
  • 自分のやっていること

それぞれにおいて、「中立」「中庸」はとても大切なことです。

常に自分の中で「調和」を意識していますと、議論で白熱したとしても、

なるほどそういう考え方もあるのか

と、一旦冷静になることができるからです。

人はどうしても「感情的な生き物」ですから、「こうだ」と思ったらとことん信じてしまうことは多いものです。

そんな時、程よく真ん中(中庸)に寄せて、バランス(=調和)を心がけること。

  • 人間関係
  • 会話や議論
  • 挑戦していること

どこにおいても、「真ん中でいろ」というわけではなく、

真ん中の考え方を持っておくこと

で、何かの折(おり)に逆側に振れることもできます。

「中立/中庸」を意識しますと、自分の感情を抑えて客観性を取り戻すこともできるのですね。

自分が今行なっていることについても、「真ん中」を意識しよう。ほどよいレベルを保つことで、逆サイドに移り変わることも容易になる。

人を批判しなくなる

僕は以前に比べて、だいぶ丸くなったと思います。

「想像力」をつけるようになったこともありますし、様々なバックグラウンドを持つ人たちとお会いし、話す機会に恵まれたからでもあります。

僕みたいに、

  • 自由
  • 独り身
  • 貯蓄がある

という暮らしぶりをしている人だけではないですし、

  • 趣味
  • 価値観

も、人それぞれ違います。

中立や中庸を守るようになってきますと、

いや、一概に逆側を批判してはいけない

と思うことができます。

なぜなら「悪」だと思われている人や、「こいつ気にくわないな」と思う人に対しても、何らかの背景があるということに気づくからです。

特に教師をしていますと、頭ごなしにできの悪い生徒を批判することはできません。

それぞれの生きてきた時間も違えば、時代も違う。

年代も違ければ、触れ合っている友達も違う。

生徒たちを無下に否定することはできず、いつも「相手が何を思っているのか」を考えるようになりました。

大切なことは、「話を聞いてあげること」です。

それが仮に言い訳であったとしてもいい。

生徒や相手、例え大人であっても、相手が行なう「言語化」はとても大切なプロセスだからです。

  • 何を思い
  • どう考え
  • どうしてそう動くのか

言語化が苦手な人もいますが、それでも話を聞く価値は十分あります。

そうでもないのに、

  • 批判や便乗
  • 否定や賛同

をしてしまうのは、少し尚早(しょうそう)かなと感じるようになったのです。

その「冷静さ」を感じるには、

  • 怒りが湧き上がって熱くなる時
  • 鼓動が早くなってきてドキドキした時

に、

自分は今「中立」になっていない

と思うことです。

それをすぐに察知することができれば、「中立的な考え方」のもとに、自分の意見が言えるはずですから。

すぐにフツフツと感情が込み上がってきたら要注意だ。まずは相手の意見を聞き、中立的な考え方を忘れないようにしてみよう。

おわりに

冒頭でもお伝えした通り、僕は「中立」を、

  • 中途半端
  • どっちつかず

だと思ってはいません。

大切な時に、本当にすぐに動けるように、様々な角度からものごとを見ておく必要があります。

僕自身もまだまだですし、

それどういうこと?

と会議や議論でヒートアップすることもあります笑。

それでも相手の意見を無視することは、一番あってはならないことです。

しっかりと聞き入れた上で、自分の思いを伝えること。

そのために、中立性や中庸さをもっておき、他人にも自分にもほどよいバランスを持っておけるようにしたいですね。

世の中に正解はありません。

いろんな角度からアプローチできるよう、日々想像力を鍛えていきましょう。

それではまた!

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