こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕が大学に入学した時は、アキレス腱を断裂していました。
松葉杖で迎えた入学式からの新歓。
あれほどの「苦痛の日々」はありませんでした。
その時に聞いていたのは、Mr.Childrenの「名もなき詩」でした。
最近、たまたまシャッフル再生で流れてきたこの曲。
改めて感じた、この曲の素晴らしさ。
なんだか現代の人々の生き方を表しているようでした。
今日は「傷つくこと」について書いていきます。
人のせいにしないこと
特に「名もなき詩」のサビの部分は、圧巻です。
あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
最近では、日本でもようやく「ノーマスク」となりました。
それぞれに理由はあるのでしょうが、いつまで経ってもマスクを取らない人が多いのは、日本人らしいと言えば日本人らしいです。
僕はと言えば、前年の2022年あたりから、マスクに対する違和感がありました。
こう思ったら、すぐにやる男です笑。
夏明け頃から、職場以外ではできる限りマスクをしないで生活していました。
賛否両論がありますし、過激な発言をしたいわけではありません。
マスクをしていないから偉いとか、しているからダメだとかそういう小さいことではありません。
大切なことは、
「僕が僕らしくなかったこと」
このことが、とても苦痛で仕方なかったということだけでした。
僕自身も、心のどこかで人のせいにしていたのです。
人や環境のせいにしますと人間、本当に生きやすいものです笑。
誰かが責任をとってくれるわけですからね。
だから僕も、
と思っていましたが、
と考え直しました。
それからというもの、「自分が出した答え」に従うようになりました。
「本当に強い人」というのは、自分の弱さをわかっている人です。
僕は、自分が自分らしくいられない「弱い部分」を、人のせいにして生きてきました。
- これができないのは環境のせい
- これをやれないのは職場のせい
- やりたいことがやれるほど人生は甘くない
そんな「自分の弱さ」と、しっかり向き合うこと。
マスクはあくまで一例ですが、1つの例をとってみても、
「いかに自分らしくあることができるか」
は、人生の大きなテーマなのですね。
傷つくことを恐れないこと
最後のサビもまた、心に刺さる歌詞です。
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついていく
これにはいろんな解釈があるかと思います。
僕は「あるがままでいようとすること」が、生きづらい世の中であるということを表しているのかなと思いました。
それだけ、
と。
しかしそれもまた、社会や世の中のせいにしているということに気づきました。
そうではなく、
と自分の中で葛藤することで、自分で傷ついてしまうことなのではないのかな、と。
本当の意味で「あるがまま」でいられれば、「傷つくことを恐れていない」ということになるのですね。
ポイントは、あるがままで「いようと願うこと」が、まだ葛藤しているフェーズだということです。
その葛藤を乗り越えるまでには、たくさん傷つくことがあるかと思います。
もちろん、先述した通り「社会との摩擦」もありますよね。
僕はコロナ禍に入ってからむしろ、
と、強く願うようになりました。
そう思ったからです。
そのほうがよっぽど、精神衛生上よろしくありません。
あるがまま生きることを願い、行動に移していく過程で、人は傷ついて成長していきます。
- あるがままの自分
- 自分の気持ちを押し殺している自分
この2つを天秤にかけたら、どちらを取りたいか。
答えは明白ですよね。
「あるがままの自分」であるほうがいいに決まっています。
その道のりは傷つくことが多いですが、得るものも多いです。
一方で、自分を表出し切れない人生は、死んでるように生きているようなもの。
それなら、傷ついてでもあるがままの心で生きていくほうがいい。
そう思ってからというもの、僕は自分の心に従って生きられるようになりました。
「自分らしさ」という名の檻
さらに面白い歌詞があります。
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻(おり)の中で
もがいてるなら僕だってそうなんだ
そう思いますよね笑。
僕も「あるがままでいること」とは、「自分らしくあること」と同義だと思っています。
ただこの歌詞の面白いところは、「知らぬ間に築いていた」という点です。
勝手に「自分らしさ」を築いては、その檻の中に閉じこもってしまうこと。
これは誰しもが経験することです。
- その「自分らしさ」とは、本当の自分らしさなのか
- それとも周りから作られた「自分らしさ」なのか
「檻」を作ってその中でもがいている人は、いまだにたくさんいます。
と思って築いていたのが、形式上の「自分らしさ」であるのならば、それは「自分らしさ」というレッテルが貼られた偽りの自分です。
そんな「自分らしさの檻」という表現は、あるがままに生きられない人への皮肉とも取れます。
一方で、現代の人々の生き方をうまく言語化しているとも言えます。
解釈は様々あるかと思いますが、僕は、
と思うようになりました。
時に社会の常識やルールが、僕を守ってくれると同時に生きづらくしてしまうこともあります。
その按配は難しいものですが、やはり僕は、
と思っています。
心からありのままでいられる自分を手に入れること。
まずはそれが大事ですよね。
その上で、「檻」にとらわれることなく自由に伸び伸びと生きてゆくこと。
「名もなき詩」には、そんな願いが込められているのではないでしょうか。
おわりに
久しぶりに聞いたこの曲。
- 今の日本に
- 今を生きる人たちに
きっと刺さる歌詞だと思います。
特に最後のほうの絞り出すような桜井さんの声は、胸が熱くなります。
大学に入学したときは、本来の自分でいることができていませんでした。
今は、あるがままに生きられていると思っています。
これからも、幾度となく僕を縛る「檻」が現れることでしょう。
そんな檻をぶち壊して、もっと自由に生きていこうと思います。
それではまた!
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