悪くない人生だったと思えることができるか【カッコよく生きて散る】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕の好きな漫画ワンピースでは、ドクター・ヒルルクという医者のキャラクターが、

まったく!!!!

いい人生だった!!!!

と言って散っていくシーンがあります。

先日、たまたま見たアニメでも、同じように散っていくキャラクターがいました。

ネタバレになるといけないのでこの程度にしておきますが、

果たして僕は、明日死ぬとしたらそう言うことができるだろうか?

と自問自答してみました。

死んでいるように生きるくらいなら、生き生きと生きて散っていきたい。

そう思ってから始めたGIVEや、この世界の旅。

僕は少しずつ変わっていきました。

今日は「自分の人生」について書いていきます。

悪くない人生だったと思って最期を迎えることができるだろうか。今を必死に生きることができているだろうか。毎日を積み重ねれば、きっと綺麗な線が出来上がっているはずだ。

明日死ぬとしたら僕の人生はどうだっただろう?

僕は飛行機の中で、アニメや漫画のキャラクターたちが散っていく時の言葉を思い浮かべました。

あれは確かに漫画の世界かもしれませんが、それでもやはり彼らの「散りザマ」とは、エゲツなくカッコいいのです。

やるべきことをやり切って、

うん!悔いはなかった!

と散ることができるかどうかを、伝えてくれるからです。

彼らはキャラクターとはいえ、その役割の中で一所懸命生きては、読者に大切なことを教えてくれます。

僕は現実世界の人間ではありますが、周りの誰にも、彼らのように胸を張って「生き抜いた」と言える人間でいたいと、そう思うようになりました。

「死」とは本当にいつ訪れるかわからないものであり、特に「世界の旅」では何に巻き込まれるか予想もできません。

ふと、明日が最期だと思った時に、

  • 僕はこの旅を始めて
  • いろんな国の人々や景色を見て
本当によかった

と思えています。

後悔のない人生」とは、言うは易しですが行なうは難しです。

それくらい日本は恵まれており、なんだかんだで時が進んでいくのをじっと待つだけでも、ある程度保証された人生を歩んでいくことができます。

そんな中で、「明日死ぬかもよ?」と思って生き抜いていることができているのかどうか。

その疑問を持ってから、僕は2022年、「命を燃やして生きる」ことに注力するようになりました。

今までの僕の人生はなぁなぁだったけど、きっとこれから頑張るんだ

そう思えてからは、本当に素晴らしい時間を過ごせるようになりました。

必死に生きるって、こういうことだったのか

明日死ぬとしたら…

僕はそう思って、今は海外での生活を毎日必死で生きるようにしています。

明日もし最期を迎えるとした時に、僕は一所懸命生きてきただろうか。そう考えてから必死に生きるようになったのだ。

胸を張って「よかった」と言える

すでに答えは出ていまして、

うん!悪くない、最高の人生だった!

と、今ならそう言えると思っています。

もちろんこれからも生きていきたいわけですが、ここ数年で必死に生きるようになってからは、

もう明日がないかもしれない

と思い、人生に対する姿勢が大きく変わりました。

アニメや漫画のどのキャラクターも、散りザマが本当にカッコいいのは、それだけ一所懸命人生を生きてきたからなのだと思っています。

僕もあぁなれるかな?

そう思っていた「せいじ青年」でしたが笑、結果的に多くを学びながら、いつでも最期を迎えられるようにと毎日を“生きられる”ようになりました。

  • 世界の広さを知り
  • 日本の狭さを知り
  • 人の温かを知った

そんな旅の中で僕は、「いい人生だったな」と思えたのです。

もちろん、「もういいや」とかそういうのではありません。

それだけ昔と比べて、自分の人生に誇りが持てるようになったのです。

それまでの人生は散々でした。

もちろん悪くはありませんでしたが、ここ数年のような「必死さ/一所懸命さ」は皆無に等しいものでした。

他人の作ったレールの上を歩きながら、狭い視野の中で偉ぶっていただけの、ただの若造でした。

ただ、そんな過去も含めて、「自分」であるということ。

過去の自分がいてくれたからこそ、今の自分があり、未来に向かう自分がいます。

全部含めて、それらが「今」に繋がっているのだと思えば、それも必要な時間だったということ。

今の僕なら「いい人生だった」と言える、そんな自分になれたのです。

いろいろあったけど、悪くなかった

これからもまだ旅は続くと信じていますが、いつ来るかわからない終止符に向けて、僕は必死に生きることができるようになりました。

もうそれだけで、僕は僕の人生に胸を張って「お疲れ!」ということができるのです。

自分の人生を振り返った時に、「よかった!悪くなかった!」と言える人生だった。過去の自分も含めて、今に、そして未来に繋がっていくのだ。

また「今日」を積み上げていく

だからと言って自ら人生を終わらせるほど、僕は落ちぶれてはいません。

別に僕の人生が完成したわけでもありませんから、また一日一日を積み上げていく、それだけのことを続けていくだけなのです。

常に考えておくべきことは、

自分の人生、どうだった?

と「僕自身が聞いてくる」ということ。

その時に、どう答えることができるのか。

それが、

  • 今の僕に
  • 毎日の僕に

ずっと必要な質問なのです。

では僕にできることは何か。

それが、毎日を積み上げていくことなのですね。

昔数学で、

線とは点の集合である

と教わったことがあります。

毎日を点とするのならば、それが集まってできた線が週であり、月であり、年であります。

便宜上、そうして「区切り」をつけていますが、当然のことながら、大きな単位である「年」の中にすら、いろんな要素が盛り込まれていることとなります。

一本の線を作っていくということは、結局は「点を繋いでいく」ということ。

その点がズレたり、飛んだりしてしまっては、綺麗な直線を描くことはできません。

時に休むことも構いませんが、少し遠くから見た時にも、

ちゃんと線になっているかどうか

が大切ですよね。

だからそのためにできることは、常に点を刻んでいくことなのです。

自分の人生を振り返った時に、綺麗でなくても、しっかりとその「軌跡」が残っているのかどうか。

僕は昔から不器用ですが、ある意味「一所懸命生きる」ことに関しては長けているのだと思います。

  • 濃く
  • 強く
  • 必死に

生きられれば、その数直線を振り返ることができます。

自分の刻んできた点が線となった時に、

よし。いい人生だった

と言って終わりたいですよね。

人間、いつ最期を迎えるかわかりませんから、今ある時間を大切に過ごしていきましょう。

そうして、自分の納得できる「一直線」を作っていきましょう。

今までの人生とは、総じて毎日の積み重ねの結果だ。その結果に満足できるように、毎日を必死に生きていこう。

おわりに

うん。悪くない人生だった

この言葉を、心の底から自分にかけることができるでしょうか。

今の僕なら、それができます。

そう信じて、毎日を積み上げながら生きてきました。

今も、これからも、一日一日を積み重ねていくだけなのです。

そこに、

  • 必死さ
  • ひたむきさ

を忘れることなく、また今日という素晴らしい日を過ごしていきましょう。

それではまた!

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