ネガティブな発言をする意味がないのはなぜか?【他人に構う暇はない】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうしてブログを書いていますと、

せいじにも、結構しんどい時があるんじゃないの?

と心配してくれる人もいます。

ありがたいことに、僕の周りは素晴らしい人で溢れているため、そうやって心配してくれる人も多いです。

一方で、

「心配されたいがために、ネガティブな発言をすること」

は、僕は違うと思っています。

要はこれ「かまってちゃん」ですからね笑。

  • 共感してもらいたくて吐くグチ
  • 誰かに慰めてもらいたくてするネガティブな発言

には意味がありません。

他人の気持ちは確かに嬉しいものですが、一過性のものでしかなく、繰り返していますと、

この人はまた悲劇のヒーロー/ヒロインぶりたいのか

と愛想を尽かされてしまいます。

今日はそんな「ネガティブ発言」をしない理由について書いてきます。

ネガティブな発言はしないほうがいい。構ってほしいなんて思うんじゃない。結果的に問題は解決しないのだ。

根底に「構ってほしい」がある

僕がこうした発言をしなくなったのは、その時の相手に申し訳なくなったからでした。

実はこうこう、こういうことがあってね…

と聞かされたとしましょう。

それを聞かされた相手は、一体どうすればいいのでしょうか。

逆の立場になったらわかります。

慰めてあげたい一方で、

あわわわ…どうしたらいいのだろう?

と思いませんかね。

仮に慰めてもらえるとしても、「慰めてもらうタイム」になるだけであって、要は、

慰めてくれー!

という時間にしかなりません。

それを “意図している” のなら構いませんし、近しい友人に胸の内を明けることも悪いことではありません。

ただ、その根底に、

私を慰めてほしい、構ってほしい

というマインドがある場合は、気をつけなければなりません。

そうした人からは、いずれ人は離れてゆくからです。

たまにはいいかもしれませんが、もしみなさんの友人がいつもいつも弱音を吐いていて、

聞いてくれよー!

という状態が続いたらどう思うでしょうか。

またかよ…空気重くなるんだよね

と思いますよね。

特に公共の場でそうした話をする場合、

  • 慰めてくれる人
  • 乗っかってくれる人

はいくらでもいますが、それが続いてしまいますと、周りからの認識も「その倍」だけ返ってきてしまいます。

だから「すべきではない」のです。

そんなことしたって、「構ってほしいアピール」にしかなりません。

僕はそんなことしたくないということもありますが、「構ってほしいアピール」をすることで信頼を失いたくないのです。

どんなことがあっても、それを “エサにして” 人を集めてはいけません。

そうやって集まってきた人は、多少なりともいい人たちかもしれませんが、同時に「一緒にグチを言い合う友」にもなりかねないからですね。

十分に気をつけていきましょう。

根底に構ってほしいアピールがある人ほど、ネガティブやグチをSNSに投稿する。それが続いた場合はいずれ、他者からの信頼を失うことになるのだ。

みんなそんなに暇じゃない

みなさんもそうであるように、人とはそんなに暇ではありません。

自分の人生を精一杯生きるのに必死ですから、他人のネガティブに構ってばかりもいられません。

お仕事としてやっている分(カウンセラーさんなど)には当然いいですが、みんな毎日人の話を聞けるほど時間はないということです。

時間がない中で、構ってほしいって何なんだ?

と思う人も少なくないでしょう。

だから僕も、たまにはそうしたグチも聞いてあげますが、

  1. 自分から言わないようにしつつ
  2. 人のグチを聞きにいくことばかりもしない

ように心がけています。

話を聞いてほしい、構ってほしいという気持ちが行き過ぎてしまいますと、他人の時間を奪うことにもなりかねません。

それぞれの時間は限られていますしね。

「ネガティブな話」なんて、しようとすればSNS上でいくらでもできてしまいます。

そんなネガティブな話が溢れている世界で、全部聞いてられますか?

ということです。

  • 世界の事件
  • 遠い場所のニュース

など、全部かき集めでもしていたら、一生の時間を使ったって構うことなんてできやしないのです。

その一部に、僕はなりたいのだろうか?

誰かが僕の発言を拾ってくれるのを待って、慰めてもらうのを待って、発信をするということでしょうか。

何度も言いますが、みんなそんなに暇ではないのです。

世界は移り変わり、次へ次へと進んでいきます。

だから僕は、基本的にそうした類の発言は避けるようにしていますし、見ないようにもしています。

その場に止まっていたくないからです。

それくらいなら、自分なりに「消化する方法」を考えたい。

それは近しい友達に相談するでもいいし、時に何かに頼ってもいい。

でもSNSやパブリックな場所で「慰め」を求めても、ネガティブな連鎖になるだけです。

みんなそんなに暇じゃない。

だからネガティブな発言は避けましょう。

相手の時間も限られている。だから自ら公の場でネガティブな発言をするのは避けよう。負の連鎖になりかねないからだ。

解決するわけではない

特に言えることは、

公の場でネガティブな発言をしても、根本の解決にはならない

ということです。

これは幾度となく書いてきたことですが、改めて確認するとわかるように、

  1. 発言をする
  2. 慰めや共感が集まる
  3. “いっとき” はいいがまたそれらを求めてしまう

というネガティブな連鎖に繋がりかねません。

僕が少し落ち込んでいた頃、それを2〜3人の方に話したことがありましたが、

ダメだ。これは話しても意味がない

と思ってしまいました。

先述した通り、聞かされた側はどうしようもないですし、ただ「落ち込んだ空気」が流れるだけで何も解決しなかったからです。

確かに、少しくらいは話し手側の気が晴れるかもしれませんが、やはり「自分なりに消化すること」ができていないため、また同じ一途をたどることとなります。

要は「終わりがない」ということ。

だから僕は早々に、

あ、もうこの話はナシにしよう。終わり終わり

そう思いました。

これは、自分を客観視して自ら感じてしまったことなのです。

なんだこの時間は?俺は一体何をやっているんだ?

とね。

自分からそうした発言をするということは、「裏の気持ち」として、

いつまでも “ダークサイド” にいて、気持ちよく慰めてもらいたい

という気持ちがあるということでもあります。

みなさんも、

じゃあいつになったら、その悩みは消えるんだよ?

と思いませんか。

他人にグチっていたり、ネガティブな発言を延々と繰り返したりしていたって、結局解決に導かれることはないのです。

最終的には自分で納得するなり腹落ちするなりするしか、前に進むことはできないのです。

僕だって弱音を吐いたり、苦しい時があったりもします。

ただ、それをエサにするようなことをしていたら、いつまで経っても成長することはないですし、根本は変わりません。

そうした発言に気をつけ、”できる範囲” で、

自分でなんとかするしかないんだ

と思えるほうが、本当の意味で強くなれますし、大切な人を守れるようになります。

人に頼るなとか、甘えたこと言ってるなとか、そういうことではありません。

いつでも根底にある気持ちや自分のスタンス、あり方を確認した上で、発言をしていきましょう。

実はグチを言ったところで根本の解決にはならない。誰かに頼ることでなんとかしようとしているからだ。どこまで行っても、最終的には自分だ。本当の意味で強くなっていこう。

おわりに

別に僕が強いからこう言うのではなく、

本当の意味で解決したいなら、発言しないほうがいいよ

と言っているだけです。

時に助けが必要になることもありますが、「10年以上前からSNSを使ってきた人」が言っているのですから、ある程度信頼してもらって大丈夫です笑。

みなさんも、ご自身の発言にはくれぐれも注意しましょうね。(せいじ、お前もな)

それではまた!

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