短い人生の中で全力を出し続ける意味【楽しみながらも頑張るカタチ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

みなさんは休日、どう過ごされているでしょうか。

  • ひとり旅
  • 友人とお茶
  • イベントに参加

と、めまぐるしい日々を送っているかと思います。

あるいは、

とりあえず何もやりたくなーい

と、サブスクの動画を見漁るという時間も悪くはないでしょう。

僕の場合、

できる限り生産的に!

と、思ったことは…特にないのですが笑、「やることがいっぱい!」といった状態となっております。

丸一日休みがとれる週末、平日の空き時間などは、

  • コメダ珈琲店で作業
  • 美術館を訪問してデトックス
  • サウナに行ってTTNU(ととのう)

くらいしか選択肢がありません。

この中の「作業の時間」が、今の僕にとって「とても大切な時間」となっていることに気づきました。

今日は「全力の過ごし方」について書いていきます。

丸一日空いている休日こそチャンスだ。人生は短い。出かけてもいいし、作業に集中してもいい。とにかく豊かな1日にしよう。

人生は短いという事実

休みの日こそダラダラしてやるんだ!

社会人になって数年は、そんな日ばかりが続きました。

もちろん否定しているわけではありませんし、最近読了した「限りある時間の使い方」でもそのようなことが書かれていました。

要は、

「無理に人生を生産的に過ごそうとする必要はない」

という教えです。

僕はその事実をわかった上で、自分に言い続けています。

人生は有限だぞ

と。

人生はだいたい、4,000〜5,000週間だと言われています。

  • 4,000 × 7 = 28,000日
  • 5,000 × 7 = 35,000日

「1,000週間」は振れ幅が大きくなってしまいますが、概算しても、

  • 28,000 ÷ 365 ≒ 77年
  • 35,000 ÷ 365 ≒ 96年

ですので、まぁ許容の範囲内でしょう。

数字にすると恐ろしいもので、こう見ると人生は本当にあっという間です。

人生は一度しかないと真剣に考えてからというもの、「死ぬこと以外はかすり傷」だと確かに思うようになりました。

  • 何か特別なことをしなきゃ
  • 大きなコトを成し遂げるんだ

と思ったことはこれっぽっちもなく、自分にできる小さなコトを淡々とこなすしかないのだと思っています。

短い人生ですので、

自分のやりたいことはやらなければならない!

と、今では強く思っています。

この気持ちになった時、僕は精神的に解放されたような気がしました。

あぁ、人生何やったっていいじゃんか
  • 休みの日ほど
  • 空いている時間ほど

自分のやりたいことに全集中する。

最近の僕は、この時間をとても幸せに感じています。

人生は短い。休日をどう過ごすかは人それぞれだが、自分が納得できる時間を過ごそう。

自分のできることに全ベットする

休日に人と会う予定がない時、以前の僕はぐうたらしていたものでした。

一方で、

そんな生き方も悪くないかも

と思ってもいます。

とはいえ僕は、

  • 休みの日だろうが
  • 平日学校が終わった後だろうが

ここ一年はゆっくり過ごすことがありませんでした。

自慢でもなんでもなく、あくまでただ1つの生き方ですが、事実そうなのです。

特別エラいわけでもないですし、

  • 意味があるとか
  • 生産的であるとか

言いたいわけでもありません。

ただ、自分にできることが限られていることを知りましたし、結果それをすることによってとても幸せになることができていますので、僕にとっては正解だというただそれだけなのです。

またサウナに行くことも「休んでいること」になりますので、忙しいとかゆるいとかは各々の定義によるのかなと思っています。

ただ「ザ・作業」の時間は、以前にも増して多くなりました笑。

そしてサウナや美術館へ行く時間は、だいぶ減りました。

でも今は、とても幸せです。

もう1つのブログをしっかりと作り込みたい

という気持ちも強くなり、その時間を確保するために休日はこもることも増えてきました。

人生は短く、自分が楽しめることも存分に楽しみたいもの(あるいは楽しむべき)ですが、同時に、

自分のできることにも、全力を尽くしていきたい

と思う気持ちが強くなってきました。

これは、

人生を楽しむためには、やるべきこともやらなければならないんだぞ!

という意味ではありません。

それは「トレードオフ」のように思えて、「ちょっと違う」と思うからです。

頑張らなければ、楽しむことができない

ということになってしまいますし、実際以前はこう思っていました。

でも本当は違うはずです。

この世の中に正解なんてありませんからね。

  1. 自分のできることに全力を尽くしながらも、
  2. 人生を謳歌するだけして、最期に後悔なく灰となる。

そんな生き方があってもいい。

今までではなかった思考。

こんな思考にたどり着く日が来るとは、思ってもみませんでした。

自分のできることがあるのなら、あり余る時間を目一杯使い切ってみよう。ラクな人生を目指すための苦行ではない。楽しいことも仕事も作業も同時進行だ。

生きるなら全力のほうがいい:命を燃やせ

いろんな生き方があっていい

僕は人に自分の価値観を押し付けるつもりもないですし、例え「ダメダメな人生」を送っている人がいたとしても、その人を否定するつもりはありません。

僕の人生だってまだまだ正解とは言えませんしね。

ただ、「幸せってなんだろう」と思って生きてきた僕なりの答えは、

やっぱり全力であるほうが生き生きするし、後悔もないと思う

というものでした。

そもそも人生に意味なんてないですし、「何か成功を収めたから勝ち」でもなければ、「尊敬されている人が偉い」というわけでもありません。

僕も「有名人になりたい!」「何者かになりたい!」と切望して、生きているわけではありません。

しかし、ただただ全力を尽くしたいとは思っています。

それは、以前のぐうたらな自分と比べて圧倒的に人生が明るく、楽しくなったからでした。

どうせいつか灰になる。だからダラダラ過ごしてもいい

確かに間違ってはいませんね。

それなら、

どうせいつか灰になる。だから全力で過ごしてもいい

という考えも、間違ってはいないはずです。

そしてさらに今では、「成功したい」と強く願う必要はないとも思っています。

え?それもまた正解なのでは?

おっしゃる通りです。

ただ、世界の名だたる偉人たちは意外にも、

  • 世界のために貢献しようと思ったり
  • 何者かになろうと思って事業を始めたり

している人は少ない印象です。

欲がなければ成功する

と言いたいわけではありません。

それぞれの本心に従うことが大切なのです。

人生はとにかく短いですし、僕自身にもできることはこれっぽっちしかなく、やれることも限られています。

サケが全力で川を登り、産卵のために戻ってきてその後生き絶えるように、理性のある人間も動物として命を燃やしたっていい

僕は休みの日も空いている時間も、「自分のできること」に全力を尽くすことこそが生きていくことの本質だと思っています。

動物が子孫を残すために生まれてきたような、そんな感覚です。

人間にも「子孫を残すこと」は遺伝子に刻まれているでしょうが、命を燃やすこともまた生を授かった意味だと、僕は思っています。

それぞれの生き方があってもいいのですが、僕のように幸せで豊かな人生を目指す人なら、「人生という時間」を思いっきり使い倒してみるのも、いいのかもしれませんね。

生きる意味なんてないし、それぞれの生き方があっていい。でも遺伝子に刻まれている本能があるように、全力で命を燃やすこともまた、1つの正解だと思う。

おわりに

休みの日も全力で

僕はこんな考え方になる日を迎えるとは、想像もしていませんでした笑。

この考え方に行き着くまでにも、実はとても時間がかかったものでした。

もしかすると、また考え方がガラリと変わることがあるかもしれません。

でも、それでもいい。

とにかく今は、全力で命を燃やしているほうが生きている実感があるからです。

さて、みなさんも命を燃やすように生きてみてはいかがですか?

それではまた!

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