こんにちは。
世間ではワンピースの単行本が100巻を迎え、いよいよ物語も終盤ということもあってコンビニから書店、新聞までもう日本がワンピース一色となっております。
かくいうすずきも遅ればせながら大学生時代頃から好きになり始め、社会人になってからは本腰を入れて周回すること数回。
現在はスマホのカラー版でホールケーキアイランド編に突入しております。
マニアとまではいかなくても、いち「にわかファン」として毎日マニアたちの熱いトークを聞いては自身でも楽しんじゃっています笑。
以前にも名シーンと題して記事を書いたのですが、せっかくですし僕なりにワンピースから学んだ抽象的なメンタル面のことや、今の自分の人格形成に大きく影響している部分をお伝えしていこうかと思います。
ワンピースを読むにあたって
一応おさらいしておきますと、すずきは毎朝2話、夕方に1話の計3話ずつカラーで読んでいますので、ワンピースは現在1000話を超えていますから大体1年くらいで1周しています。
それがすずきの場合はここ5〜6年継続中ですので、なんと5周以上は読んでいる計算になります。
「なんと」と仰々しく言ったのは振りです。
マニアや熱烈なファンたちは、ざっと100周以上はしています笑。
YouTubeで動画を出すためにはさらに局所的に細かく調べる必要があるため、常に手元に100巻分があり、いつでも取り出してはもっと読み込んでいると思っていていいでしょう。
しかし読んだことのない方や途中で止まっている人からすると「読んだ人にしかわからないような共感を誘う記事」だと読み応えのない記事になってしまいかねません。
再び名シーンを簡単に添えつつ、すずきが自分の人生に応用していることをお伝えます。
器のデカさを知る
僕がまだイキっていた若い時代(笑)に、その名シーンと出会いました。
(以前の記事でも同じシーンについて触れましたが、これ以降も何度も同じシーンを刷り込んでいきますので覚悟しておいてください)
超序盤、シャンクスと呼ばれる赤髪海賊団のお頭がいきつけの酒場で仲間と飲んでいると、押し入ってきた山賊たちにいいようにあしらわれて酒までかけられて侮辱されます。
しかし彼を始めとした海賊たちは何も抵抗することなく始終ことの次第をじっと見つめ、暴れ散らかした山賊たちが去った直後になんと大笑いしてしまいます。
それをみた主人公のルフィはまだ少年であり「なぜやり返さなかったのか?」と勝手に1人でムキになって怒ってしまいます。
それに対しシャンクスは「ただ酒をかけられただけじゃないか」と返します。
実はこれと同じような展開が、数年後に冒険中のルフィにも降りかかります。
ルフィは彼の右腕であるゾロと航海士のナミとともに酒場で夢を語っていると、他の海賊たちにバカにされて、もうほんとこれでもかっていうくらいボコボコにされてしまうんですよね。
それでもルフィとゾロは絶対にそのケンカを買いません。
一緒にいたナミは昔のルフィ同様の感情で「なぜやり返さないんだ?ケンカなら買ってやれ」と言うのです。
どちらも名シーンなんですよね。
これは一例ですが、どの海賊(海軍)も彼らなりの「信念」を持っていて、とにかくそのスケールのデカさ、人としての強さをビンビンに感じることができます。
僕なりに彼らから学んだことは本当に自分が強いこと、気高いことを知っている人間は格下の相手には手すら出さないという生き様でした。(解釈は人それぞれですが)
これは現実世界でもよく起こることだと思っています。
特に教員をしているすずきからすれば、毎日接する生徒・子どもたちなんてまだまだ未熟な少年少女にしか見えません。
しかし、もし自分が同じように思春期の立場になってイライラして、言い合いになって、取っ組み合いになってしまっては「大の大人が何をしているんだ?」と笑われてしまいます。
それを受け止める度量が先生たちになくては、生徒たちも喚き叫び思いをぶつけたい場所が見つかりません。
だからこそ、これが教員でも学ぶことのできる海賊たちの「器」の大きさだと思っています。
現実社会に比べてもっと厳しい「海賊」という世界で、死と隣合わせの中でそんな生き様を貫いている登場人物たちは、現代に置き換えたって間違いなくカッコいいです。
彼らがそうした「誇り」を持っていることを若い頃に読み、素直にカッコいいと感じたすずきは、「僕もこういう風に生きてみたい」と思いました。
さらにそれは生徒に対する姿勢だけではありません。
道を歩いていても電車に乗っていても車を運転していても職場で仕事をしていても、どこにでも鼻につくヤカラっていますよね笑。
しかしそこでケンカを買って(売って)しまい、相手と同じ土俵へと自分を格下げしてしまうのか。
それとも彼らはかまってほしいだけだと知り、自分が人としての高みにいると思えるのか。
強き者の度量や器のデカさを一度学んでしまえば、もっと広い心を持てるはずです。どちらが答えなのかの判断は簡単ですよね。
ケンカや言い合いになってしまうようだったら、所詮自分はそれまでの器だったということです。
いつまでもカッコよくいたいのであれば、「誇り」を忘れずに人としての高みに到達したいものですね。
冒険の中での一期一会
ファンとしては同じ人物の再登場に期待することが多いですが、これだけ大きな世界観の中での冒険ですので、ルフィたちが各島や国を回っていると以前出会った登場人物との再会は、作中でほぼほぼありません。
旅先では新たな海賊や王族、国や島に住んでいる住民たちがポンポン出てきます。尾田さん一体頭の中どうなっているんだよ笑。
ルフィ率いる「麦わらの一味」ですら一味として成立するまでに時間がかかりますし、仲間集めを始めてもその後に脱退や勧誘を繰り返すなど、それぞれの背景や事情もあってなかなか一筋縄ではいきません。
一味の結成もまた涙ものなのですが、それぞれの島や国でのエピソードが終わってその土地を出て行く「別れのシーン」もまた、連絡が取り合える現代とは全く違う形で感動的に描かれています。
それら「別れのシーン」は涙を流さずにはいられないのですが、それはワンピースという世界の中で出会いと別れが一生に一度のものであるということを大切にしているからでもあります。
僕らは心のどこかでお互いに「またいつか会える」と思っていますが、意外と「会わないままでもいいや」と思ってしまうこともあります。
それはSNSの発達がそうさせているのかもしれません。
主人公のルフィは必ず「サヨナラは言わない」と決めていますが、本当に再会できるかどうかわからないですし、数年またいで再会するエピソードもあるくらい作中での別れは「今生の別れ」に近いです。
だから彼らの出会いは運命的であり、別れは感動的です。それを彼らは知っており、一期一会を大切にしています。
僕が学んだことはちょっと角度が違うのですが、彼らのように冒険を続けていって新しい人たちに出会いたいということでした。
僕の人生でも既に音信不通の人もいれば、お互いに馬が合わなくて関係を断(た)っている人もいます。
それを頻繁に繰り返すのは人生の中でごく自然のことです。
しかしだからこそ一つ一つの出会いを大切にしようと思いました。
そしてそんな新たな出会いができるのは「冒険を続けている人だからこそ」です。
新しい国、土地、島、自然、動物、食べ物、匂い、そして人々。
ワンピースを読めば読むほど、その頭の中での世界は十分に僕らの現実世界でもできるじゃないかって思わされます。
別れは辛いけれども、冒険を続けていればまた新しい人に出会える。
漫画なのでどこかで物語は終わってしまうでしょうが、それは僕らの人生も一緒です。
ワンピースを読んでは、ひるがえって自分の人生と照らし合わせることができる。
人生とはルフィたちのように別れもあるツラい現実なんだなと思わされつつも、彼らが前に進んで行くことで、また新しい冒険と出会いに胸躍らせることもできるんですよね。
漫画なのに、いや漫画だからこそなのか、とても現実的な部分があるんだなと自分の人生の映し鏡のように思いながら読んでいます。
「冒険」「出会い」「別れ」はそれぞれ密接に影響し合っていることを教えてくれる。
だからそのうちの1つでも欠けてしまったら、その3つの循環はなくなるのかなって、そう思っています。
おわりに
読んだことのある人からするともう語りきれないほどのエピソードがあり、感動のシーンから笑えるボケやギャグ、ツラい死のシーンまで選びきれません。
上の内容に加えて今回書かなければいけないことは「尾田さんヤバくないっすか?」っていうことです。
四半世紀もこんなにアツい漫画を描き続け、そして今なお面白さが絶頂を迎えているってどういうことですか?
なんか「継続、継続!」と言ってる自分がアホらしくなるくらい壮大で、尊いと思わざるを得ません。
ご自身でも冗談半分で「一発屋」と言っていますが、こうして1000話、100巻まで到達してしまうと僕を含めた「にわかファン」ですら「こいつぁすげぇ偉業を成し遂げた」と思うことでしょう。
ワンピースとともにあり多くのことを学んだと言っても過言ではないくらい、それぞれの人生に伴走してくれた超大作漫画は他にないと思っています。
読んだことのない人は是非、途中でやめた人も是非、読んでいる人はさらに読み込んで、ワンピースを楽しみましょう。
いつかみなさんと出会うときも、人としての高みで出会えるように僕も僕の冒険を続けていきますね。
それではまた!
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