こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
友人たちと話をしていますと、
と、カメラ越しに見えるクローゼットを覗かれて言われます笑。
【2026年2月】

先日も、
という生徒さんもいらっしゃいました。
- 服も
- 年収も
そうですが、追い求めすぎますと、際限なくモノが増えていきます。
また、
と言っていますといつか身を滅ぼしますし、本末転倒とも言えます。
今日は、「周りからどう見られているか」を気にしなくすることについて書いていきます。
服と年収の話

僕が服をたくさん持っていた時は、仕事柄スーツが必要だったこともありますが、心のどこかで、
という自分がいました。
こうなり始めますと、ある程度の財力のある「社会人」とは危険なものです。
おしゃれにお金をかけるようになるからですね。
「毎回違う服を着ている自分」を目指すようになります。
間違えて欲しくないのは、
ということではないということです。
別に「オシャレするな」ということでもありませんし、「ミニマリストが正義だ」という意味でもありません。
ただ、当時の僕は、
という気持ちがあったのだと思っています。
根底の話です。
公務員でしたので、爆発的に年収が上がることはありませんでしたが、
という「見栄」のようなものもありました。
こうしたものに縛られていた時は、それを「権力の盾」にしようとしていました。
今はそれらに縛られることもないですし、
みたいな、「ムダなレース」からも降りるようになりました。
モノやお金とは、意外にも “お互いに繋がって” います。
それらにとらわれないよう、注意しながら生きていきたいですね。
気にする人は自意識過剰

「自分の見え方」を気にしている人とは、自意識過剰です。
先に言っておきますが、誰もみなさんのことは見ていませんし、覚えてすらいません。
僕自身だって、「一般人A」みたいなものです笑。
考えてみれば、
- 芸能人でも
- YouTuberでも
- インフルエンサーでも
など覚えている人はないでしょうし、興味もないでしょう。
「その人にはその人の生活」があって、僕らには全くもって関係がありません。
僕らは僕らの生活をするのが大変ですし、僕なんか毎日必死ですわ笑。
なんて気にしていたら、やっていけないのです。
と言われることを、僕は想像するでしょうか。
いえ。
仮にそう言われても気にしませんし、自分には自分の人生設計があるので邪魔しないで欲しいのです。
むしろそんなこと言ってくる人とは、友達になれませんよね笑。
でもみなさんも、心の中にこうした「冷笑する人々」を、頭の中で勝手に作り上げていないでしょうか。
意外とドキッとするんじゃないでしょうかね。
僕はそんな人たちを想像するよりも、
こう思うほうが、よっぽど大事だと思っています。
いつも比べるべきは、どこか遠い世界に住んでいる「マウントしてくるちょい富豪野郎」ではないのです笑。
過去の自分から成長しているかどうかが大切であって、
- 年収が上がったかどうかとか
- 服やモノをたくさん持っているかどうかとか
ではありません。
自分の頭で考えて、
と考えることなんじゃないですかね。
人のこと(他人の目線)ばかり考えている人は、いつまでも「その亡霊」に悩まされることになります。
じゃないのです笑。
もっと自分の人生に集中していきましょう。
しがらみなく生きる

クローゼットのモノが劇的に少なくなった僕は、めちゃくちゃ幸せになりました。
家に帰ってきても、やるべきことにフォーカスできるからです。
モノや服装について、いちいち考えることもありませんしね。
年収はボーナスもなく大幅に減りましたが、なんとかやりくりして「毎月黒字」に持っていけるようにしています。
こうやって「0」からスタートして、どんどん自分の事業を強固にしてゆくことは、とても楽しいものですし自信にもなります。
人の目を気にしていた時は、どうしてもこうした「ムダなもの」に左右されがちでした。
それはひとえに、自分にある程度「収入」があったからなのかもしれません。
- 収入がある
- 何かとモノや服を買うようになる
- ちょっといい暮らしをしようとする
- それらを失ってしまうことが怖くなる
と、あまりいい流れは生まれません。
何度も書いていますが、
ではありませんからね笑。
ただ、数字をいつまでも追い求めるような生活が続きますと、行き過ぎた資本主義の波に流されてしまい、「数字遊び」をするだけの毎日となってしまいます。
僕らが持っておくべき「根本の原理」とは、
- 自分らしくあり
- 自分の求める幸せを求め
- 他人のことは気にしないこと
などではないのかなと。
ある意味、お金に縛られ過ぎてしまいますと、
- 周りにモノが溢れていたり
- 誰かと比べたり人の目を気にしたり
するような、そんな人生になってしまうのではないでしょうかね。
僕がそんなレースに参加していたかと聞かれますと、もちろんそこまでではありませんでした。
ただ心のどこかに、根本的に「他人を気にする自分」がいたことは認めざるを得ません。
と思うのです。
それはすぐに手に入れたものでもありませんし、これからもまだ追い続けてゆくものなのだと思っています。
最終的には、「半自立(≒ セミファイア)」みたいな未来を描いていますね。
そこには「幸せ」や「自由」が基盤にあって、
という気持ちがあるわけではありません。
しがらみなく自由に生きること。
その土台には多少の「お金」や「人気(ファン)」、インフルエンス力などが必要なのかもしれません。
でも、そこを “一番に目指して” 生きていかないこと。
自分への戒めでもありますね。
おわりに
モノを持たなくなるということは、
という単純な発想ではありません。
むしろ、
と考えた結果でした。
深く考えるという意味ではなくて、そこに至るプロセスもまた大事だということです。
いずれにせよ、「人は人、自分は自分」ですからね。
自分なりの人生を描いていきましょう。
それではまた!
