日本に根付く古い体質に負けない勇気【自分の軸をしっかり持とう】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

ここ数年で僕が一番イライラしたことは笑、日本特有の、

みんなやっているから

という空気感でした。

10年以上前になりますが、東日本大震災が起こった時、関東での「自粛ムード」に違和感を覚えていました。

僕はこの空気感は、本質をついていないと思っていました。

とりあえず空気に流されていたような、そんな印象を受けます。

あるいは、

みんな守っているんだから

という、謎の圧力によってそうしていただけのようにも思えます。

今日は、「周りの空気に圧されない姿勢」について書いていきます。

周りの空気に流されるな。自分のやりたいことを貫け。

周りに流されているだけではないのか?

2011年の当時は、それはそれは大きな衝撃が走ったものでした。

今でも鮮明に覚えているくらい、惨劇が延々と中継されていました。

結論から言いますと、それとこれとは別だということを伝えたいと思っています。

僕のルーツは東北でもあるので、このことを語ることも辛いものですが、あえて「自粛ムードは違う」と言いたいと思っています。

今も世界のどこかで、苦しいことや辛いこと、大きな事件は頻発しています。

そんな中、僕らは「自粛」をしますか?

もちろん僕らは構うことなく、日本は、世界はものすごいスピードで進歩し続けています。

当時の2011年は、確かに「日本のできごと」だったこともあり、なんとなくですが、

自粛するものなのかな…

と思っていました。

しかし大学生で若かったこともあったため、飲み会やダンスの練習ができなかったことに、

え?なんでなの?

と、純粋に疑問を持つようになって、イライラしていました。

なんか違うと思う

僕はずっともやもやしていました。

話は変わって、今のこの世界の状況を見てみますと、外を歩いていてもみんなしっかりとマスクをしています。

もちろん、

マスクをしてるなんてバカらしい

と思っているわけではありませんし、それは個人の自由です。

ただ、僕はもうわかっています。

みんな、

周りがやっているから、やっているだけ

なのだと。

熱中症のリスクから、先生たちも生徒たちに、

登校中は積極的にマスクを外してくれ

と、夏の期間はずっと促していました。

それでも思考停止状態なのか、個人の自由を貫いているのかは分かりませんが、生徒たちもなかなかマスクを取ろうとせず、結果的に救急搬送される生徒が続出することとなりました。

本末転倒となってしまったのです。

誰もいない外の街中で、炎天下の中マスクをつけたまま歩く人々…

別にどうこう言うつもりはありませんが、僕は「異常」だと思いました。

でもそれと同時に、

まぁ、日本なら普通だろうな。仕方ないか

と思えてしまうほど、「日本の体質」は根深いのだなと、再確認もできました。

自粛やマスクは個人の自由だ。でも日本は、異常なまでに人の目を気にし、周りに流されたり圧力に屈したりしていると思う。

日本に根付く、周りの目を気にする体質

おわかりだと思いますが、

何も考えずにわーきゃーやっていいってことなのか?

と、そんなことを言っているのではありません。

  • 自粛なんてしなくていい。
  • マスクなんかしなくていい。

僕がそのように言っていると捉えられているとしたら、話は全く進まなくなってしまいます笑。

僕の言っている「本質」は、ほとんどの人がそのように周りを気にする体質を持っているのだということです。

最近では、そんなことを気にせずに「適切な場所で適切にマスクを外している人」も見かけるようになりましたが、やはりごく一部でしかありません。

これもまた、

  • マスクを外すのが正解だとか
  • 流されているやつはダメだとか

そういうことを言いたいのではありませんからね。

くどいようですが、

「自分で考えて、適切に行動することが大切

だと言いたいのです。

日本人はそんな人ばかりだ

と一般化するつもりもありませんが、傾向としてはそのようなタイプの人が多いのは間違いないと思っています。

それが「日本の昔からの体質」だと思っています。

僕はこれに対して疑問を持っていますし、納得できなかった経験もたくさんしてきました。

どちらの考えだとしても、正解とは言えないように、様々な情報からきちんと自分で判断すればそれでいい。

情報過多の時代ですから、情報を取りすぎてもダメ。

難しい按配ですが、バランスを取りながら、

何が適切なのだろうか?

と考えて行動していくことが、望ましいと言えるでしょう。

なんでもかんでも周りに合わせようとする古い体質が、日本にはある。時に疑問を持ち、違った視点からものごとを見る必要がある。

自分が正しいと思うことをしてもいい

先生として生徒に、

マスクをしろよ

というのは、コロナ禍が始まって以来、なかなか厳しいことだと思っていました。

これには限界がある、と。

体育の後にマスクをしろだなんて、口が裂けても言えません。

当時ニュースを見ていた時も、園児たちがわちゃわちゃしている光景を見て、

これをどうやって止めろと?

と思ったほどでした。(実際に園の方々も困っていました)

指導はしますが、こちらも最低限のことしか言えません。

そもそも僕自身が、「微妙な指導だよなぁ」と思っていたため、

結局は「何も指導していないじゃないか」と、地域の人から言われたくないだけだろ?

と思っていました。

その感覚は見事に的中しており、学校側の保身でしかないことにも気づきました。

何も指導しないというわけにはいきませんが、やはり見え隠れするのは、

周りの人(地域住民や保護者)から何か言われないだろうか?

という、学校側の姿勢でした。

  • 学校を激しく非難してしまう側もよくないですし、
  • 地域民に対してビクビクしてしまう学校もよくありません。

学校を再開するなら、ある程度は何か起こるだろうし、

それがイヤなら教育活動を再開するなよ

と思いました。

頑張って指導をしても、限度があるとわかっていたからです。

日本に根付く「周りからどう思われているか」を気にする感覚が、全てをダメにしているように感じました。

僕は少しずつ、その感覚をなくそうと試みています。

学生時代から「過激派」でしたからね笑。

倫理や道徳に反しない範囲で、自分が「正しい」と思うことをしていきたい。

周りの目を気にするマインドを、壊していきたい。

そして、ちゃんと1つ1つの行動に疑問を持って、思考停止状態にならないようにしたい。

そう思っています。

少しずつでいい。僕らには、異常な空気感や同調圧力に疑問を持つ必要がある。あまりにも行き過ぎた強要は、人の自由や思考を奪う。

おわりに

この記事は「賛否両論」があるであろう記事だと思っています。

しかしいつの時代も世界に正解がないように、

  • もっと自由に考えて
  • 様々な視点を持って

過ごしていくべきだと、コロナ禍で強く思わされました。

好きなように生きるんだー!

と、自由に全振りしすぎてもいけません笑。

でも、やっぱり今の日本は「大衆心理」が強く働き過ぎている気がします。

そうなるともはや数の暴力。

一個人では変えられません。

無理に変えようとせず、自分がしっかりと軸を持つこと。

その点を大事にして、生きていくことが大切ですね。

それではまた!

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