こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、一人でトボトボと歩いた帰りに会ったアメリカ人は、2年半も旅を続けていました。
いわゆる「ノマドワーカー」というやつですが、「数年単位で母国に帰ってない人」には、実はかなり多く出会ってきました。
アメリカ人の彼に、
と聞いたところ、
と返してきました。
なるほど。
とても面白い回答だなと思いました。
今日は「人を求めること」について書いていきます。
恋しいのは土地ではない
僕も「寂しくないのか?」と抽象的に聞いたのがよかったのか、彼は「アメリカ」という国に対する寂しさは全くないようでした。
と、彼は車を売って仕事をやめ、旅に出たと言います。
だから帰りたくもなるし、帰る時もあると言っていました。
僕は自分の状況に当てはめて考えてみました。
と、先日書いた記事からも「自分が求めているもの」が場所ではなかったことに気づきました。
日本にいた時も、
- どこにいるかではなく
- 誰と会って話しているか
が大切だということに気づきました。
彼が恋しいのも、アメリカという場所ではなく、長く年月を共にした友人や家族だったのです。
僕もそうです。
どんなに物理的に近くにいても、会えなければ意味がない。
特に4月前半は、3月に一気に「お別れ会」をしてもらったので、日本にいるのに会えないという状況がツラかったものです笑。
日本にいながらも寂しさを覚えるということは、海外に来たところで感じることは全く一緒だということです。
海外のようにどんなに物理的に遠くても、いつかは気合いでなんとか会うことができます。
去年(2022年)僕は、日本各地のどんなに遠い土地に友人が住んでいても、会いに行きましたしね。
今僕に大切なのは、
と、日本という「国自体」に懐かしい思いを馳せるのではなく、現地で出会える人々と交流してかけがえのない時間を築いていくことです。
逆に言えば、どこに行っても人と繋がることができていれば大丈夫。
国や場所、環境に文句を言うのではなく、その土地で出会う人々を大切にすること。
これからの僕の旅の指針が、改めて決まったような気がしますね。
コミュニケーション能力が高まる
以前にも言及したことがありますが、僕ら日本人からすれば「日本はいいところ」と言えるかもしれませんが、外国の方々からすれば母国がいいに決まっています。
また逆に、日本人でも海外に移住して、
と言う人だっています。
それぞれが感じること、恋しく思うものは多岐に渡り、どれが正解だということはありません。
僕は「人を求めること」が自分の本能としてあることに気づき、どこにいようと(日本でも)寂しくも感じれば、逆に海外でも楽しく感じることがあるということにも気づきました。
別れ際に涙が出そうになることもありましたし、
- 西洋人だろうが
- 東洋人だろうが
「人は人」であり、
と思いました。
多少なりとも考え方や自己表現、文化の違いはあれども、人としての生き方はどこに行っても変わることはありません。
以前の僕は、英語を話せる一方で、頑なに海外の友達を作ろうとしませんでした。
特にイヤだったわけではありませんが、
「どうすればいいのかがわかっていなかった」
というのが正直なところでした。
コロナ禍でイギリス出身のALTと何時間も話したことが、僕の外国人へのハードルを低くしました。
- わからない単語
- 追いつけないスピード
それらの障害を乗り越えながらも、お互いに伝えたいことを伝え合うこと。
留学をされたり海外の経験があったりする方々が、
が、今になってようやくわかりました。
僕にとっては荒療治だったのかもしれませんが笑、
「海外に飛び出してみること」
は、僕のコミュニケーション能力を思い切り高めてくれることとなりました。
- 挨拶をすること
- 話しかけること
- わからないことを聞くこと
こんなこと、日本では必要ないと思ったり、なんとか自分で解決しようとしたりしてしまいがちです。
ただ海外にいますと、わからないことが一つあるだけで、
- スケジュールが大きくズレたり
- 自分のやりたいことができたなかったり
します。
日本は親切な国として有名ですが、海外にいる人々も本当に優しくて親切です。
そんな人たちばかりではないかもしれませんが、基本的には日本と変わりません。
僕はそれから、積極的に話しかけ、海外の人々とも繋がることができるようになりました。
これもまた、僕が今まで見たことのなかった「景色」だったのです。
島ではなく人を渡り歩くこと
ノープランで始めたこの旅ですが、自分が思いもしなかった出会いばかりでした。
- 日本人だけでなく
- 他国の人々たちとも
仲良くなり、話し、かけがえのない「ホーム(=居場所)」が各地にできるようになりました。
僕は最初、「島や土地を渡り歩くこと」を目的としていました。
美しい景色や名所も好きですし、美術館やあわよくばサウナがあればハッピーです笑。
ただそれは、コロナ禍で僕が特化した「幸せを探す旅」の始まりに過ぎなかったことを思い出しました。
結局日本でも、関西や東北に行くといえば基本は「人に会いに行く」のであり、それ以上のことはほとんどありませんでした。
実はこの旅も、少しずつそのようになりつつあります。
素敵な場所や景色も醍醐味ですが、今は断然、
「現地の人やホステルの人たちと話している時間」
が圧倒的に楽しく、その時間に一番「幸せ」を感じています。
何が起こるかわからないのが一人旅。
いろいろと大変なこともありますけれど、僕は、
ということに、改めて気づくことができました。
新たな出会いもあれば、惜しむ別れもあります。
そうして僕の「世界」を広げていくこと。
今は少しずつですが、アメリカ人の彼が言うところの「寂しさ」がわかるような気がしてきました。
次の場所ではどんな人と出会い、どんな時間を過ごすのか。
これが僕の日々の楽しみとなり、旅の活力となっているのです。
おわりに
旅を始めてからわかる世界の様々な状況。
人々は温かく、優しく、僕が思い描いていたものよりもずっと美しかったです。
- 景色
- 人々
それ以外にも、僕の知らない「いろんなもの」が、僕を待ち構えています笑。
旅とは、した人にしかわからないもの。
僕はこの経験を通して、本当に多くの人々に恵まれていることを知りました。
世界を渡り歩いていく中で、また出会いを大切にしていきたいと思います。
それではまた!
コメント