こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
2学期の成績処理も締め切りが迫ってきており、本日は13時半から17時までの3時間半、ノンストップで英語科による成績会議が行われました。
同僚とオンラインで成績シートの画面共有をしながらの会議だったので、「時代だなぁ」とも感じました。
しかし「異常な長さ」のデスクワークに、僕の疲労はピークに達していました。
最近はブログを書く時間をとることで就寝時間も遅くなっており、若干の寝不足もあったのだと思います。
そこで自ら追い討ちをかけるように、今日は「ランニングデイ」と決めていたのでした…
「自分との約束は必ず守る」と自身に発破をかけて走ったところ、徐々に自分の足の感覚がなくなり、泥酔状態のようにフラフラしてしまい、6㎞地点で不意に意識が飛びそうになってしまいました。
結果的に、ランニングを中断せざるを得なくなってしまいました。
汗が引いて風邪をひいてしまうため、残り4㎞を歩くわけにもいかず、少しジョギングをして帰ることにしました。
少しずつ息を吹き返して、なんとか走り直すことができ、学校まで戻ってくることができました。
今日はそんな「あれ?おかしいな…」と思ったときに「無理をしないこと」をオススメしていきたいと思います。
どの口が言うんだ笑。
みなさんの「許容量(キャパ)」について考える材料になれば幸いです。
間違った「美徳」に惑わされるな
本日は事務的な業務が長すぎていたこともあって、自分では感じていないほどの疲労が溜まっていたのだと思います。
長い時間議論しては修正・入力を繰り返していく作業に、本来であれば気がおかしくなっていたはずなのに「自分ならこれからでも走れるはず」と自分を過大評価していました。
日本にはびこる悪い習慣とでもいいましょうか。
- 限界を超えた先に本当の成長がある。
- 長い時間働いていることが美徳。
- 誰よりも早く出社し、誰よりも遅く残る。
- 一所懸命作業している姿が大事。偉い。
などですね。クソ喰らえです笑。
しかし今日の僕は、その「ちょっとした悪習慣」に支配されていたと言ってもいいほど、
「この疲労のピークから走ることに意味があるのだ!」
と自分を無理に納得させていたのでした。
実際のところは、
- 別に次の日に走ったって構わない。
- 仕事を遅くまでやらずに早い時間に切り上げて、さっさと走ってくる。
- 今日は仕事で根詰めてしまったからすぐに帰ってしまう。
という選択肢もあったはずなのです。
17時を回ったところですでに限界は来ていたのでした。
- 約束を守る。
- 限界を超えてゆく。
- 追い込む。
という言葉は聞こえはよいのですが、やはりどれも「余裕のあるときにやる」というのが常識です笑。
今日の僕は完全に余裕がなくてHPが「0」だったのにもかかわらず、その体に鞭打ってしまったのでした。
以前に書きました、
この記事でも「自分のキャパ以上にお酒を飲んだこと」で、僕が体調を崩した経験が書かれています。
今回も無理をしすぎました。
それも自分のキャパを見誤ったことで起こった失敗でしたね。
「体を休めること」≠「自分を甘やかすこと」
「ストイックの化身」であるすずきが招いた事故は、今日ランニングを休んでしまうことで自分を甘やかしているのではないか?と思ってしまったところに起因します。
少し趣向は違いますが以前にも、
と言った記事を書いていまして、「休むことのメリット」を伝えていたのにもかかわらず、でした。
そのままブーメランで自分に返ってきました笑。
今日は「単純に根を詰めすぎた」という感想で終わるには、ちょっと安易過ぎると思うのです。
「妥協を許さない」という気持ちが、姿形を変えて「何が何でも、無理を通す」という強行な姿勢に変わってしまったからです。
やっぱりどこまで行っても、人生という長い道の上をずっと進んでいく「乗り物」となるのは、自分自身のカラダ以外にありません。
「甘えはダメだ」と言って自分の体をボロボロにしてしまっては、本末が転倒するというものです。
先ほどの「勘違い美徳」の例は若干違いますがとてもよく似ており、日本にある「空気を読む」や「雰囲気」という他者の目線を気にして無理を通すものです。
つまり2つに分類されると思っています。
- 休止を「甘え」と捉えて無理をし、結果的に体を壊す。(自爆)
- 周りの空気感によって無理強いをさせられる。(圧力)
今回の僕は「1番」のほうでした。
いずれにせよ「無理をするのが美徳」と思っている間は、僕もこの失敗を繰り返してしまうのだと思います。
今回は本当に反省しました。
もうちょっと妥協しようと思いましたね笑。
限界を知ったら、その後80〜90%で活動する
年を重ねてきますと、様々な経験を通して自分の限界を良い意味で見定めていけるようになります。
僕はこうした「失敗」から経験することを、大切にするようにしています。
徐々にほどよいバランスをとったり、心地よいポジションをみつけたりできるようになるものですからね。
失敗から自分の許容量を学ぶことで、自分の限界点がわかります。
失敗する時というのは、
- 勘違いしていた時。
- コントロールが効かなくなった時。
- 未知のことにチャレンジした時。
などのシチュエーションがありますが、2番と3番であれば僕は良質な失敗だと思っています。
今回の失敗は「1番」でした。
- 仕事の負荷がかかった上で、「ルーティンなのだ」と言い聞かせてこなそうとした。
- コントロールしようと思えば自制できた。
- 新しいことへの挑戦ではなかった。
と言った、目に見えるほどの惨憺たる結果でしたね笑。
つまり今回は「100」ある自分のキャパを、「限りなく100に近い形で使い切ってしまった」か、あるいは「100を超えて101まで行ってしまった」という結果から起こった惨事でした。
「通常運転」を行なっていく上で大切なことは、余裕・余白をもつことです。
「余裕・余白」がほぼほぼ消費され尽くしてなくなりそうであれば、もうそれは自分の限界にほぼ等しいと言ってもいいと思います。
だから、80〜90%を意識して取り組むことが大切ですね。
とはいえこれも「失敗を経験したからこそ」わかる許容量だとは思います。
いろいろと行動していく上で「限界ギリギリまでいってしまうこと」もあるでしょう。
「己」を知っていくためには、時に必要な試みでもあるのかもしれませんね。
おわりに
僕は昔から「失敗」という言葉に「妙な親近感」を覚えています。
人によっては「失敗という言葉自体がネガティブだ」と、良い意味で「失敗」という言葉を使いたがらないかと思います。
ここでトーマス・エジソンの言葉を例として引用しておきましょう。
私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
こういう考え方、面白くて好きなんですよね。
僕も「失敗」にネガティブな印象を持っているわけではないのですが、僕の場合は「失敗しちゃった笑」という感覚が、笑いや成長につながるので好きなのです。
何より「失敗という経験」から学べることは、本当に多いですからね。
今回の「失敗」からも学んだことは大いにあり、次に繋がる良い機会となりました。
僕は「ルーティンの鬼」でもありますが、自分のキャパを探っていく中でルーティンを変えてゆく柔軟性も必要だと気付きました。
30代ですから、体という資本も大切にしていきましょうね。
それではまた!
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