こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
毎日一所懸命生きている僕ですが、実は結構「適当」なところがありまして、
と思ってやっていることがほとんどです笑。
でもこの「適当さ」は、生きていく上で大事なんだろうなと思うこともあります。
- 手を抜けばいい
- 誤魔化してやればいい
という意味ではなくて、いい意味での「適当さ」が大事なのかなと。
今日は「適当にやることの大切さ」について書いていきます。
真剣になりすぎない
僕は人と話す時、
- 真剣な話
- ふざける話
を、必ず使い分けています。
でも基本は楽しくお話ししたいので、ワイワイ話すほうが多い印象ですけどね。
真剣であることはかっこいいかもしれませんが、近寄り難く、とっかかりにくいイメージもあります。
あまり真剣になりすぎてもよくない、ということですね。
特に「真剣」が行きすぎて、「完璧主義」「批判主義」になってしまっている日本人は、僕はとても苦手です。
と思うことが多々あるからです。
もちろん、「適当」にもいろんな形がありますが、他の人の働き方を見て、
と思うことが多くて、
とも思います。(偉そう)
こと英語学習においては、
と、細かい解法や勉強法を聞いてくる人もいますが、
というのが僕の率直な意見ですね笑。
その中でだんだんと得られることもあるからです。
仕事もそうでして、授業においては「事前にかなり勉強しまくってかつ準備している」状態ではありますが、
という感覚も大切にしています。
まず始めてしまうということが、大事だということですね。
- あまり時間をかけすぎたり
- 説明過多になってしまったり
しますと、仕事も授業も「もっと『抜き』を大切にしたら?」と思われてしまいます。
切羽詰まっているように感じてしまうからでもあります。
人間、時間は限られていますから、100%うまくいくとは限りません。
自分のできる範囲でやっていけばいい。
自分の能力を磨いたり準備をしつつも、実際の「実行力」は8割くらいで行きましょう。
適当であることのメリット
この「適当さ」がうまく働いているなと感じるのは、それだけ「余裕」が生まれるからでした。
余裕がない人ほど完璧を求めすぎて、人に当たったり、自分のできなさを卑下したりします。
それだと結果的に自分が潰れてしまいますので、注意が必要です。
僕は昔っから適当でして笑、
ということが多いです笑。
仕事においても(良くも悪くも)そうでして、
- ある程度は頑張って準備するが
- 一方で「完璧なんてあり得ない」とわかっている
というスタンスを持っています。
これについては表現が難しいのですが、英語を教える時は「適当」でありながらも全力だったりしますので、
と言われることもありますけどね笑。
大事なのは「按配/バランス」であり、例えばプライベート授業の教材なども、
- まずは作って
- とりあえず授業をして
- 反応を見ながら修正する
という姿勢をとっています。
うまく生徒のみなさんに合うようにやっていますね。
だからなのか、それがまるで、
と、感じる要素になっているのかもしれません。
適当になるためには、それまでの鍛錬が必要だったりもします。
勉強(言語学習)も「時間がかかるもの」だとわかっていますから、毎日続けつつもほどよい按配でやっています。
- 完璧を目指しつつ
- 現実はちょっと適当になる
無理やり言語化すると、こんなものでしょうかね笑。
「適当」ですと、
- 自分も
- 相手も
許せるようになります。
先述した通り、「適当」とは決して、
と思ってやっていることとは違います。
ほどよく力を抜き、「遊び/余裕」を作っておくことです。
すると「全力の時」との差(=ギャップ)も生まれますので、一石二鳥です。
「気持ちの余裕=適当さ」なのかなと。
と思われたら、
- それはそもそもの力がないか
- 表面だけで授業や仕事をしているか
だけですので、自分の「努力や頑張り」を見直す必要がありますね。
全力でやりつつ、ある程度の間違いやミスにも寛容になっておくこと。
この “適当さ” が、生徒やお客さんの心にも余裕を持たせてあげる要素になるのです。
大体70〜80点を目指していく
以前にも書きましたが、僕は個人的には、
と思っています。
そのために準備したり、継続していく中で修正したりすることは大事ですが、結果論として7〜8割になることは、何の問題もないと思っています。
ハナから「7〜8割でいいや」ではダメですが笑、結果的にそうなってしまったら、
と思ってやればいいのです。
適当さがあれば、長くやっていけるからです。
「持続可能性」を求めるのであれば、やはり「毎回の完璧」を目指すことはガス欠を引き起こすため、良くありません。
では話になりません。
ずっと70〜80点を取っていくことのほうが、お互いの安心のためになります。
僕がいろんなことを継続できているのは、このほどよい「適当さ」をいつも探りながら続けているからです。
ただ、あまりにも成長のない「継続」は意味を成さず、ここも按配が大事なのは間違いありません。
ひとたび何かを始めたあとは、調整の連続です。
実践を繰り返していく中で、
と思ったらやめるか、調整を入れる必要があります。
場合によっては外注して、他の人に頼むことも大事ですしね。
どんな作業も、最終的には「人的なもの」ですから、
か、
と思わせたら、もう「勝ち」です。
何だか言っていることが矛盾しているようにも感じるかと思いますが笑、
- 一所懸命やりながらも
- ある程度持続可能性を意識する
という、そんな考え方でいいのかなと思っています。
人間のやることなので、完璧はあり得ません。
その前提の下(もと)で、自分の精一杯(=燃え尽きないレベル)を提供していくこと。
だからみなさんも、毎日働くことができているんですよね。
いつでも、自分の按配を知っておくことです。
おわりに
「適当さ」とは説明が難しいのですが、僕は「完璧に毎日を過ごすこと」なんて不可能だと思っています。
一方で、70〜80点の毎日を過ごすことはできますし、それは、
- 自分にとっても
- 相手(生徒やお客さん)にとっても
必要な姿勢だと思っています。
いい意味で「適当」を求めていきましょう。
それが持続可能な生活を生み出しますから。
それではまた!
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