どこかで忘れていた「反応しない」勇気【いちいち怒らない】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

現在、稲盛和夫さんの『心。』を読んでいます。

まだ読み始めたばかりですが、すでに心洗われるような内容であり、

どんな時でも感謝しなさい

という言葉が、僕の心に沁みていきます。

以前、武士道について少しだけ学び、その「あり方」に魅了されました。

日本人のあり方とは、この武士道や神道に基づいたものであり、稲盛さんから学ぶ「心」のあり方もまた、僕らが見習わなければならない点です。

彼の書籍としては、以前に『生き方』を拝読しました。

実業家たちの書籍とは、単純な金儲けの先にある、人としてのあり方を説いてくれるものが多いです。

やばい。また自分は心が乱れていなかっただろうか?

と、毎日反省の日々です。

今日は冷静でいるための、「反応しない姿勢」について書いていきます。

世の中では、いろんな許せないことや理不尽が降りかかってくる。それにすらも怒ることなく、平静を保ち続けよう。

言ってくる人にも正義がある

生徒さんと話していますと、実にいろんな思想を持った方とお話しします。

それは政治だけに限らず、

  • 教育観
  • 国家観
  • 男女の考え方
  • お金や投資の価値観

などなど、いろんな話で盛り上がります。

僕が気をつけなければならないことは、

そんなことありえない

と、相手を一蹴してしまっていないかということです。

それぞれには、それぞれなりの正義や考え方がありますからね。

逆もまた然りで、僕には僕の経験からしか作り出せない思念があります。

世の中では誰が正しいということはありません。

漫画ワンピースでも「それぞれの価値観/正義」を掲げているキャラクターたちが戦うため、まるで「海賊たちがいい奴ら」と捉えられるのですから驚きです。

僕と生徒さん、あるいはX上でのやり取りやYouTubeのコメント欄でのバトルなどを拝見しますと、

それぞれにそれぞれの正義があるのだろうな

と思わされます。

むしろ、だからこそ議論とは楽しいものであり、”冷静に話せる人” と話すほど有益な時間となります。

仮に感情むき出しで「お前の言っていることは違う!」と言ってもいいですが、

  • 何が
  • どうして
  • どう違うのか

と適切に言えなければ、「ただ叫んでいるだけの人」になりかねません。

それほど意味のない叫びはありませんからね。

それぞれが正義を掲げてもいいですし、少数の方の意見だって貴重です。

それをお互いが理解することが、まず第一歩なのではないでしょうかね。

みなそれぞれが言い合える、言論の自由のある空間を大事にしていこう。しかしただただ感情的に相手を罵るのであれば、それは意味のないことだ。

聖人を目指す

以前にも、

どうやったら聖人のようになれるだろうか?

と、そんな記事を書きました。

僕も人間ですから、時に感情的になってしまうことはあります。

しかしそんな時は、

いかんいかん

と自分を見つめ直し、もう一度「自分」に戻ってくるようにしています。

一方で、聖人を目指してゆく上で間違えてはいけないのは、

  • ただただ相手を甘やかすこと
  • ただただ相手の言うことを聞くこと

こうしたことを、平気でしてしまうことです。

時に「厳しさ」も必要であるということ。

間違っていることに、「間違っている」とはっきり言えるかどうか。

ただし、

なにこいつ!?マジでウザいんだけど!

と反応してしまっている場合においては、コントロールが効いていない証拠です笑。

それでは相手の思うツボですし、そこからはただの口論にしかなりません。

時には激しい口調も必要かもしれませんが、やはり自分の口で、

  • なぜそうなるのか
  • なぜその点が間違っているのか

などをしっかりと指摘することです。

このブログでは、僕は自分の思考の整理をするようにしています。

なぜ僕は、あの時言われたあの言葉が、これだけ引っ掛かっているのだろうか?

と。

こうして書き出してみれば、自分の落ち度や意見の脆(もろ)さにも気づくことができます。

悪い意味で反応してしまうということは、どこかしらに「返すことのできない論点」があり、感情論でコトを解決しようとしてしまっているということ。

間違っていることを指摘したり、意見の相違に関して議論をすることは大切なことですが、その際もしっかりと自分をコントロールしておきたいものですね。

聖人になるということは、誰にでも優しく接するという意味ではない。いつでも毅然とした態度でいながらも、すぐに感情的にならないことがポイントだ。

他人のことにリソースを割かない

僕が教員時代にやってしまっていたことといえば、気に食わない同僚の先生と言い合いになって、休みの間もずっとその先生のことを考えてしまっていたということでした。(恋愛か笑)

このご時世であればSNSやコメント欄などで、好き勝手に言いたいことをぶつけてくる人が一定数います。

法的な措置も取れる時代ですので、行き過ぎている場合は専門の機関に相談してみましょう。

インターネット上の誹謗中傷等への対応|警察庁Webサイト

僕の過去の例のように、「他人」にリソース(=いわゆる資源)を割いていますと、自分のことに集中することができなくなってしまいます。

頭の中が、その人たちのことでいっぱいになってしまうからです。

「反応してしまうこと」とは、

その人たちに自分のリソースを奪われた

と考えてもいいでしょう。

当の本人(好き勝手言った側)は全く気にしていないでしょうし、そちらに時間やエネルギーを使うこと自体、労力となってしまいます。

  1. 言い合いになること
  2. 間違いを訂正して議論すること

これらは別物です。

僕は特に前者の場合とは、過去に経験したようなケースだと思っていて、

自分が正しいに決まっている

と、頑なに意見を変えない人とのやり取りでした。

  • 人の話を聞こうとしない
  • 最初からリスペクトもない
  • 攻撃的でただ言いたいだけ

このような人と、やり取りをする必要はありませんよね。

もちろん、他人からの指摘によって、

自分が間違っているかもしれない

と思うことは大事なことですが、仮にそうだとしてもその人たちは指摘の仕方が間違っています。

データや根拠を示して、

こうじゃないんですか?
これってどう思いますか?

と、建設的なやり取りができるようなら、

なるほど。自分の考えも正さなくてはならないな

と考え直すことができるからです。

一方で、相容れないのにも関わらず、みなさんを攻撃(口撃)してくる人とは、一切絡まなくも大丈夫です。

ただただ時間と労力が奪われるだけであり、建設的かつ生産的な意見交換なんてできないからです。

くそぅ!腹が立つなぁ!

となっていては、みなさんの時間がもったいないです。

不毛だと思われる人とは、関わらないことが一番。

自分の発信や仕事に集中しつつ、建設的な議論ができる人とはしっかりと議論を交わしていきましょう。

自分の人生に集中するためには、建設的な議論のできない人に関わる必要はない。他人にリソースを割かれないよう、注意しておこう。

おわりに

ふと感情的になってしまうのは人間だからであり、それは普通のことでもあります。

しかしそれが、本当に制御不能となってしまっている時とは、全く自分が見えていない時でもあります。

すると不必要なエネルギーを使ってしまいますから、「いかに反応しないか」を突き詰めながら、友人たちと議論を交わしていきましょう。

それではまた!

タイトルとURLをコピーしました