こんばんは。
現在読んでいます学校、行かなきゃいけないの?これからの不登校ガイドから、たくさんの刺激を受けております。
ここ最近でまたメンタリストのDaiGoさんが炎上していましたが(すずき結構好きだよね笑)、ちょうど貧困がテーマになっている章を読んでいましたので読書にも熱が入りました。
すずきなりの考え方の変遷や教師としてできることなど、現在ある知識で考えていこうと思います。
学校に行かなくてもなんとかなるわけではない
今の時代は多様性が認められ、昭和の暴力教師、学校という収容所というイメージは払拭され、校内で教師による酒・タバコは許されなくなり、不祥事があれば事実上クビという段階まできました。
また登校拒否という表現がなくなり、「不登校」という表現に置き換わりました。(ただこれもまだ「不」が付いていてネガティブなイメージだという指摘もあります)
とはいえかなりクリーンになりつつある時代です。
すずきも学校に来られなくなった生徒には「まだ他の道もあるから学校にくるのが精神的に嫌であれば来なくても大丈夫だよ。通信制なんかもあるし」と伝えることがありました。
本書を読んだところ、実例として芸人の山田ルイ53世さんが6年間の引きこもり生活をしていたことが書いてありました。
本人曰く「学校に行けなくなったことは後悔でしかない」とのことでした。
学校はよくも悪くも集団で学ぶことができるし、頑張って大検はとったものの理科の実験や教室の雰囲気とかはやはり学校(大学)でしか学べないと書かれていて、何でもかんでも「俺は不登校から逆転したんだ」と不登校の経験を武勇伝にしたがることに警鐘を鳴らしていました。
それは特に日本の「学歴社会」がまだ色濃く残っていることが大きな影響を与えているようです。
もちろん大学や大学院を出ても逆にうまく職に就けないなどの事例はありますが、不登校の生徒ほど中卒・高卒の割合が高く、その分給料でどれだけ格差があるのかが数字で表されていました。
つまり不登校自体は否定しておらず選択の余地がある上で好きな道を選ぶのはいいことなのですが、彼からすればできる限り学歴を重視しておいたほうが(そして「学校」という現場で学んだほうが)、結果的には遠回りせずに済むよという意見があげられていました。
これは実際に不登校になった方のケースであったため、僕自身もなるほどそこまで将来を考えさせられるようにケアしてあげなければいけないなと思いました。
先生たちは先生たちなりに、通信制の紹介や経済的な支援への申し込みへの誘導など、会議を見ていても配慮や支援という言葉が頻繁に出ているため、昔に比べて柔軟な現場になっているのだと感じています。
ただ本書でも書かれているように、学校だけではそうした支援ができなくなってきているのも事実です。
先生たちもなんとか学校につなぎとめたり、次のステップを紹介するにはしますが、それ以降は家庭のサポートが言うまでもなく大切であり、生徒本人に寄り添ってあげられる人もまた必要です。
「学校に全てを求めるな」と言いたくなるところをグッとこらえる日々ですが、実際はもっと違うポジション、行き場のない生徒にとっての「第三の場所」も社会には必要だと改めて感じました。
その日暮らしの生徒もいる
現在の学校でも、バイトをしている生徒が多くいます。
すずきは自身が貧しい家庭だったほうだと思っていましたが、お弁当は作ってくれましたし高校時代にバイトなんてしたことはありませんでした。
ほんと両親のおかげです。感謝しています。
本書を読んでいますとそうした事例が多数あげられていまして、相当しんどいはずの人が「あぁ自分の家庭はとても恵まれていたんだな」と思わされるくらい、さらに凄まじい事例も紹介されています。
以前読んだ成功する子失敗する子でもアメリカの事例がありましたが、あのレベル(明日の命の保証がない)と言ってもいいくらい、命の危機に脅かされている生徒も日本にはいます。
それこそ怠惰でもサボりでもなくて本当にお金がなくて路頭に迷ったり、明日の家族の食事のことだけで頭がいっぱいになっていたり、学校どころではない生徒もいます。
すると貧困の負の連鎖に陥ってしまい、不登校→低学歴→非正規雇用→低賃金といったスパイラルにハマってしまいます。
実際自分の学校でも数名いるので、彼らと比べるわけではありませんが、ちょっとサボったり授業料が払えているだけでもまだ大丈夫なほうだなと思ってしまいます。
そうした生徒の存在を知っているか知らないかではアプローチの仕方もだいぶ変わってきます。
まずはそういった事実があるということを前提に、生徒と面談したり相談に乗ってあげたりしたいものです。
本書では生徒が「自分を曝(さら)け出せる場所」があるだけでも救いになるし、場合によっては同じ境遇にいる生徒同士で愚痴るのも効果的だと書いてありました。
しかし繰り返しになりますが、学校側でそれら全てに配慮していくことがしんどくなりつつあることと、親も「やめるなら仕方ないね」と即座に諦めてしまう傾向も重なり、やはり「第三の場所」があってほしいと感じてしまいます。
学校現場ではそういった生徒への配慮を考えいている教員がとても多くなり、若い先生が増えてきたこともあって生徒との心理的な距離も近く、生徒に対する理解も深まっていると思います。
難しい議論を呼ぶ状況も多々あって、仕方なく転退学を勧めざるを得ないときもありますので、それは良くも悪くも義務教育を終えた機関だからこそ執行できる対処法ですかね。
是非はあるにせよ、議論をした上で生徒の次の道を提示しているのは良いことだと思います。
学校現場では何ができるか
学校という現場では公平さも担保しなければならないため、それが複雑な家庭状況・経済状況を背景に持つ生徒にアプローチをしづらくするハードルでもあります。
学校現場でできる最低限のことは話ができる先生がいるということなのかもしれません。
それは保健室でも、管理職でも、事務員でも、地域のボランティアの方でも、それこそ担任や学年の先生であればなお良しです。
すずきも個別塾のバイト時代は90分1コマの授業で、生徒の相談に乗って終わる授業とかもありました。
だって勉強している場合ではないのですもの笑。
学校では確かに「授業が一番」という気概を持つことも大切なのですが、やはり「この先生なら話してもいいな」「信頼できるな」「話を聞いてやってもいいな」と思わせることがより大切だと、再び思いました。
現代は「信頼の貯金をすること」が社会人にとって大事だと聞いたことがありますが、それは対生徒でも一緒で信頼のない先生には誰も耳を貸そうとしません。
一人一人にきめ細やかな支援は現状精一杯で大変なのですが、大人・教師というよりも一人の人間として尊敬されるような、そんな教師が僕の目指すべきところなのかなって思います。
ただ優しいだけでなく時間がなくても生徒にしっかりと耳を傾け、いろんな知識や道、失敗談や経験談を伝えられるよう、日々勉強ですね。
おわりに
「世界の反対側で困っている人に避ける時間なんてない」というのが現実かもしれませんが、伊坂幸太郎著「砂漠」において西嶋というキャラクターがこんなことを言います。
目の前の危機を救えばいいじゃないですか。
今、目の前で泣いてる人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ
そうなんですよね。
教師って学校という狭い閉鎖空間だからこそ、目の前の生徒に集中するしかないと思っています。
限られた時間と場所で最大限に今向かい合っている生徒と相互作用を図って、たくさん話してあげるしかないのかなって。
地道だけどそうしていくのが近道なのかなって思いました。
それでも学校から就職やお金を手にするまでのレースからふるい落とされてしまった子たちのために、フリースクールのような学校もあったり現代ではオンラインやSNSなどの救いの手があったりもして、僕はそれらにもすごく興味がわきました。
クリーンになりつつある学校現場ですが、いつの時代でも教育とは闘いの連続です。
一つ一つ壁を越えていくため、生徒との対話を全力投球でやっていきたいと思います。
それではまた!
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