一度本当にゆったりした時間を取ることのすゝめ【多忙さに気づく】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

明日から2月ですが、僕の教員生活も2校目の4年目がもうすぐ終わろうとしています。

2月からは担任を持っていた3年生は自由登校となり、もうほとんど会うことはありません。

そこで、

4月までに有給休暇を消化しなければならない!

と思いたち、朝のホームルームがなくなったことを良いことに、ゆっくりと出勤することにしてみました。

朝日を浴びながら、通勤ラッシュを避けて向かう道。

とても静かで、穏やかな朝。

今日はそんな「ゆったりとした時間」を取ることの大切さを書いていきます。

人間は本来、もっとゆったりと過ごしていい。疲れたら、自分のためにもまとまった時間を取ってあげよう。

気づいていなかった疲れ

平日は毎朝ホームルームがありますので、必ず定時前には出勤しています。

しかし多少の余裕が出てきて、なおかつホームルームがないとなれば、これはもう久々の感覚です。

そんなゆったりとした午前(1時間だけ遅く通勤)を過ごしたところ、いろんなことに気づくことができました。

  • 余裕を持って歩くことができた
  • 朝の時間がゆったりと感じられた
  • 陽の光が眩しく、とても感動した

などありましたが、特に思ったことは、

今まであまりにも忙しい人生だったのだな

ということでした。

もちろん、休日は死ぬほど人と会っては、思いっきり人生を謳歌していますけれど笑、平日の朝にゆっくりと過ごしてみたのは本当に久しぶりのことでした。

「教師は多忙だ」とよく言われますが、担任を持ちますとなおさらしんどく、やりがいと引き換えに「多くの時間」を失います。

ただ、

あ、朝の打ち合わせに出なくてもいいし、出席も取らなくていいのか?

と感じるように、担任業務が多忙な分、それがなくなると「スーパーイージーモード」に突入します笑。

ゆったりと歩いた街中は、僕にとってどこか違った景色に見えました。

担任をやるのは2回目でしたので、この感覚は味わったことがあったはずなのですが、それほど、

「今いる学校にフルコミットして働いていた」

ということを実感しました。

自分が思っている以上に、相当ハードに仕事をこなしていたということです。

だから偉いとかすごいとか、そういうことを言いたいのではありません。

自分の疲れに気づくことができないまま、過ごしていたということです。

あぁ、僕は本当に疲れていたんだな…

そうして見上げた空は美しく、自然と涙が流れてきました。

自分の疲れに気づいてあげよう。時に休んだって構わない。

まずは休むこと

自分の疲れに気づくことができたら、「まず休ませること」が大切です。

「疲れていたことに気づけていなかった僕」

が偉そうに言うことはできませんが笑、これからはできる限りゆっくり出勤することにしようと思っています。

もちろんいつも通り6時半頃に起きて、その後の時間を自分の時間に充ててみようという魂胆です。

これからの旅の準備もありますからね。

この前の「1時間遅れての出勤」だけで多幸感に包まれた僕ですから笑、これはやらない手はないでしょう。

僕は以前、友人にも「散歩したらいいよ」と、散歩を勧めたことがありました。

  1. 靴を履き
  2. スマホを置き
  3. 20〜30分だけでも歩く

それだけで、驚くほど世界が変わって見えたと言われました。

外の匂いや街の賑やかな音、空の青さや人の動きまで、ありとあらゆるものをゆっくりと観察することができるようになるからでしょう。

それは裏を返せば、今まで「あまりにも余裕がなかった」ということになります。

死ぬほど動き回ることは僕も好きですし、一方で休日にゆっくりと散歩することもまた好きです。

ただ今回の場合は、「精神的な負担」が大きく影響していたのだと思います。

「担任業務」という重責が取り払われるだけで、こんなにも世界がキレイに見えるものかと思いましたからね笑。

これは、他の業種やお仕事についても言えます。

どんな業種であれ、みなさんもまた多忙な毎日を送っているのかと思います。

その仕事が好きか嫌いかは別にしても、「忙しい」という一言にまとめてしまって、

  • 本来の人生の目的
  • 自分のやりたいこと

にフタをしている人も、中にはいるのではないでしょうか。

僕はこれから、「自分のやりたいこと」を全力でやっていく人生にすることに決めました。

何度も言っていますが、別に「先生」という業種が、

ブラックで最悪だった

と言いたいわけではありません。

そこに青春や感動、やりがいも確かに存在していましたしね。

ただ、自分の人生についてしっかりと考えていなかったですし、あまりにもその時間を取ることができていませんでした。

いえ、考えてはいたのですが、「改めて時間を取ること」はできていなかったということです。

とりあえず一度、全てから解放された時間を設けてみること。

すると自分でもびっくりするくらい、

本当に休めていなかったんだなぁ

と、自身の多忙さに気づくことができるのです。

多忙だと、人生のやりたいことについて考えられないものだ。そんな時、一度休んでみよう。改めて自分の人生について考えることができるはずだ。

思いっきり感動しよう

現代人は忙しすぎる

僕はそう思っています。

ゆったりとした朝の時間を過ごしていた時、僕の歩くスピードはものすごく遅くなり、周りの景色にいつも以上に注意が向きました。

今までも、意識して幸せを感じるように毎日を生きてきたつもりでしたが、やはり本当の意味で「責任から解放」されますと、人間ガラリと感じ方が変わるものです。

すると、

  • 命の尊さ
  • 人の優しさ
  • 自然の美しさ

に、改めて気づくことができるようになりました。

何を大げさな。そんなことより仕事だよ仕事!

言いたいことはわかります。

しかし敢えて僕が伝えたいことは、やはりその忙しい時間を「一度削ってみること」です。

そこで初めて気づく「感覚」があるからです。

僕は街中を歩いただけでも、

あぁ、これから僕は本当に仕事を辞めて、新たな世界に飛び込むんだな

と感じ、些細なことにも感動するようになりました。

大切なのは、仕事だけではありません。

極端に「仕事なんか辞めちまえ」と言っているわけでもありません。

大切なことは、一度しかない一生で「たくさん感動すること」です。

目の前がパーっと広がるような、そんな感覚は初めての経験でした。

自由ってこういうことなんだ…

いえ、まだまだ勤務は続きますけどね笑。

みなさんもぜひ一度、自分の自由な時間を作ってみてください。

そんなもの作れない!

と言わずに、ぜひ。

そうして見る「いつもの景色」もまた、見方が変わって「新しい景色」になりますから。

自分と向き合う時間というよりも、本当の意味での「自由な時間」をとってみよう。すると今まで気づけなかったことに気づけるようになり、深く感動するようになる。

おわりに

たった1時間。

たった1時間だけ、朝ゆっくりと職場に向かっただけです。

担任は基本持ち上がりですから、丸々3年はタイトな生活に身を委ねていました。

そう考えただけでも、かなり稀有(けう)な朝の時間だったのだと再確認できました。

それは「僕がいかに感動したか」という事実だけでわかります。

だから今後も、そんな時間を大切にしていこうと思っています。

みなさんもほんの少し…

ほんの少しだけ、自分の自由な時間を取ってみてはいかがでしょうか。

きっと新しい世界が見えてきますよ。

それではまた!

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