こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕といえばストイックに過ごしているように見えるかもしれませんが、しれっとサウナに行ったり、ランニングをしたりして休んで(?)います。
以前より大きく変わったなと思うのは、「力の抜きどころ」を大切にするようになったことですかね。
と感じたときは、近くのサウナかカフェで時間を過ごすようにしたり、余裕があればダンスやランニングをしては、自分を調整することができるようになりました。
大切なことはこの「調整力」。
今日は僕なりの「休む大切さ」を説いていきます。
追い込む ≠ がむしゃらにやる
よく勘違いされることは、
- とにかく働け
- がむしゃらにやれ
という昭和スタイルの生き方です笑。
これには良い面と悪い面があって、僕個人としては、
- 一所懸命やりながらも
- ただガムシャラにやらない
というなかなか難しい按配ですが、そんな意識を持ちながら調整しています。
以前の僕も、
と偉そうに言っていたものでしたが笑、実際は「質」のほうが大事であり、数字は単なる結果(事実)でしかありません。
「量が大事である」とも思っていますが、
- 意識
- やり方
なども同時に意識すべきで、このバランスをうまく調整しながら、ものごとに取り組んでいかなければなりません。
ゆえに、
ではなくて笑、やはりプロセスや結果にも意識を向ける必要があるということ。
そして今回のテーマである「休み」。
僕はこれもとても大切な要素だと思っています。
「休む」にもいろんな形があって、僕が必ず避けているのは、
- リゾートでゆっくりする笑
- ダラダラと何かを見続ける
というもの。
避けているというよりも、多動である僕の性に合わないというだけですね笑。
サウナにも行きますが、大体1時間くらい(ご飯込みなら2時間程度)で出てきてしまいます。
一人でいる時は、なるべくムダな時間を取らないようにしているのです。
- それこそストイックなのではないか?
- 果たしてそれで「休む」と言えるのか?
と突っ込まれそうですが笑、「調整」という意味では僕にとって十分なのです。
いずれにせよ、ただただ身体を壊すくらい追い込むことが正しいとは限りません。
持続可能でなければ意味がないからです。
適切に休んでパフォーマンスをあげる
僕がたまにサウナに行ったり運動をしたり、カフェに行ったりするのは、それが僕にとって必要だと思うからです。
もちろん『趣味』の領域でもあるのですが笑、それによって、
- 心機一転
- リフレッシュ
- ストレス改善
などの効果があると考えれば、(カッコよく言えば)必要な投資とも言えます。
「休む」とは少し離れてしまいますが、最近はノートパソコンが使いづらかったので、パソコンの位置を上げるスタンドを購入しました。
パフォーマンスをあげるには、そうしたところにお金をかける必要があるということ。
- 寝る
- 休む
- リフレッシュする
といったところにも、お金をかけてもいいということです。
先ほどの「追い込む」という点にも繋がりますが、あまりにも疲れ過ぎていて仕事がストップしてしまったら本末転倒です。
人間の体は機械ではありませんし、たとえ仮に機械のように機能的に動けたとしても、メンテナンスが必要なのは間違いありません。
普段から、
- 食生活
- 睡眠時間
- 適度な運動
などを心がけることも大切なのは言うまでもありませんが、たまの休みに(自分なりに笑)思いっきり休むことも大事なことです。
僕にとっては数時間で調整できますが笑、人によっては、
と決めてしまってもいいでしょう。
自分が幸せに感じることには浪費したほうがいいですし、回り回ってパフォーマンスを上げるための「投資」になることもあります。
僕はストイックにやっている(?)のかもしれませんが、
と言っては、結構な頻度でサウナに通ってしまっています笑。
でもそのおかげで、
と思えています。
休むにしてもいろんな方法がありますが、生産性に繋がらないようなこと(SNSやYouTubeを見続けるなど)は避けたほうがいいでしょうね。
それは人によるので、自分の心地良さと生産性等を加味して、休んでみてはいかがでしょうか。
生産的に休む
休むにもいろいろな種類があるように、僕は「休み」にも意識を向けるようになりました。
- 友人と仕事の話
- カフェに行って読書
- ストレッチしながら言語学習
- サウナに行って健康的な食事
など、できる限り自分の生産性に繋がるようなものを選ぶようになりました。
決して偉そうなことは言えませんが、
とは感じています。
- ネガティブな話ばかりする人
- 文句ばかり言って行動しない人
などと付き合わなくなったのも、その時間を大切にするようになったからなのかもしれません。
もちろん、バカ話をしたり笑い合えたりできる仲も大切ですが、みなさんが意識していないようで意外と、
と、人は相手のことをくまなく見ているものです。
人間関係もさることながら、そういった「休み」の時間は、僕にとって大切な意味があります。
と思われる方もいますが、個人的にはオススメしません。
どれくらいを “頻繁” と言うのかはわかりませんが、
- 毎日のように外食したり
- 毎週毎週どこかに出かけたり
していますと、休んでいる実感もなくなり特別感が出てこないからです。
あくまでリフレッシュのために使っているのであって、基本のベースは仕事をすることです。
「仕事」の捉え方も様々ありますが、僕は公務員として働いている時にも、たまにサウナに出かけたり、毎週のように日本各地を訪れたりしていました。(おい)
とにかく、
と判断できたものを中心に、お金や時間を使うようになりました。
カフェやサウナ、美術館なんて「かかるお金」もたかが知れていますけどね。
と思うかも知れませんが、あまり難しいことは考えないことです。
ただ「漫然と休むこと」が、果たして本当の意味での生産性に繋がっているかは、疑ってかかっても損はないのかなと。
僕は、
- テレビを捨て
- 夜更かしをやめ
- 暴飲暴食をやめ
- SNSを徘徊することをやめ
- ムダな飲み会に行くのをやめ
ました。
これだけでも「休むこと」を選別しているような、そんな気がしませんかね。
自分の仕事のパフォーマンスに繋がるものや、ダイレクトに幸せを感じるものは、積極的に「お休みリスト」に入れていっていいのかもしれません。
今一度、「休む」を定義し直してみてはいかがでしょうか。
おわりに
僕は定期的に「休む」を取り入れています。
ただ、
- 友人との会話も
- 自分なりの幸せについても
取捨選択するようにはなりました。
と思っていた時代に比べて、仕事(=誰かのために働くこと)に繋げることや、自分の幸せを意識するようになったからでしょうね。
みなさんも今一度、「休むこと」について考えてみてはいかがでしょうか。
それではまた!
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