こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
年末に「野郎たちで鍋をつつく」という、極めて稀有な計画に乗っかりました笑。
最近はひとりで行動しまくっていましたので、鍋パーリーに行くのに若干の躊躇がありましたが、結果的に多くを語り合うことができて、本当に良い時間となりました。
なんだかんだ言って僕の周りには真面目な人が多いんですよね。
それは僕が「クソがつくほど真面目」であるからかもしれません笑。
今日は30代野郎どもで話したことを、ざっくりとまとめていきたいと思います。
今の30代は変化に強い
以前にも変化に対する柔軟性について、記事を書きました。
僕らの世代は20代の子たちと多少なりとも経験してきたことが似通っていますが、特に「変化の時代」を生き抜いてきたのだなと感じております。(だから偉いというわけではない)
- ゆとり教育
- ネットの発達
- ガラケーからスマホへ乗り換え
- SNSの発達
- 有線→無線
- キャッシュレス
- サブスク
- オンライン
などなど。
いくつかは本当にここ数年で起こった出来事と言ってもいいですよね。
僕が中学生の頃はネットがまだ普及しておらず、まず家のプリンターで路線案内を印刷してから、それを大事にポケットにしまい、その紙を「すべての拠(よ)り所」にして実家まで帰っていました笑。
ポケモンの交換も友達の「通信ケーブル」がないとできませんでしたし、連絡手段もヤフーのメールをパソコンで立ち上げてから送るというものでした。
現代ならスマホでなんでも調べたり、発信したり、保存したりすることができ、すべて1台で完結してしまうのですから驚きですよね。
「ゆとり教育」も経験しましたが、僕らの世代はどんどん新しい変化が起きていて、それに対応してゆく世代でした。(もちろん今でも変化は激しいですが)
下の世代は変化に慣れ切っている世代と言いますか、
「え?なんか新しいの出たんだっけ?とりあえずやっておこう」
という子たちが多くて心強いです。
またネット上でも発信することにも躊躇がないため、「行動力」(と言うべきかはわかりませんが)に非常に長けているとも感じています。
今回、野郎どもで鍋をつつきながら飲んでいますと、やはり日本の現状に関する話が多い印象を受けました。
最近は別業種の「仕事の話」を聞くことがとても楽しくて、それぞれの分野で思っていることや考えていることを吸収することができて、本当にためになっています。
一方で僕の職種である「先生たち」は専門性が高いため、「その分野に長けていればいいでしょ?」という考えを持っている人が多いです。
同世代ですと近い将来のことを考えて「次にどうしたらいいだろうか?」と考える人もいますが、基本的にその場にとどまることを好む人が多いように見えます。
しかし、
- 「先生だし(他のことは知らなくてよい)」
- 「教員免許持っていれば安泰だし」
- 「専門性を磨くほうが大切だから」
と思い込んでしまうのは、僕としては違和感があると思っています。
それは僕らの世代が、変化の波に飲み込まれてきた世代だからです。
今の10〜20代の子たちはすでに「波の乗り方」を知っており、僕らよりもデジタルネイティブ感が強いです。
どちらかといえば僕ら世代は、
- 以前の保守的な日本
- これから変わってゆく革新的な日本(世界)
の両方を経験している世代です。時代の過渡期にいたこともあり、周りの同世代の友人たちも、
- 転職
- 副業
- SNSによる発信
- 起業
- 海外勤務
など、それぞれが思うように働き方を変えており、僕もガンバらないとなと思わされる日々です。
これからは下の世代にも背中を見せてゆけるような、そんな大人でありたいなと思っています。
時代を変えてゆくのは、今の人たちだ
僕ら30代は、自分で言うのもなんですがとても大切な役割を担っていると思っています。
もちろん、いちいち世代で区切るのも良くないですし、それぞれにはそれぞれの役割があります。
ただ、やはり「僕らにしかできないこと」もあるような気がしてなりません。
一瞬で時代が変わることはありませんが、皮肉にもコロナを通して「今までの考え方では通用しない」ということが短い期間で浮き彫りになりました。
つまり「今までの時代を築き上げてきた人たち」がダメだというわけではなく、
- ダメだとわかっていても、
- 特に理由もないのに、
- 自分の小さなプライドのために、
昔の考え方に固執する傾向が「100%生産的ではない」ということですね。
僕らはそのマインドを「変えてゆく世代」だと思っています。
他人のマインドを変えるという意味ではなく、その固定観念を変えてゆくという意味です。
漫画ワンピースで登場する海軍のスモーカーは、海賊である主人公のルフィたちについてこんなことを言っています。
この海じゃあ 駆け上がらなきゃ死ぬしかねェことを やつらは知ってるんだ
この名言は、まさに現代そのものを表しているなと思いました。
変化してゆく時代の波を、乗りこなしていかなければいけないのだな、と。
今回の雑談から、日本の様々な「負の面」の情報交換をすることができました。
- 教育分野における若い世代
- 顧客として接する団塊の世代
それぞれについて、
- 僕は若い世代の苦悩を、
- 友人たちは今の上の世代の苦悩を、
語りました。
普段から接する人が違うだけで、情報のやりとりにギャップが出て面白いものです。
どの世代においても「とにかく何も変わろうとしない人」は存在しますが、特に上の世代の方に顕著に見られる性質のようです。
話を聞いていますと、ある程度「時代が人を作る」という理論は間違っていないのだなと思いました。
「年功序列」「終身雇用」が当たり前であった、バブルを経験している世代は人生なんとかなると思い込んでしまっている傾向にあるからです。
一方で若い世代の子たちは現代の変化に気付き、すでに老後を気にしているという有り様です。
また家庭に難がある子どもたちも、見えていないだけで数多く存在しています。
「本当に日本大丈夫なのか?」と思わざるを得ないくらい、現代の日本の混沌さに驚愕しましたね。
だからこそ「時代」や「世代」のせいにしてはいけないのです。
僕ら30代はこの混沌とした世代間のほぼ中心にいて、大切な「ジョイント部分」にならなければいけないのかなと思っています。
- デジタルネイティブだし時代が変化していることはわかっているが、何が起こっているのか、何をしたらよいのかがわからない。
- 時代のうねりを経験してきたが、どうしても変わりたくない。
このどちらにも「なってはいけない」のです。
みんながみんな「時代に作られた人たち」で終わってしまってはいけません。
自らが「時代を作り、担ってゆく」存在であり続けることで、日本あるいは世界に働きかけることができると信じています。
それは僕ら30代の世代だけではありません。
今を生きる人たちが時代を作ってゆくのです。
僕もその一端を担うことができるように、口だけでなく行動で示していきたいと思います。
今の僕らに何ができるのか
具体的に何ができるかと言われますと、実はそんなに大したことができるとは思っていません笑。
とにかく僕が今できることをあげてみますと、
- 教員として生徒たちに様々な道を示すこと。
- 教員として生徒たちに、時代の変化に柔軟に対応する術を伝えること。
- 自分が教員以外の世界を知り、多くのことを試して発信してゆくこと。
- 小さなことでも行動に移し、数人のためになることでも良いので伝えてゆくこと。
などでしょうか。
「時代を担う」と言うと「何か大きいことをする」という発想に結びつけがちですが、実際にできることは本当に目の前のことだけだと思っています。
例えば現在就いている職業も、「すべて大したことではない」というわけではありません。
小さなサービスでもバイトでも仕事でも、必ず誰かのためになっているからです。
僕は先生として「目の前の生徒のことを考えること」に毎日必死ですしね。
一方で自分の幸せについて、あるいは余力のある時間で「自分に今できることは何か?」と考えることも多くなってきました。
要は考え方の問題であり、
- イヤイヤ仕事に向かっている。
- 思考停止で仕事をしている。
- 自分の人生について考えたことがない。
といった状態が、なんとももったいないなと思うようになったのです。
そうです。よく登場します「以前の僕」ですね笑。
生き方は人それぞれですし、夢や情熱を持たないことも決して悪いことではありません。
ただ僕にとって、
- 時代に流されているような
- 時代の波に乗っておけばいいというような
そういった考え方が、性に合っていないのでしょうね笑。
だから今の仕事に全力投球して、少しでも生徒のためになることをしていきたいですし、一方で自分の人生の新たな道を考えては、他の場面でも人の役に立ちたいと思うのです。
すべては「行動」に尽きますね。
僕も偉そうなことを言えるほどの「大きな行動」はしていませんが、小さなことをコツコツを積み上げてきており、それが少しずつ成果として出始めてきています。
ローマは一日にして成らず。
- 考えて行動に移し、
- 失敗し、
- またチャレンジして、
- 経験する。
小さなことから踏み出し始めて、「いつか何かが変わる!」という希望を胸に抱いて進む人生は、なんとも輝いていてエネルギーにあふれています。
また1年、たくさん行動して人生を良い方向へと変えていきましょう。
おわりに
同世代と話すことも楽しく、同世代だからこそ触れられる刺激的な情報や考え方があります。
また他の世代と話すことでも、同じような驚きや発見があります。
- 「自分は人とは違うんだ!」
- 「何か成し遂げてやるんだ!」
という野心があることも結構なことです。
しかしあまりそれらを強く意識しすぎてしまうと、自分の軸がブレてしまうことがあります。
僕の独特な感覚かもしれませんが、淡々とこなしてゆくことがとても大切なことだと思っています。
その裏に、
- 読書によるインプット
- 時代を読み解くための勉強
- 友人との議論、情報交換
- 各世代の考えていること
- 現場から見る現代教育の課題
など各々ができることは、小さいことでもたくさんあります。
何事も「意味なくとりあえず続ければいい」というものではありませんからね。
自分の意志の「裏付け」があるからこそ、淡々とこなしてゆくことに意味が付いてくるのだと思っています。
僕も少しずつ変わってきましたので、また新たな激動の1年を、みなさんとともに進んでいきたいと思います。
それではまた!
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