こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、母方の実家である宮城県の古川を訪れました。
新幹線が停まるような駅ではありますが、相変わらずの田舎っぷりを発揮しており、車がなければ移動がしんどく、実際大雪で歩くのは大変困難でした笑。
帰るたびに毎回お世話になっている叔父さんに乗せてもらい、僕の母の母、おばあちゃんに会いにいきました。
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には優しくするようにと育てられたすずきとしては、「祖母に会いに行くこと」はマストです。
コロナ禍で昨年は祖母に会えなかったため、だいぶ久しぶりに会うこととなりました。
今日はおばあちゃんと会ったことで感じたことをお話していきます。
実家に帰ろう
古川にある病院を訪れることになりましたが、コロナの影響もあって「ワクチンの接種証明」が必要でした。
「え?そんなもん持ち歩くわけないじゃん」と思いつつも、アプリを調べたらしっかりとありました笑。
マイナンバーカードは持ち歩いていましたので、そこにスマホをかざすことで接種証明が発行されました。
「おぉ、やっとこんな時代が来たのか…」と、ちょっぴり感動しましたね。
さて、いざおばあちゃんに会ってみますと、車椅子に座り体つきはなんとも弱々しく、虚ろな目をしていました。
「ばぁちゃん…」
実家に帰ってはいつも「食べらい食べらい」「けー、けー」(食べろ、食えの意)とお腹いっぱいの僕に対してご飯を勧めていた元気な姿も、来年99歳の白寿を迎えることもあってか、すでにありませんでした。
耳が悪く、僕らの声も届かなかったため、筆談のような形をとってお話することになりました。
妹と訪れていたため「ほら、僕だよ。あと妹も来てるよ」とおじさんが字を書いて見せますと、そこから顔がパァっと笑顔になりました。
クリアボード越しでしたが、手を振ってあげると笑顔で振り返してくれて、僕らの名前も呼んでくれてとても楽しそうにしていました。
おじさんが書いた字も声に出して読んでくれて、なんとなく心ではコミュニケーションがとれたのかなと思っています。
漢字も読みづらいことから、ひらがなを使って筆談し、10〜15分の面談を終えました。
別れ際には「次はいつくるんだ?」と言っていましたが、始終笑顔でいてくれて、こっちが元気をもらってしまいました。
本当に一瞬のできごとだったのですが、こうして親の実家に帰り、祖母に出会えたことはとても貴重な時間でした。
また来年も行けたらいいなと思っています。その時は99歳をお祝いしてあげたいですね。
家族を大切にする意味
普段から、
- ご年配の方々には優しくしなければならない。
- 電車では確実に席を譲れ。
- 重い荷物は持ってあげろ。
- 敬え。
という信条をもとに街を歩いていますが笑、祖母に会ったことでまた改めてその存在の大切さを感じました。
以前に「長く存在しているものに寄せる敬意」について書いたことがありますが、それはもちろん「人」でも変わりません。
自分の母方の祖父が亡くなった時のことも鮮明に覚えていまして、学生時代に居酒屋で飲んでいた時のことでした。
それも学祭のシーズンだったのですが、深夜バスを使って弾丸で古川まで帰ってお葬式とお通夜に出ました。
その時ほど、おじいちゃんともっと話をしておくべきだったと思ったことはありませんでした。
もちろんそれまでに一緒に過ごした時間は限りなくベストに近かったのでしょうし、何も後悔することはないはずでした。
しかし人間、失って初めて「あぁしておけばよかった」と思ってしまうものなのです。
だから今回の帰省も、僕にとっては意味が大きかったのかなと思っています。
どの国に行っても「家族を大切にする」という文化のない国はありませんよね。
僕も若い頃は親に反発をし、「さっさとひとりで暮らしたいな!怒」と思っていたものでした。
たぶんそれは、思春期に誰しもが持ったことのある感情でしょう。
そして社会人となり、忙殺されていく中で大切なことを忘れてしまう時もあります。
一見、自分の人生は自分を中心にして動いているように思えます。
でも本来は、今の自分があることは他ならぬ親や祖父母、家族や兄弟がいたからこそだということを忘れてはなりません。
「この人がいなければ、今自分はいなかったんだよな」
そのことを思い返して実際に会いにゆくことで、また自分の人生に意味を見出し、ハツラツと仕事やプライベートに全力を注ぐことができるようになることでしょう。
自分の生まれてきたルーツを確認する
宮城県で生まれ育ったわけではありませんが、僕は不思議と宮城県に親近感を覚えています。
それは毎年の盆と暮れに帰っては、その土地を踏みしめてその土地の人々を見てきたからかもしれません。
そこに帰るだけでも、自分の生まれてきたルーツを再確認しているような、そんな気分になります。
「なぜ自分はここに生まれ落ち、何のために生きてゆくのか」
と言った、高尚な哲学を語りたいわけではありません笑。
単純に自分が長い時間をかけて育った場所に帰ってみること。
それだけでいろんな想いが脳内を駆け巡り、たくさんの思い出があふれてくるからです。
今回叔父や祖母に会うこともそうでしたが、宮城という土地に帰って、改めて「やっぱり古川はいいところだなぁ」と思わされましたね。
みなさんにもそれぞれ「縁やゆかりのある土地」がありますよね。
別に「多ければ良い」というわけではないですけど。(僕はそうした場所を作りたいがために「旅をしている」のかもしれません笑)
自分と関わりの深い土地に年に一度でも帰ってみれば、今まで忙殺されてきた日々が一気に浄化されるような気分になります。
- ぼーっと過ごしてみたり
- 旧友と会ってみたり
- 家族と過ごしてみたり
- 近くを散歩してみたり
「普段、こんなに何もしないことはなかったな」と思うことでしょう。
すると、
- 自分が今していること
- 自分が今までやってきたこと
- 自分がこれからすべきこと
と、自分のルーツを確認するだけでなく、また次に頑張るためのエネルギーを溜めることができます。
自分の過去をネガティブに振り返ってウダウダするのは良くありませんが、
- 自分がどういう風に育ってきたのか?
- 誰に、何に育てられて今の自分が存在しているのか?
を確認することで、自分をリセットして再び歩き始めることができます。
僕は地元の駅に降り立った瞬間は、いつも「帰ってきたなぁ」と感じてしまいますね笑。
まるで「凱旋帰国」しているみたいで面白いのですが笑、「また帰ってくる時のために」という気持ちを持って日々を頑張ることも大切なのです。
おわりに
いついかなる時でも、精神的には繋がっているのが家族というものです。
ただ、
- 少し離れた親族である祖父母に会ってみたり、
- その土地に戻って様々な思いを馳せてみたり、
と、実際に体を持って行くことで感じられることもあります。
僕が旅をしている中で思うことは、誰にもそうした「帰る場所がある」のだなということ。
一方で残念ながら、
- 帰る場所がなかったり、
- 帰りたいと思える場所がなかったり、
と複雑な家庭環境の方もいます。(実際、生徒にも多くいます)
でも僕は、それらは新たに作ってゆけると思っています。
学校もそういう場所であるように努めたいですし、「すずき先生と会うと懐かしいんだよね」と思われたいですね。
「場所」も「人」も同じであり、僕には僕の帰るべき場所や人がいて、逆に「また会いたい」と思わせる人でもありたいと思っています。
いつまで経っても変わらない場所。
そんな自分のルーツがあるところに、今一度帰ってみてはいかがですか?
それではまた!
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