こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、メンタリストであるDaiGoさんの母校の話が話題となりました。
衝撃を受けましたし、自分の教師としての在り方を改めて考えさせられました。
僕も校則についてはたくさん悩み、考え抜いてきた一教員です。
DaiGoさんの話題を皮切りに、整理しながら校則についての考えをお伝えしようと思います。
ことの発端

DaiGoさんは「天然パーマ」であり、
- 学生時代にある教員に注意され
- 泣く泣くストパーをかけたところ
- 今度は色が明るくなってしまったために黒染めを強制される
という経験をしたそうです。
後日、その事件に関する動画を投稿したところ、DaiGoさんの母校の元担任教師からは、
というメールが送られ、動画の削除依頼が来たというものです。
これに対してDaiGoさんは上記の2名の教師にガッカリし、かつ母校の体質にも残念がっていました。
あくまで僕が動画を見てまとめたものですので、詳しくは上の動画をご覧ください。
校則とは

学生のみなさんは、いまだに納得できない校則があるでしょうし、大人になった僕ら世代も理不尽な経験をしてきたかと思います。
僕自身も、教員に対して「嫌悪感」みたいな感情を持っていたため、
と思って教師になりました笑。(若気の至りです)
校則には様々あり、結論から言いますと、
- 学校や教師にゆだねられるもの
- そもそも理解できないもの
があると思っています。
早速見ていきましょう。
染髪・パーマ
いわゆる、
- 髪を染めること
- 髪にパーマをあてること
です。
現在の学校では、今だに禁止されていることがほとんどですが、
- 様々な国や地域の見た目や文化が入ってきたこと
- 地毛がもともと巻いていたり色素が薄かったりすること
から、地毛申請を出せばOKという風潮になってはきています。
過去に大阪では、
と指導したことで、大炎上したことがありました。
僕の場合は、
と思いながら、指導にあたっています。
ただ、こんなこともありました。
僕が三者面談をした時に、
- 地毛申請も出している
- 髪の毛の色素がもともと明るい
生徒とお母様に質問をしたことがあります。
明るさが目立ってくるたびに、定期的に黒染めしてくる生徒がいたので、ふと聞いたのでした。
なにか事情があるのかなと、疑問に思っていたからです。
すると驚いたことに、前の担任から、
と言うではありませんか。
と。
早急に謝罪し、
ということをお伝えし、
とお伝えしました。
実はこの染髪の件は、2件目だったのです。
つまり少なくとも2人の教師が、黒染めを強要していたのです。
と、そう思いましたね。
化粧・ピアス・カラコン
いわゆる「メイク」や「装飾品」です。
これも、禁止されている学校がほとんどです。
ただ、僕はちょっと「微妙な争点」だなと思っています。
例として、
という意見もあります。
高校生からメイクをしたりピアスを開けたりすること自体には、僕もそこまで反対ではありません。
しかし一方で、
という言葉には、引っかかりを覚えます。
社会人でメイクを強要するのもまた逆に、社会的な校則(=拘束)なのではないかなと。
僕個人としては、「メイクを禁止すること」はちょっと謎だなとは思っていますね。
ただ、だからと言って、
という意見は、ちょっと無理があるのかなと笑。
いずれにせよ、この校則は少しずつ変わっていくのかなとは思っています。
校則は「あってないようなもの」

ざっと書いてきましたが、
- スカートの丈
- 髪の毛の長さ
などに関するものもあります。
実は校則とは、”かなりグレーなもの” でもあります。
実情は先生たちの裁量によることが多く、ルールよりも「個人のものさし」で測ってしまうことのほうが多いからです。
と決めている先生もいます。
誰が正解ということはありませんが、一貫性がないためシステムが破綻しているとも言えます。
もちろん、マニュアルやルールに沿って動けないのもまた、「現場」ですからね。
これこそが、校則の「良い部分」でもあるのかなと。
ほどよく柔軟だからこそ、教師と生徒間で「線の引き合い」があり、各生徒の実情に合わせて教員たちも指導を行なうことができるからです。
結局、とても難しいトピックなんですよね。
その点を議論し続けることが、大事なのです。
校則は必要か

僕は以前、
と調べた時期があります。
僕個人としては、“ある程度必要” なのかなとは思っています。
極端ですが、荒れている学校を立て直して行くときは「厳しい校則」が必要だからです。
一方、「普通の学校」でも基本的には校則は必要なのかなと。(校則のない学校はすでに存在しています)
なぜかと言いますと、
- 金髪や茶髪
- ピアスや化粧
を怖いと思う人(=抵抗がある人)も、一定数いるからです。
僕自身はなんとも思いませんし、それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、入学を考えている生徒や保護者たちが、感じてしまうこともあるのです。
名が通っている学校ならまだしも、そうでもない学校が自由を掲げて、
としていたら、みなさんはどう思うでしょうか。
あるいは親の立場として、その学校をどのように捉えるでしょうか。
と思うでしょうか。
その学校に実績があり、安全が保証されているのであれば良しとするでしょう。
しかし多くの方は、
と、一歩踏みとどまってしまうのではないでしょうか。
「自由がいい」と叫ぶ一方で、街で見かける人の、
- 外見や服装
- 髪色や印象
に、良し悪しをつけてしまってはいないでしょうか。
一般的な意見として「そもそも校則は必要なのか?」と問うことそれ自体は良いことですが、やはりどこかでみなさんも、
そう思っているのです。
そしてその「型(=ルール)」の中で活きてくるのが、先ほどの指導の曖昧さだったりもします。
と。
校則の「曖昧さ/柔軟性」とは、破綻しているようで、実はうまく機能しているという面もあるのですね。
まずは校則を設けておくこと。
それがないとしたら、どこまで許容できるのかということ。
人それぞれ、教師それぞれが思う校則のあり方を協議しながら、時代に合わせて指導を決めてゆくのが良いのでしょうね。
おわりに
一番お伝えしたいことは、
ということです。
- 「自分は髪を染めたいから校則には反対」と即意見しない
- 「なぜこの校則があるのだろうか?」と多面的に情報を得る
というように。
校則に関しては様々な意見があっていいですし、時には話し合いや駆け引きも必要です。
「曖昧さ」を利用してしまうこともありますが、生徒が安心して過ごせればそれに越したことはありませんよね。
教師たちも、社会を多面的に見なければいけませんね。
それではまた!

