こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、送別会で多くのお菓子やメッセージを受け取りました。
以前の僕であれば、
と言いながら、リアルに食べていたものでした笑。
あるいは、たくさんもらっている人を妬んでは、
と思って嫉妬していました。
何度か記事で書来ましたが、
「食に対して足るを知ること」
は、僕の人生を大きく変えてくれました。
特にこの書籍は僕の食習慣を変えてくれましたし、「仙人への道」への手助けとなってくれました。
僕は人と話す時に、よく「食べること」に対して欲求がなくなったことを例にあげます。
たまに笑われますが、とても大切なことだと思っています。
今日は「もらったものの扱い方」について書いていきます。
消費主義からの脱却
そんな「ゼロサムゲーム」を意識しながら、僕はずっと生きてきました。
しかしある時、
とわかった時、
と思い立ちました。
いつもお昼に食べていた「特大の牛乳パン」をやめ、次第に白米も食べなくなっていきました。
食べてしまうと、ダンスの練習に影響が出てしまうからです。
さらにラッキーなことに、先ほどの書籍「医者が教える食事術」に出会うことができました。
その時、
という事実に気づきました。
それからというもの、「ロカボ(=低糖質)ダイエット」を開始したのです。
食べる量が減ってきますと、次第にお腹のほうも空腹や少食に慣れてきます。
と、ちょっとばかりショックを受けましたが、それからというものは、様々なことにおいてパフォーマンスが良くなりました。
- 仕事
- ダンス
- ブログ
- ランニング
など、どれにおいても無理なくできるようになりました。
ここまで「体が軽い」と思ったことはありませんでした。
そして何より自分が、
- 少食になっていたこと
- お腹いっぱいになりたくないこと
がわかったのです。
自分の変化に気づき、とても驚きましたね。
食べなくなってから変わったこと
ものを食べなくなってきますと、多くのメリットがあります。
- 食費が浮く
- 体調が良くなる
- 燃費が良くなる
- 空腹感に慣れてくる
などのメリットが、多くの書籍で紹介されているかと思います。
それ以上に感じたことは、やはり「足るを知ることができた」ということでした。
なんということでしょう。
ビュッフェスタイルでは、ありとあらゆる種類のものを食べようとしていた僕が、今となっては自分で体に良さそうなものだけをピックアップし、飲み会の席でも「もう飲めない」と言うようになったのです。
昔はその「貧乏性」から、
「できる限り、たくさん摂取した方が得」
という考え方を持っていました笑。
でも実は、それは満たされていないからこそでもありました。
見えない何かと戦っていたようでもありましたね。
一方で、「自分にとっての十分」がわかりますと、それ以上を求めなくなります。
先日に限らず、僕は1〜2年前から「最低限の食生活」が理解できてから、あろうことか「もらったものを他の人にあげる」という行為に及んでいました。
以前の僕だったら、一夜で全てを飲み込んでいたことでしょう笑。
例え食べられなくても、
と思っていたものです笑。
しかし今は、
と、この考え方が基本のスタンスとなったのです。
その時、職場の先生方やダンス部の生徒たちから、
と言われることが、とても嬉しくなったからですね。
人はいつになっても、誰かから感謝されることは嬉しいものですから。
僕の場合は、「自分の食い意地」が劇的になくなったことで、
と思ったのです。
こうは書いていますが、意識的にやっていた頃に比べて、今は本当に呼吸するレベルでできるようになっている自分に驚いているのが、正直なところです。
今ではほとんど「ノールックでgiveする」ことが多くなりましたね笑。
出発点は、大したことのない「ただの食」についてでした。
でも僕にとっては、
- 足るを知ること
- 与えることの喜び
を教えてくれた具体的な例だったのでした。
だからこそ、「食生活改善」について、大きな声を上げているのかもしれませんね。
もらったものをまた次に与えていくこと
僕が「食」を通してGIVEの話をするのは、それが一番わかりやすいからです。
今回に限らず、与えることが日常茶飯事になってからは、
と、周りからもらうことが多くなりました。
するとやはり、自分一人では食べきれないという現実に直面します。
それならいっそのこと、みんなに配ったほうがいい。
という気持ちよりも、
という気持ちのほうが、今は勝(まさ)っていますね。
これについては、「自分が満たされていること」が前提条件となります。
人間ですから、どうしても渇いている時はあるものです。
以前の僕もそうでしたしね。
人がもらっているのを見た時、結構妬んでいたものですからね笑。
次第にその域を越え始めますと、相手に与える準備が整い始めます。
自分のコップから溢れ出ている部分の「幸せ」であれば、与えられるようになります。
何度も言いますが、
- お菓子
- お土産
が、とても具体的でわかりやすい例だと思っています。
もちろん、「いただいたものを食す」という姿勢も大切ですから、与えたもの勝ちと言いたいわけではありません。
「GIVE/与えること」の姿勢や考え方は一人歩きしがちですが、本来はそんな姿勢は必要ないのです。
ただ自分が受け取ったものが、自分のキャパを超えていたので、周りの人の幸せを見たくて与える。
そこに何か特別な意味があるわけではないということですね。
僕は「自分の満ち足りている線」を知るようになってから、そのラインを超えたものについてはすぐに人に渡すようになりました。
人の「感謝の循環」とは、本来そうあるべきものです。
難しいことを考える必要はありません。
- 自分が満たされるラインを知り
- 超えた分を人に与えられるようになること
これだけで、僕は以前よりずっとずっと幸せになりました。
独りよがりの考え方ではなく、他人ありきの考えになったからですね。
- 人を変えるだとか
- 人に媚びを売るだとか
そういうことではないのです。
と。
不思議なことに、その笑顔や感謝を見ただけで、僕はお腹がいっぱいになるようになりましたね。
おわりに
人間ですので、
- 空腹
- 満腹
などの経験を、みな持っているはずです。
それを「幸せ」に置き換えてみますと、意外にも考え方がマッチするものです。
食生活が変わるだけで、僕はここまで変わることができました。
みなさんから受け取ったものを、自分の好きなように使ってしまいましたが、どちらにせよ「満たされたこと」には変わりありません。
いつもいただいてばかりで、感謝しかないです。
だからまた、溢れた分の幸せを周りの人に与えていこうと思います。
それではまた!
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