30代は清貧さを心がけるようになる【十二分に取りに行かない】

幸せ

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

休日以外は「いつも通りの食生活」を続けていますが、外食でもライスを「小」に変更するように、だいぶ体にも変化が現れています。(便の調子も良いです)

さて、先日Spa LaQuaという、東京ドームに併設されているサウナ施設に行きました。

「サ道」というドラマの舞台ともなっただけあって、とても人気があり人で溢れていました。

サウナも4つあって、最高でした。

「サウナ上がりにソフトクリームを!」

と、休日だからこそできる「贅沢な投資」をしたものの、なんと食べ終わった後にもう1つのスイーツカフェを発見してしまいました。

普段から「アイス断ち」を行なってはいましたが、

「せっかく来たし、もう1つ食べておこうかな…」

と誘惑が僕を襲いました。

体は拒否反応を示していましたが、結果から言いますとやってしまいました笑。

「1日にアイスを2つ食べる」というのは、タブーだったはずなのに。

その後、「お腹ピーピー」=「OPP」が僕の腹を襲いました。

そんな経験をした僕が、食事改善からお金の使い方まで、最近感じたことを書いていきたいと思います。

足るを知る

足るを知る」とは「身分相応に満足することを知る」だそうです。

もとは孔子が言った言葉でして、この言葉には続きもありますが、今回はこの部分のみ使わせていただきます。

僕はこの「アイス2個食い事件」の後、僕は激しい後悔にさいなまれました。

もちろん美味しくてとても幸せだったのですが、体があまり喜んでいなかったような気がしたのです。

最終的にはトイレに駆け込む結果となったわけなのですが、その経験のおかげでこの「足るを知る」という言葉が、自分の胸に深く刺さったのでした。

例えば休日のことです。

ランチを外食で済ませてしまいますと、帰宅してからの晩御飯は、

「レタス、納豆、キムチ、卵、半ライス、それとブルーベリー、無調整豆乳」

という「自宅のルーティン」をこなすようになりました笑。

ある程度の段階で、食においての贅沢は「もう十分だ(腹八分目)」と思うようになってきました。

今までだと欲の限りを尽くしては、食べまくっていたのですけれどね笑。

最近はこのバランスが取れてきて、どこかで「贅沢のしすぎ」にストッパーがかかるようになりました。

「これ以上はいいや。もう十分だから」と「足るを知る」ことができるようになったのです。

  1. 間食もいつも通りの「素焼きナッツ+小魚」で、
  2. 出かける前は「はちみつ+オートミール+ブルーベリー+無調整豆乳」の朝ご飯、
  3. 移動中にプロテインバーを買って食べる。炭水化物はだいたい12g程度のもの。

すると自分の「大体の1日の食の配分」がわかってくるようにもなりました。

以前であれば、

「栄養の配分がぐちゃぐちゃで、食べるものの取捨選択ができていなかった」

のですが、最近は腹八部目でストップし、そのあと歩きながら「カフェラテ」(砂糖抜き)やソフトクリーム、ジェラートなどを楽しめるようになりました。

僕自身の、「等身大の幸せ」がわかってきたのです。

これを超えてしまうと、体が自然と拒否反応を起こしてしまうというわけですね。

「もう要らない」と。

おかげさまで、

  • 清涼飲料水
  • コンビニのスイーツ
  • 菓子パン
  • 夜の小腹を満たす用のお菓子

などには、もう手が届かなくなってしまいました。

「足るを知る」ことで腹八分目でとどめておくことができるようになる。

ほどよい贅沢や時間の使い方

大きなスパ施設に行きますと、結構お高くて、数千円がかかることもあります。

そういう施設とは、一日中いられる「天国のようなダラつき空間」ですよね笑。

僕は自称サウナーですが、「Spa LaQua」で4つのサウナに行ってやろうと思い、4セットほど試してみたのですが、やっぱり3セットで十分だったかなとも思いました。

このように「払った分だけ楽しもう」「その分取り返そう」という考え方は、以前から僕の中にある考え方でした。

  • 「飲み放題?払った分だけ飲もう」
  • 「食べ放題?払った分だけ食べよう」
  • 「何時間もいられる?だったら長く楽しもう」

しかしその気持ちが、徐々になくなってきたのです。

贅沢やダラダラすること自体を否定するわけではありませんが、僕自身がもう十分幸せを感じたなと思えば、「スパッとやめたらいいのではないか?」と思うようになりました。

「それで別に損しているわけではない」ということを、理解できるようになったのです。

  • スイーツの量も、
  • サウナの回数も、
  • 滞在時間も、

無理して「元を取らないと!」と思うのは、自分の幸せの許容範囲を振り切ってしまっていることを意味します。

確かに「支払い額相応のサービス」を受けきれていないかもしれませんが、自分が満足したと感じていることに気づいたら、もうそれで十分なのです。

この「許容度」を振り切った時、大抵の場合は悪いことが起こるものです笑。

つまりそれは、身の丈に合ってないということなんですよね。

ここで言う「身の丈」とは、社会的な身分という意味ではなくて、「自分の満足度の限界」ということです。

これを超えてしまうと、自分の中にある「幸せを感じるセンサー」が追いつかなくなる。

あるいは振り切れて、壊れてしまうのです。

だから「足るを知って」いれば、その時点で十分に幸せだと感じられますし、それ以上を求めることがなくなります

たまには贅沢してもいいですけれど、僕にとっては少し背伸びするくらいが丁度いい

そんな人生であっても「僕は今、十分幸せなのだ」と気づいたのです。

自分の幸せの許容度を超えてしまうと、それはもはや幸せではない。身の丈にあった幸せを探しにゆこう。

足るを知ることで清貧さが磨かれる

以前、北野武(ビートたけし)さんの「新しい道徳」という著書で、感銘を受けた言葉があります。

それが「清貧さ」です。

この言葉は捉え方はいろいろあって、場合によっては「貧乏に甘んじる」といった、ネガティブな考え方になることもあります。

僕がこの言葉を思い出したのは、他でもない最近の僕自身の行動から「足るを知る」ことと「清貧さ」が絶妙にマッチしたからです。

僕はこの言葉、「清貧さ」を肯定的に受け止めています

  1. 適度な食生活やちょっとした贅沢を続けられていること
  2. そしてそれが実感として幸せに結びついていること

これらによって、この「清貧さ」がより一層好きな言葉になりました。

  • 自分が何をどこまで食べれば、
  • どれだけ新しいことや興奮することを体験すれば、
  • どういう点において幸せを感じるのか。

ここ一年を通してたくさんの書物に触れ、たくさん考え、実践してみたことで「あぁこれこれ!」というところまで来られたのかなと思っています。

以前、独り暮らしをしていた時に「昭和のようなストイックな食生活」を目指していたことがありました。

しかしそれは一瞬にして崩れ去りました笑。

その理由が、今ならわかります。

それは知識や思考、行動や実践がなく、

「こういう生活って、カッコいいなぁ」

という表層的で短絡的な考え方しか、もっていなかったからです。

しかし今は「もう十分だ」と思えるようになった経験が積み重なり、以前憧れていた「昭和のようなストイックな生活」が、結果的に実現してしまいました笑。

ちゃんと裏付けがあるからこそ、継続できるのだと実感しました。

「清貧さ」が培われてきますと、小さなことでも感謝したり、幸せを感じたりすることができるようになってきました。

モノやエンターテイメントがあふれている大消費社会となった現代。

僕はここで、本当に「自分が大切と思えるもの」を取捨選択していこうと思っています。

足るを知れば、生活にも清貧さが帯びてくる。すると、自分にとって本当に大切なものだけが残り、感謝できるようになる。

おわりに

皮肉にも「足るを知り」始めたばかりの僕に起こった、腹痛という悲劇。

今の自分の身の丈が、「いかに小さかったか」がわかります。

10〜20代はすでに過ぎ去り、今までと同じような生活では十二分に思えてしまうことが増えてきました。

それら余ったものを、

  1. 敏感に読み取っては生活から削ぎ落とし、
  2. 自分に応用していくこと

が、また僕を清貧な男へと近づけていくと思っています。

  • 武士道
  • 清貧さ
  • 足るを知る
  • マインドフルネス

など、一体僕はどこへ向かうのでしょうか笑。

もし近々悟りを開きましたら、全国を歩いて回るかもしれません。

果たしてどうなることやら…

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました