教育現場で実際に起こっていること【学校現場は破綻してる?】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日投稿した記事が反響を呼び、いろんな方から(特に小学校教育に携わる友人たちから)コメントをいただきました。(嬉しい)

現職員の方々からですと、

そうなんだよね。感情だけでやっちゃいけないんだよね
移動教室では無理なく進めるべき
ボランティアを求めるのはいいけど専門性がないからね…

など、さすがのコメントだらけでした。

現在でも、学校現場の改善のためにいろんな案が出ています。

先日も友人先生たちと話しまくりました。

今日もまた、尽きない「教育談義」について書いていきます。

学校現場に必要なのは給与なのか。それとも時間なのか。個人的には、公立の学校は縮小していけばいいと思っている。

公立の学校はいずれかなり少なくなる

以前にも書いたことがありますが、公立の学校とは(義務教育とはいえ)、少なくなっていくのではないかと思っています。

少子高齢化の影響もありますが、教員がそもそも足りていないため、回らなくなっていく(というか回っていない笑)と思うからです。

僕が高校教員だった頃も、「現職の先生たちが非常勤講師を探す」という、もう笑えないレベルのことが起こっていました。(電話をかけたり実際に誘ってみたり)

今だって疲弊している現場なのですから、「教員が減っている事実」が取り返せないレベルまでいったら、学校はなくなっていくでしょう。

「一人の見られる(=指導できる)限界」は決まっており、それを超えた時に初めて、

そうだね。そもそも学校に配置されている先生が少ないね。この学校を消そうか

となるでしょう。(遅いわ笑)

それまでの「レース」と考えますと、今の教育現場がいかにヤバいかがわかります。

僕は「教師のバトン」なんてやったことありませんし、別にあれがいいと思ったこともありません。

しかし一方で、客観的に見て学校現場にも「是正すべき点」があるとは思っています。

人が欲しいならば、

  • いかに学校がいい場所なのか
  • いかに先生も生徒も楽しく活動しているのか

を伝え、倍率の高い職業にしなければなりません。

「教師のバトン」なんてものが出たおかげで、「教員のツラさ」にフォーカスが当たりましたが、実際の現場は確かにしんどいこともあります。

これが続けば、学校はいずれ消えてなくなります。

でもそれは、ともすれば「いい流れ」なのかもしれません。

そうやってできないことには「できない」を突きつけていくこと。

僕はそれが必要なんじゃないかって思っています。

公立高校は限界を迎えつつある。人が足りていないし、さらにやりたくないと思っている学生たちも多いからだ。

そもそも「お金」ではない

じゃあインセンティブ(報酬)を上げれば?

というのは1つ案ですし、僕も以前の記事に書いたように、それはシンプルにいい案だと思っています。

一方で、

金なんかじゃねぇんだよ

と思って先生をやっていたことも事実です笑。

だから「給与をあげること」それ自体はいいことだとしても、それが解決になるかと言われると疑問符が付いてしまいますね。

僕が公務員(教員)を辞めたときも、多くの人が、

そんな安定した職を辞めるなんて…

と言っていたくらいですから、給与としてはすでに「安定」「少し高め」だと認識されているということ。

だから給料をどれだけ釣り上げたとしても、やりがいや “生活の安定さ(メンタル的な部分)” と比べてしまいますと、

いや、できればやりたくない

という選択肢になるのだと思います。

前回の記事で書いた通り、とにかく人手が足りていないのです。

どんなに優秀な人が集まっても、子どもたちの人数が多ければ、さばけるわけがありません。

それこそ、

一人一人丁寧に対応したい

という気持ちが、先生の本音ですからね。

給与が上がるだけで人が来るなら、話は簡単。

というかすでに、給与それ自体は別に悪いものではないし問題ではない。(対価としては低いかもしれませんが笑)

じゃあどうすればいいのか。

やはり、

  1. 学校それ自体を少なくして
  2. 教員たちがちゃんと対応できるようにする

という、根本原因に迫らないと、表面上だけの対応策だけでは難しいと思います。

友人は、授業の一部を機械化(AIやソフトに頼って自習のような形に)するのがいいのでは、という案も出していて、なるほどなと思いました。

負担軽減という話の前に、そもそも論として「人間の見られる限界」を超えているのです。

それを是正するように、国や地方が働きかけていかなければ、教員を目指す人は増えていかないですし、僕のように辞めていく人が増えてゆくでしょう。

教員の給与を上げることが問題ではない。そもそも生徒に対する教員の数が足りてないのだ。

「学校」が一括りになっている

そして「教師のバトン」の悪かった点は、教員の「問題点」「悪い部分」にフォーカスが当たり、

それが教育現場の全てなんだ

と思われてしまっていたことでした。

僕も教師として大変なことは多々あったと感じていますが、それはどの職においてもそうですから、なんでもかんでも、

そうそう!教師って最悪なんだよ!

と「同意/共感」できるものではありません。

失礼ながら、

  • 単純に仕事が遅い人
  • 文句ばかり言って仕事しない人
  • ダラダラしているのに他責にしている人

も、中にはいるはずです。

それなのに「教師のバトン」にかこつけては、

自分はこんなにも苦労している!

と言い張る人もまたいた、ということですね笑。

僕が先日行ったボランティアなんて、担任から管理職までめちゃくちゃ動ける人たちばかりでした。

だから先日の問題は、「教師のバトン」の中でも「本当の本当に苦労されている部類」の例でした。

学校は “全国チェーン店” であるがゆえに、一緒くたにされてしまうことがあります。

主語が大きくなってしまう、ということですね。

だから会社と違って、「ちょっとでも悪い面」は全国に一気に広がりやすい。

それもまた、多くの人を教師にさせていない理由なのかなと思っています。

しかし一方で、「真実」が語られていることもあり、それは改善されるべきですね。

この玉石混交の情報の中から、

一体何が正しいのか

を見極めてゆく必要があります。

元も子もない提案ですが、気になる方は「一度教師をやってみる」ことをオススメします笑。

教員の世界は楽しいことも苦しいこともあり、システムそれ自体がまだまだ遅かったため、僕は退職することを決断しました。

ただ、それは「やったから」わかることであり、少しでも興味のある人は「学校現場で何が起こっているか」を知ってみるといいのかなと。

学校にもそれぞれのカラーがあり、正直にいえば楽(ラク)なこともあります。

それでも、学校のサイズは縮小されるべきなのかなとは思っていますけどね。(教員の数は増えていきませんから)

いろんな面からアプローチをとって、教育現場を変えていかなければなりませんね。

教育現場の声は、時に主語が大きくなっていることもある。だから悪い面ばかりを取り上げない方がいい。一方で本当にしんどい面もあるから、抜本的な改革は必要そうだ。

おわりに

僕自身が何かを変えることはできませんし、そんなつもりもありませんから、僕なりのアプローチで教育分野を進んでいくしかありません。

大きな組織が変わるためには…

とここで語っていても、正直な話、あまり意味はありません笑。

ただ、こうして「教育の今」を感じてそれを発信していくことは、大事なことなのかなと。

それではまた!

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